ジン兄ちゃんとルカのお話3
俺は知らない間にルカを袖にしたらしい。どうしたものか分からないまま季節は過ぎて年も明けた。彼女との接点は相変わらず仕事だけでルカはこれまでと何も変わらない。
それで海にも結局行っていない。立ち乗り馬車は身分で値段が違うので平家——凡民——には高い。ちなみに身分が高ければ安い訳では無いらしい。
2時間歩けば着くのなら高い金を払って乗りたくない。2時間も歩くなら休みの日で天気が気にならない日。今は1月で真冬。
寒いし「海に入れねぇな」と友人達に言われた。初なら絶対に海に入りたくなるから春とか夏にしようという話になっている。
(……自惚れってやつだったのか? 違うと思うから気になるなら誘えば良いし気にならないなら冷たくする。気を持たせてはいけない。俺がかわゆいって言った女なら他の男もそう思うからか……)
なんとなくルカを目で追う時間が増えたと自覚している。
気を持たせてはいけないらしいから話しかけないようにしているし必要がなければ近寄らない。
(他の男……)
ルカは母親達と違ってピシッと着物を着ている。体勢が難しい時は品良く椅子を使って座って作品作りをしたり材料作りをしていたりもする。
それでお洒落を始めてから着物はボロくても髪型は綺麗にしているし紅も薄っすら塗っている。
帰宅前に全部酷くするのは皆知っている。それで遅く来て遅く帰るレオとは違って、俺と同じように朝の決まった時間帯から夕方まで働く彼女は誰かに送られて帰宅。朝はどうなのだろう。
とある日、ルカと母親達の1人と同僚2人がいつものように帰る時間帯に俺も「そろそろ帰れ。休むことも覚えろ」とイサンに言われたので誘われてルカ達に合流。
俺は親父達2人と並んで歩いてぼんやりと会話を聞きながらルカのボサボサになったひっつめただけの髪を眺めている。
仕事中は単なる棒——多分竹製——の簪もどきでかわゆかった後ろ姿に面影無し。
ルカの兄——名前を覚えてない——はついに念願の地区兵官になったらしい。……?
「ジダンさん。竹細工職人の息子なのにどうやって地区兵官になったんですか? 兵官って家系ですよね。昔父にそう言われました」
「難しいらしいけど誰でもなれるらしいぞ。特に志願出征する戦場兵官。俺もレオに聞くまで知らなかった。火消しもそうだって。地区兵官は難しいらしいけどレオの息子が本当になったからなれる。かなり金を掛けたけどなあいつ。娘5人を生贄みたいにして」
「そうそう。兄が叩き上げの地区兵官なら娘に良い縁談を探せるからって。レオの奴は昔から知り合いが多くて知恵があるし大旦那さんに特注品を依頼されたり立派だ立派。教え下手のバカだけど。あいつは人に教えるのが壊滅的に下手くそ。長男は才能が全くないから見習いにしないって言ってたけどそもそもレオのせいじゃないか?」
聞いたら戦場兵官は0歳からなれるそうだ。0歳なんて戦えないのにどういうことだ。後は本人の腕その他次第。
戦場兵官は王都配属になりたかったら公務員試験というものを受けないといけないそうだ。しかも許可制で誰でも受験とはいかない。
戦場兵官経由ではない兵官は兵官採用試験と公務員試験を突破したらなれる。兵官って何種類かいるらしい。
受験資格は年齢だけ。16歳元服から受験可能だけどかなり難しいそうだ。兵官の息子や親戚に偉い兵官がいるとその試験をゆるくしてくれたり兵官見習いになれるという。
兵官と火消しは花形なのは知っていたけど同じ平家でもそこそこ金持ちになれるそうだ。浮絵になって儲けられるとか国から特別手当が出る大金持ちもいるらしい。
「レオもエルさんも人柄が良いから知り合いが多くて息子に向いている仕事をうんと相談して火消し半見習いっていう金を払うのと親と本人を信頼していたらなれる制度と兵官育成をしてくれる剣術道場を見つけたんだってよ」
「俺達もかなり聞かれたよな。息子に向いてる仕事とそのなり方ってなんだと思うって」
「息子を火消し半見習いにするなんて俺には無理だ。レオは仕事中は無口で凄い集中するけど終わるとペラペラお喋りでお人好しだからな。迷子をしょっ中拾ってる。っていうか俺は迷子にそんなに遭遇しねぇ」
「誰かに質問して知識を増やして人脈を築くって大事ってことだ。ジン、お前に足りないのはその相談をすることだな。お前は何を相談したら良いかってことすら分かってなさそう」
「今日は聞かれたからええな。ってか今年18になるのにレオや息子のことを知らねえってどういう脳みそしてるんだ? 脳みそって知ってるか?」
俺は首を横に振った。頭の中にカニみそみたいなものが詰まっていて人はそれで考え事をしているそうだ。
彼は医者から聞いたらしく「だから頭は大事で頭の怪我は死にやすい」らしい。そうなんだ。
ルカを住まいの長屋まで送って初めて割と近所に住んでいると知った。
レオは見習い開始の8歳の時から「ひくらし」に在籍しているらしい。だから通勤可能な範囲どころか楽なところ住まいのはずなので当然といえば当然。
帰り道、俺はなんとなく街をぷらぷらした。この世間知らずとか知識の足りなさや相談を思いつかないとかそういうことはどうやったら改善するんだ?
そう思うようになっただけでも進化だ。それでこういう時こそヘンリに相談してみれば良い。そのことにも気がついた。
(小物屋……)
店前に並べていた小物を若い女性店員が片付けている。良いお尻。
小物か。簪もこういう店で売っているんだよな。
「あの、お店はもう終わりですか?」
「はい。もう少しで終了です。贈り物探しですか? それなら特別にどうぞ。下見でも良いので」
どうぞどうぞと店内に入れられて煌びやかで目眩。逃げるように店を出た。
(いくらなんだ? いくら? 俺は何を買う……簪……)
ポンッと「ありがとうございました。お休みなさい」と皆にお別れの挨拶をしたルカのはち切れんばかりの笑顔が浮かんだ。
声まで聞こえた気がする。ルカは仕事中の真剣な表情以外ではいつも笑っている。だから思い出した?
(簪を贈りたいって思ったって……)
帰宅はやめて俺はヘンリの家を目指した。それで初めての相談。世間知らずの直し方は何か? みたいな話をして最後に一言。
「簪を贈りたいって思ったってその……あの……」
恋ですか? とか言えねえ! これは友人にするべき話だった。
「へえ。そうか。頑張れよ」
「えっ? 頑張る?」
「文通お申し込みかお出掛けに誘うんだろう? 良いところのお嬢さんは付き添い付きでお出掛けだから文通お申し込みからしろ。本人ではなくて家族っぽい相手に渡せ。女学生なら登下校の付き添い人。そこらの下街女ならあまり気にしなくてええ」
「俺が誘う……。俺ですよ?」
「そんなの相手が決める事だ。顔が好みだからええとかひくらしの職人なら食いっぱぐれないからええとか背が高いからとか日焼けがええとか逆だから嫌だとか家柄がどうとか文通くらいは練習とか全部相手が考えて決める。お前側もそうだ。実家族と縁切りくらい縁がないから婿に来てこっちの家のために働いてくれそうでええとか世の中には色々な考えの家や相手がいるぞ」
上手くいってお互い気が合うな、くらいになったらまた相談に来いと言われた。
相手の調査、相手の家の調査などを親の代わりのヘンリか信頼している奉公人がしてくれるそうだ。
釣り合いとか他人から見た相性や祝言条件は俺に損はないかとか損はあるけど得はあるかなど人生の先輩達に頼るべきらしい。
「職人になるんだから簪くらい自分で作って口説いてみるんだな。女を口説くのもどう口説くのか考えるのも人生の勉強だ。失恋したら酒を奢ってやる」
こんな風に人生初の相談は終わり。
(本を読む。興味を持つというか何? と思ったら無視しない。人にもう少し話しかける……口説く……)
翌日から俺はルカを見ることが不可能になった。視界に入るとやたら目が眩しいし胸の真ん中がドクドクうるさくなるからだ。春になってもそんな状態。
イサンに聞いて家でコソコソ簪作りに挑戦している。俺と同じ秋生まれなのと紅葉がどうやら色恋に良い葉らしいので意匠を考えて制作中。
怖いけど小物屋に通って「下見」と言いながら意匠悩みというかあれこれ相談。買わないのにいつか買うフリをして女性店員から情報を獲得中。
やがて季節は夏の終わりになってしまった。簪は完成して「誕生月」という理由があるけど渡せなそう。要らないと言われたらと考えたら胸が破裂して死ぬんじゃないかと思うくらい痛むからだ。
それにしてもルカは俺の仕事の邪魔。集中を忘れて毎日毎日チラチラ見てしまう。彼女が休みの日にはやる気を失ってちょこちょこ「今日はどうした」と怒られる。
「えっ?」
「えっ?」
「同じ材料を使うみたいだから一緒に持ってこようと思っただけだけど邪魔ってなに?」
何か口から漏れていたらしい。
「いやその。いや。考え事してたから」
「ふーん。変なの。昔から変わり者って感じだけど最近ますます変。私は嫌われるような事をした記憶は無いけどな。仕事の事とか挨拶くらいなのに変なの」
ルカは膨れっ面でプイッと顔を背けて俺から離れていった。初めて見る表情。
猫っぽい顔立ちだけど今の顔は山でたまに見て追いかけて遊んでいたリスっぽかった。両掌の上にどんぐりを沢山持たせたくなる。
(かわゆい……。嫌ってるって誤解されてる⁈ なんで⁈)
何とかなぜ? と疑問を抱いたら人に聞く。そう学んだので俺はルカと仕事終わりを合わせる努力をした。
(俺も送迎に参加しますって言ってなんとかルカに話しかけ……)
今日の送り係はいないらしいというかルカは送迎係達に向かって困り笑いで手を横に振って突然走り出した。
「ちょっとルカちゃん! まあレオが心配症なだけで危なく無いと思うけど……おおジン。ちょっと追いかけて後ろをつけといてくれ。若い奴の足なら追いつく」
「今日に限って何かあったら困る。兄が兵官だと逆恨みとかあるかもしれないってレオの奴は本当に心配症で。でも分からなくもない。最近抱きつき魔が出たとか聞いたし頼む」
「は、はい!」
慌ててルカを追いかけたらすぐ発見。後ろから近寄ろうとしたら先に誰かが声を掛けた。若い男だ。
「あの、いつも帰り道ですれ違っていて今日は特にか、か、かわゆいです。その、俺はゼルトって言ってぶ、ぶ、文通してもらえないかと。……怖くて泣かせました⁈」
「えっ? 私に文通お申し込み?」
若い男——格好良い——がルカに手紙を差し出した後にオロオロし始めた。ルカは懐から手拭いを出して涙を拭いている。なんで泣いてるんだ⁈
「ル——……」
「おらぁ! そこのそいつ! 何泣かせてるんだ! 離れろ!」
ルカに声を掛けようとしたらうんと足の速い若い男が駆け寄ってきた。
昼間ルカを少しリスっぽいと思ったけどリスはこいつだ。文通お申し込みをした男よりは格好良くないし背も俺より低い。周りのやつと比べたらやや背は高めで俺くらいガッチリして見える。
身なりはルカに文通お申し込みをした男より悪くてボロめの着物。暑い上に走ったからか着物の前も裾もはだけ気味。俺くらいガッチリじゃねえ。なんか筋肉すげえ。
「ってかルカはなんで1人なんだ?」
「ぷらぷらしたくて。ちび饅頭食べたい。こっそり買って! 食べたい!」
「まあなんか珍しく顔がしょぼくれてるからええけど秘密だぞ。金が足りねえ」
「っていうかどこかに行く途中?」
「火消しの方の6番隊の若い奴らで飲むからお前も来いよって言われたからだけど別にいいや。明日日勤だから少し顔を出そうかなくらいの気持ちだったし。やたら来いよって呼んでくれるからそれならって。行こうぜ」
衝撃的なことにルカはニコニコしながら若い男と歩き出した。頭まで撫でられている。
(恋人がいたのか……。俺は誘いもしてない……)
現実を突きつけられて凹んだ。俺は毎日のようにルカを目で追って「贈り物をして海に誘う」と毎日のように考えていたけど、ルカは俺を昔少し気にかけただけで今みたいな笑顔とかうんと親しそうな言動はしてくれていない。
恋人に甘えるような感じがすこぶるかわゆかった。
(どう誘うかとかどう贈るかとか場所とか茶屋とか女性の好みとか調べてねぇでまずは話しかけないといけなかった……。そりゃあそうだ……。当たり前のことなのに気がつかなかったって俺が変わり者ってこういうところ……)
働き者だなとかかわゆい笑顔だなとどんどん惹かれている間に俺は彼女に「私は嫌われるような事をした記憶は無いけどな」と思われていた。
(それなりの身分の男は手を出さないっていうけどベタベタ触ってた。あの格好だから俺と同じ下街男。手を繋ぎ出したり物陰でキスとか始めるのか?)
嫌すぎるけど俺は2人の後ろをつけ続けた。気になって帰れない。ルカに見つかりたくないから会話は聞こえないような距離になってしまっている。しかしイチャイチャして見える。
キスをしそうになったら「ちょっと待った!」と止めたい。
2人は恋人同士だから仕方ないけど嫌だ。仕方ないで終わらせられない気持ちってあるんだ。
「お前はなんで泣いて……おお! 今のは痛いな」
ルカの恋人は斜め前方で転んだ男の子をすぐ助け起こした。土を払って頭を撫でて親を探して引き渡し。
「小さい怪我なら怪我して大きくなるからうんと大きくなれよ! あんまり泣かなくて強い奴だな!」
「すみません。ありがとうございます」
「おお。美人なお母さんだからしっかり手を繋いで守ってやれよ。格好良い男はそうするからな」
恋人の屈託の無い爽やか笑顔をルカは見惚れたみたいなかわゆい笑顔で眺めている。俺は思わず後退り。こいつは絶対に悪い奴じゃない。
気がついたらルカ達と反対方向に走り出していてしばらくして転んだ。情けねえ。
偶然通りかかった同じ長屋の将棋友人のタオラに「誰か転んだと思ったらジンか。うおっ! お前はなんで泣いてんだ!」と情けない姿を発見されてしまった。
 




