ジン兄ちゃんとルカのお話5
残暑続く9月の最初の水曜日に俺はついにルカとのお出掛けを獲得。この日に備えて俺はかなりルカに付きまとい、とにかく優しくした。多分。褒めるのは無理で出来ていない。
待ち合わせは立ち乗り馬車の停留所。金を使わない性格で金を出せるのと買い物に付き合ってくれるお礼だからと言って「歩けるのに歩かないの?」と言ったルカを説得。
説得というか「うん。ありがとう。立ち乗り馬車なんて乗ったこともそういえば見たこともないから嬉しい」とあっさり了承してもらえた。
俺も初乗りなことと「調べてあるから大丈夫」と伝えてお出掛け日までの3日を指折り数えた。
到着したら安いものでも昼食をごちそうと思っているというか「先に言うべき」という友人達の助言をしっかり聞いてそれもルカに伝え済み。
その為に家で1人で食べることばかりだから、という理由を用意。まあ本当だけど。
11時の鐘が鳴る頃、俺は5時に目が覚めて落ち着かなくて走り込み。
ムキムキ男に対抗しようと思って走ったり腕立て伏せなどをしているけど効果はイマイチ。
いつものイサン家の手伝いをして「汗臭いと言われるかも」と風呂屋の代わりに川へ行って髪も体を洗い終わって落ち着かなくて街をぷらぷら。
10時の鐘が鳴った頃にはもう待ち合わせ場所に到着。
(日焼けするから変な笠を使うから笑わないでって言ってたけど……。それなら笠を贈る?)
好みが分からないし恋人の手前そのようなことはまだ出来ない。
貢がせ女かもしれないから——絶対違うと思っているけど色恋盲目というそうだ——しない方が良いと貢ぐのは禁止された。今日使って良いお金はいくらとまで言われている。
俺はもう19歳になるんだけどな……。早いと子持ちの年齢だ。15歳と19歳はわりと常識的な年齢になってきた気がする。あの恋人は何歳だ? いつからだ? いつからルカに手を出している。考えたら絶望。
ちなみにまだルカの恋人情報は得られていない。俺も捜索しているけど未発見。ルカは相変わらず誰かに見張られて帰宅している。俺は最近常にそこに参加中。
「おはようございますルカさん。いやこんにちは?」
ルカ発見! と思った瞬間挨拶をして軽く会釈。わりと汚れた布を無理矢理縫いつけたような笠を持っていて小さめの背負いカゴを背負っている。背負いカゴ?
他はかわゆい。縄みたいな髪型だし着物は紫陽花柄で似合っている。暗めの紫なのは似合っていない。白とか桃色とか明るい色の方が良いと思う。
しかし着物……浴衣? 浴衣な気がする。浴衣に着物用みたいな帯だ。帯の幅が狭い気がする。
寝る時に使うのが浴衣らしいけど女はお洒落にも使うものらしい。知らなかった。
改めて肌が白いなと思った。浴衣の色の対比でよりそう思う。
「こんにちはかなジンさん。へぇ、お出掛けだとそういう格好をするんだ。髪も切った?」
「切った。ルカさんの隣を歩いて恥ずかしくないように」
今日の俺は書き出した「質問解答集」を覚えてきてある。ど真面目か! と笑いながら友人達が確認してくれた。
その場で口説くとか褒めるとか無理。職場で見るよりかわゆいからキラキラ眩しいので無理。予習と頭へ叩き込みをしてきて良かった。
「ふーん。ルカさんはかわゆいからね。気合いを入れたくなるよね」
ルカはすまし顔で俺の隣に並び前を向いて少ししかめっ面。
(この反応というか言葉は予想してなかった。こういう場合なんて返すんだ? ……。しかめっ面って何?)
「うん。そういうこと」
「……」
ルカはますます険しい顔。そこからみるみる顔が赤くなって困り笑いになってチラッと俺を見て慌てた様子で俯いて唇を尖らせた。
(照れてる? かわゆい……。褒めたら横取り出来そうってこと?)
かわゆい、と言いかけて立ち乗り馬車の登場で話題は立ち乗り馬車のことになった。ルカは「近くで馬を見るのは初めて」みたいに大はしゃぎ。
背負いカゴはこの大きさで今回の人数なら良いと言われた。
俺と友人の計画は棒から少し離れたところで吊革を獲得して「俺の帯か着物か腕を掴むと良い」だったけどルカが先に乗って「私は背が小さいからこの棒を持っていれば良いのかな」と棒を確保してしまった。やはりしっかり者!
かなりガタガタ揺れるらしいのでお喋りはなるべくしない方が良いと聞いているのでそれを伝えて無言。
周りも最初はヒソヒソ話していたけど速度が出てからは俺達と同じだ。
(あの花魁手前の遊女代は痛かった。それ以外はお金を使う性格じゃなくて良かった。実家を出るまでお金を持ったことなかったしな)
あの貧乏気味な爽やかムキムキ男は立ち乗り馬車代は出せない。なにせルカは今日初めて立ち乗り馬車に乗った。初めてを全部欲しいな、なんて思ってまた絶望。
ずっとこのまま2人で並んでいたいなと思いながらチラチラ横顔を盗み見。彼女はずっと窓の外を楽しそうに見つめている。俺はルカを見たいけど向こうはそうではないから目が合わない。
と、思ったら視線がぶつかって困りぶすくれ顔をされてしまった。またしても彼女の白い肌が桃色にカーッと変化。
(なんでか分からないけど照れてる? かわゆい……。横取り出来そうってこと? いや実はもう別れたとか! だから誘いに乗って……そういう落ち込んでいる素振りってあったっけ?)
謎。ルカは謎。あんなに親しげで「大好き」みたいな顔を向けていた恋人がいるのに俺と2人で海に行っても良いとは謎。
友人達もそれには首を傾げていて「悪い女の可能性」と言っていた。ちなみに俺は激怒して「お前も怒るんだな……」とかなり引かれた。
それで説教。色恋は盲目になりやすくて破滅するかもしれないから理性を忘れるな。忘れるようだから相談しろと説教。我ながら良い友人を持ったものだ。
かなり時間が経過して窓の外の景色から建物がほとんど消えた。
(あれが噂の海? 水だらけ……)
海!
海って異世界!
山から降りてきて街に来た時と同じワクワクした気分になってきた。袖にされても人生初の海を惚れた女と見られたという感動はきっと一生忘れないだろう。
立ち乗り馬車を降りてルカの荷物を代わりに持った俺は大はしゃぎ。
「ルカさん海って凄い広い! あれが砂浜⁈ 波ってあの行ったり来たりすることなんだよな! 広い! 綺麗! すげえ!」
早く行こう早く行こうと浜辺へ移動。足元が変な感じ。
「柔らかい⁈ 白い! 海の砂ってこんなに白いんだ! 灰色みたいなところもあるけどすげえ!」
草履なんて要らね。後で拾えば良いと揃えて放置。海に入ることに挑戦!
「冷たいけど暑いから気持ちええ! うおわっ! なんか吸い込まれる感じがするけどこれは大丈夫なのか⁈」
「あはは。ジンさん子どもみたい!」
えっ? と我に返る。はしゃいでいる場合じゃなかった。砂浜の上で屈託なく笑っているルカがかわゆい。
「あっ、いや、つい」
「初めてだとそうなるよ! 浮絵も見たことないって言ってたもんね」
そんな話したっけ。いつ? 記憶にないけどしたらしい。
「うん。まあ。ははっ。飯! 飯に行こう! 降りたところの近くにある店を聞いてある! 高くないけど美味いって! 約束通り今日は全部俺が出すから! お礼だから!」
「それなんだけど悪いからお小遣いもらってきた。友達と海へ行くからお願いって頼んで。だから私の予算以内のところにして欲しい」
俺はルカの友達なのか。いつからだ? そうなのか。
「まず見に行こう」
「あとアサリ堀りしたい。それからワカメ探し」
「えっ? アサリ? アサリって掘るの? どこを?」
「どこってここ。砂浜。知らないの?」
「アホだから知らなかった」
「ワカメが海に生えている草ってことは?」
「そうなの⁈ それも知らなかった」
「ジンさんって昔から色々知らないよね。まだこんなに知らないんだ」
……これは横取り出来なそう。バカにされると思ったけどルカはニコニコ笑っている。
「知らないことはアホって言わないんだよ。だって知れば良いだけだから。アホとかバカは考えられないとか忘れるとかだよ。大事なことをすぐ忘れるのがバカやアホ」
「そうかな? ありがとう。田舎山から降りてもう何年なのに恥ずかしいな」
「家は大貧乏だから変わらないよ。アサリとワカメで腹減り回避!」
そうして2人で俺が聞いたお店へ向かった。話題はそのままレオ家族の貧乏話。
「職場の感じだと甲斐性なしとは思わないんだけどどこにお金が消えてるんだろう。兄ちゃんは励んで学費免除だったし今はもう働いてるのにさ。まあ少しマシになってきた気はする。ケチだから安売り戦争に負けると腹減りだけどそうじゃない日は普通だったりする」
「そうなんだ。学費免除って優秀ってことなんだろうね。俺は兵官になる仕組みとか分かってないけど試験があることは聞いた。俺もなりたかったな。大旦那さんが俺には向いてないから地道に働けって」
「うん、向いてなさそう。兄ちゃんとかなり違うから」
「そう?」
「うん」
「お兄さんってどんな?」
ずっと胸がドキドキうるさい。馬車の中で並んで2人のままが良いと思ったけど前言撤回。今のままがずっと続いて欲しい。
「会ったら分かるよ。むしろなんで会ってないんだろうね? 私の送り迎えとかしてるしついでだからって荷運びをしたり色々してるけどな。小宴会とかには居ないからかな。ジンさん家の長屋でする集まりに来たことないもんね」
「そんなのあるんだ」
「ええー、お父さんがたまに皆を誘ってるけど知らなかった?」
「ああ。お兄さんが凖官? になったお祝いとかか。聞いたことある。顔も知らない人のお祝いに顔を出せないしレオさんともそんなに喋ったことないからさ。親父達が腕はええけど教え下手だから作品は見るべきだけど質問は他のやつにしろっていうからなんとなく遠巻き」
ルカへの気持ちを自覚していくたびに父親に近づいて嫌われたらルカに近寄らなくなれそうと思うようになったのもある。
「まあ来なくて良いよ。家はうるさいから」
「騒がしいのは嫌いじゃないよ。見てて楽しい」
「そうじゃなくて……あっ、ここ安い。この値段なら食べられる」
「ここだ! 聞いてきたお店はここ! 名前がそうだ。少し並ぶみたいだけど少ない人数だから平気?」
「うん」
「あとさ、悪くないからええよ。お小遣いでちび饅頭を買いなよ。前にほら、ちび饅頭を食べたいって言っていた……」
恋人といたとき!
これは会話を間違えた。
「へえ。かわゆいルカさんが食べたいものを聞いたことあるんだ。ちび饅頭はたまに貰えるけどリルがええよって下の子にあげちゃうからそうなると私も譲っちゃう。リルは貰い物を譲っちゃうから家で食べるおやつは人数分作ったおはぎやおせんべいくらい。たまにしかしないけど」
おはぎやおせんべいって家で作れるんだ。
「リルさんはお姉さん?」
「2つ下の妹。大人しいからすぐ皆に虐められるの。言い返せって怒ってるのにどんどん喋らなくなってる。顔に面倒って書いてある。ガミガミ言っても無駄な困った妹。丁寧だけど丁寧過ぎてさすがに遅いって怒られるのに自分のやり方を変えられない頑固者。頑固の自覚なさそう。ぼんやりっていうかなんか変」
店内に入るまでの間、ルカはそのままリルの話をずっとした。
代わりに喧嘩をするから疲れるとか、妹達を叱れないから代わりに縫い物のやり直しをして「終わってないのか」と怒られるから可哀想とか、真面目で素直な働き者だけど家族でもイマイチ何を考えているか分からないとかずっとリル話。兄の話はこんなにしなかったから不思議。
と思っていたら「兄ちゃん」話も始まってバカでアホで足くさで自慢屋で忘れっぽいけど強くて頼りになって絶対に助けてくれるし友達が沢山いるうんと優しい男らしい。
その次はルル、レイと続き末っ子のロカは「わがままだけど4歳だから何もしてもかわゆい」そうだ。
つまりルカは兄妹を全員大好きってこと。
「賑やかで仲良しな家族なんだな。俺さ、時々住み込み奉公時に戻りたくなる。寂しいくらいの方が所帯を持ちたくなるだろうし自分が作った家族を大事にするだろうから1人暮らしで頑張ってみろって言われてる」
「つまり寂しくなるってこと?」
「うん。だからお昼を一緒にって頼んだ」
「なのにお見合いしないの? 皆噂してるよ。ジンさんの恋人は小物屋の娘とは別だったんだって。私も見かけたことがあるからそうだと思っていたのに本物の恋人はどんな人?」
……。誤解を消し去る好機が来た!
質問解答集によれば返事は——……。
「恋人なんて素晴らしい存在はいたことない。いたら良いと思うからそういう人がいたらお出掛けとか誘うかな」
「……そうなんだ」
ルカはまたしかめっ面かつふくれっ面かつ真っ赤。絶対に照れ顔だと思うけど勘違いか? 俺は期待して良いのか?
「ルカさんの恋人はどんな人? ほら、あのなんか見た目はそうでもないけど着物の下はムキムキな人。うんと親しそうに歩いてるのを前に見かけた。こう、頭を撫でられて嬉しそうだったから恋人かなって」
はにかみ笑いとか自慢話をされたら絶望。しかし恋人について聞かないと前に進めない。
不満を口にしたらそこが隙だから愚痴や相談話を聞くことで横取り作戦ってものがあるらしい。
バレットがそれで横取りされたらしい。あいつはすこぶる良い奴なのに悲しい話。
「恋人? ジンさんって私に恋人がいると思ってるの? いないけどそんな人。私はお母さんとお父さんの半々似で若干お母さん寄りだけど兄ちゃんはかなりお父さん似。その人お父さんに似てなかった? 私の頭を撫でて良い男の人はお父さんと兄ちゃんだけだから兄ちゃんだと思う」
「……えええええええ!」
うんと大きな声が出た。思い出したらレオに……似てる。似てるな。レオはリス系の顔立ちでだからたまにルカもそう見える。
大歓喜!
夏祭りのわちゃわちゃ盆踊りを今すぐしたい!
「ふーん。かわゆいルカさんは文通お申し込みも断ってるしお出掛けも断ってるよ。家はお父さんも兄ちゃんもうるさいの。お母さんもあれこれうるさい」
ルカはまた変な照れ顔。かわゆい。俺は断られてない! それにしてもまた「かわゆいルカさん」って自分で言ってる。つまり……言われたい?
「そうなんだ。かわゆいから文通お申し込みもお出掛けの誘いもあるんだな。俺も誘ったくらいだし……。色々かわゆいから……」
最後の方はかなり小さな声しか出なかった。
誘う、褒める、優しくする。これ鉄則。照れてもしろ。俺は遠回しとかさり気なくとかそれとなく伝えるのは絶対に無理だから「こんなの軟弱男と思ってもいいからそうしろ」らしいのでこうする。
ルカはしばらく同じ変な照れ顔でその後に両手を口元に添えて眉尻を下げた。そこに店員が声を掛けてきて店内へ案内。邪魔。
恥ずかしいからとルカに言われて俺達はカウンタ席という横並びに座るところで食べることになった。たまたま空いたのもある。




