ジン兄ちゃんとルカのお話2
春夏秋冬季節は巡り俺はひたすら雑用。職人の子は8歳から見習いになれるそうだ。
俺なら8歳から炭焼き職人見習いだったらしく、その俺への給与はどうやら両親が懐に入れていたようだ。
酒、博打、色事はこうだとか花街知識に趣味なら釣りだと釣竿を作ってもらったり将棋に囲碁に花札や山登りに絵描きなど俺は良い事も悪い事も人生の先輩達に教わったというか教えられた。
育った環境のせいか俺は金を使おうという気が全然起こらない。なので酒は奢られれば飲むし、博打は損しかしなそうなのでしたくないし、色事は興味津々だけど春画くらい。
年齢が近い奴らと回し読みに参加するには自分も買わないといけないから買った。
花街へは花魁行列を見る冷やかしや格子の向こうの綺麗な女性を喉を鳴らして見るくらい。
待ち合い茶屋ならお互いお金を払わずその場限りとか、連れ込み茶屋ならちょっとお小遣い稼ぎをしたい女とその日だけ安値で遊べるとか教わったけど照れて無理。
同僚のルカとマリアが「初めてのキスは海? 花畑?」みたいな会話をしていたのを耳にしたことがあるので何となくそれは良いなと思っている。
ルカはいつもボサボサ頭で着物もつぎはぎだがマリアは割と綺麗めな格好なので、同僚ならあのマリアとそのうち親しくなってキスとかあるのか?
そういうのを職場結婚というらしいのでたまにそんな事を考えてすぐ止める。
気がついたら17歳になっていて今年も「誕生月だな」と親父達や母親達にその家族と共に俺が暮らす長屋で軽い宴会を開いてもらえた。
俺は自分が生まれた日にちがいつか分からない。
平家でも分かっているやつは分かっているし、俺みたいにそもそも何歳なのかも知らないで育つ家もあるし、10月の何週目の何曜日と決めている人もいるそうだ。
奉公に出るまで誕生月を知らなかったのは明らかに俺の両親は俺に無頓着だからと結構同情される。
一方でヘンリに頭を下げ続けたとかそういう話から「悪い人ではないんだろう。3人目は負担。売るのは嫌。それで捨て奉公を選んだとかか?」みたいに言われる。俺には親の気持ちはサッパリ分からん。
返事がないから金の無駄と思うようになったのでもう手紙を送っていないしそれでも向こうから手紙は来ない。
俺の趣味は釣りと将棋に落ち着き、釣りは「つまんね」と思っていたけど釣れた時があまりに嬉しかったから好きになった。
将棋は気がついたら詰め将棋と職業棋士の棋譜に夢中。
あとは仕事。独り身なのでご飯や洗濯はイサンの家族にお金を払って頼んでいるので任せておかずをもらって家で1人で飯を食う。
風呂屋か川か井戸水で体や髪を綺麗にする。職場の親父達が手に入れた職業棋士の棋譜を並べたり親父達と検討や1人で詰め将棋。
たまに元住み込み奉公人兄弟とぷらぷら散歩や花街へ冷やかしに行ったりうんと安酒を飲んだりしたり、現住み込み奉公人ともたまに遊ぶ。
俺は竹細工職人としての開始が遅い上に割と不器用で発想力も今のところないから職人としては大成しなそうと言われている。
ヘンリにたまに呼び出されて説教されたり褒められる。
最近だと「看板職人は必要だけどお前は縁の下の力持ち。当たり前に見える商品を当たり前のように提供出来ることは大切だ。お前が初めて作ったザルが売れたぞ。堅実は大切で腐らずにコツコツ努力出来るのも才能だ。忘れるなよ」と言われた。うんと嬉しかった。
そんな春。マリアが見習いから職人に昇格した。元服したそうだ。それで恋人と来年には祝言——結婚——するそうで小宴会。
「ジンは所帯を持つ気はねえのか?」
「大旦那さんが20歳には見習いから職人に昇格させるって言っているからレオさんみたいな子沢山じゃなきゃ食っていけるぞ。大旦那さんはお前みたいな奴が好きだから良い縁談をくれるかもな!」
「俺に縁談ですか?」
順調に励んでいれば20歳になったら職人に昇格の話はヘンリにされていて「それまで子をこさえるなよ。責任取れねぇんだから。給与を増やすとかそういう世話は一切しないからな」と言われている。
そろそろ恋人が欲しいな、みたいな気持ちはあるけど迷う。その恋人の作り方がさっぱり分からないけど。
行きつけの店や通り道の従業員や同僚の家族で気になった人に文通お申し込みかお出掛けして下さいと誘うことは知っている。
行きつけの店は昼食を買う握り飯屋。握り飯屋で買わない日は親父達と行く安い飯処。
かわゆい看板娘がいるけど人気者なのは知っているから話しかけるとか文通お申し込みとか俺なんかがしても無理。
なので周りが「縁談」を用意してくれるのを待っている。他力本願を直せと言われるけど直らない。
「ジンさん、いつも片付けしてるね」
「……誰?」
突然かわゆい女の子に話しかけられて動揺。新しめの桜柄の着物で髪の毛は俺にはどうなっているか分からない仕組みでまとめられて竹細工の綺麗な飾り櫛が飾られている。
竹細工だよな? 竹だよな? 竹に見える。木には見えない。でも木か?
もし竹なら竹細工ってこんな装飾品も作れるのか。親父達の誰かに聞こう。
「誰ってルカだけど」
「……ルカさん?」
「マリアさんがお洒落をするのに見窄らしいのは嫌だって大騒ぎして大喧嘩したらお母さんが人から借りてきてくれました。別人みたいってことはつまり似合ってるってことだ。やった」
ルカは嬉しそうに笑いながら俺がしていた食器洗いに参加。春だけど川の水はまだ冷たい。
「手が冷えると仕事にならなくなるよ」
「知っての通り我が家は貧乏だからこのくらいの水温ならお風呂代わりにし始めるよ」
「貧乏? ……えっ⁈ 女の子なのに川で風呂って!」
竹林で小躍りしていたちんまりした女の子から父親レオについて熱心に学ぶ女の子から今はかわゆい女。
なのに川で裸を晒すの? おかしくない? 貧乏でもそれはダメだろう。レオとルカは貧乏なのか。
「住んでる長屋の近くに流れる川にこう布を張るの。反対側の長屋の人達と協力して。小部屋みたいになるからそこが女風呂代わり。屋根に登って覗き見するアホ男がいるから肌着は着たままとか色々」
「へえ。そうなんだ」
俺や親しい友人達は確実に覗く側な気がする。
「家は兄ちゃんがいて皆の親分だから見張ってくれるのもある」
「ルカさんってお兄さんがいるんだ。妹さんはいるよね。竹林で見たことある」
「皆知ってると思ってた。ジンさん知らなかったんだ。まあいつもマリアさんを見てたもんね。残念でしたー。口説かないから他に取られちゃって。マリアさんは良いなって言っていたのに」
それは衝撃的事実。俺は縁を逃していたらしい。それで俺はやはりマリアが初恋だったみたいだ。最近食欲がないなとか今日もやたらと胸が痛いというか苦しい気がしていた。
竹細工職人レオは子沢山貧乏。1男と5女で長男を地区兵官にするべく稼ぐのに必死。皆知ってるのに知らなかったの? と笑われた。
「可哀想だからこのかわゆくなったルカさんがジンさんを慰めてあげる。職場とか安心な人が一緒ならお洒落していいって。家の両親って心配症なんだ。妹がすんごいかわゆくてこの間攫われて売られるところだったの。海に行こうよ! 海でわーっ! って叫んだら多分スッキリするって」
じゃあね、とルカは洗い終わって拭いた器や湯呑みを持って俺から離れていった。
(かわゆくなったルカさんって自分で言うか?)
仕事中は皆喋らないけど合間に何回かある休憩中喋り出す。ルカとマリアは母親達とよく楽しそうに笑っていたけど——……。
(うん。今日のは確かにかわゆい。美人だったのか。格好に髪型もだけど多分眉毛を整えたから? 違う気がする)
俺はその後レオの娘が攫われた話をそれとなく同僚に聞いてみた。本当だった。
「遊楼に勝手に高く売られて借金漬けにされちまうってレオの奴がうんと心配してる」
「そうそう。レオは夜型だからマリアちゃんやルカちゃんを家へ送る係を作りたいみたいに言われてレオの為なら参加してもええって思っている奴らが会議中。マリアちゃんは結納したから婚約者任せでええからあとはルカちゃんだなって」
「ルカちゃんは売られねえよとか言っていたけど今日の姿を見たらそんなことは言えねえ。レオに聞いたけどわざとお洒落させなかったらしいけど年頃だから大反抗されて大喧嘩だって。仕事中は良いとかルカちゃんと話し合ったとか」
「ババア達が私らは? ってうるせえけどババアに付き添いとか見張りなんて要らねえよな。あはは!」
……知らなかった。俺はまだまだ人見知りというか人の輪に溶け込めてないようだ。自覚はある。
なにせルカの年齢が今年で13歳なのも初めて知ったくらいだ。勝手に1つ下だと思っていた。大人びている。
マリアの年齢を知ったのも最近。2人とももっと大人びて見えたけど違った。特にルカ。
「俺も役に立てるなら参加します。暇人なんで」
「休みの日に見学や練習に来るくらいだしな。お前はたまには女と出掛けたりしろよ。もっと遊べ」
「遊んでいるつもりです。少ないけど友人はいるんで」
「いっそルカちゃんを狙ったらどうだ。レオはいい奴でエルさんも面倒見が良い。エルさんそっくりなネビー君と義兄弟だと絶対楽しいぞ。まあだからあのルカちゃんの姿を知った奴は取り合いだ取り合い。ルカちゃんは良い子だからな」
「妹が沢山増えるけどな。帰る家がない代わりに嫁さんの家と大家族になったらどうだ!」
「まあお前が20歳になったら縁談を用意したい奴は俺も含めて多いし大旦那さんもだから貧乏家族に付き合う必要はねぇ! あはは!」
親父達に「俺も考えてるからな」とそのうち俺に縁談がある話をまた匂わされた。なぜ?
そうして季節は変わって秋になり秋生まれを祝うとか月見だという名の単に騒ぎたい小宴会が開かれた。
春から仕事の事以外で話していなかったルカにまた話しかけられた。
春と同じように洗い物中に彼女も洗い物。よく考えたらルカって職場でも雑用を良くしている。お茶を淹れるとか掃除や繕い物など色々。
俺も一度着物がビリッと破けた時に「ルカちゃんが上手いから頼んでみな。貧乏だからお菓子くらいやるんだぞ」と言われて「良いのか?」と思いながら話しかけてお世話になった。
俺とは全然違って丁寧で一定間隔に縫われた着物が返ってきて衝撃的だった。まあ器用なのは知っている。不器用な俺と違って父親似で才能があると良く褒められている。
「ジンさんはいつこのかわゆいルカさんを海に誘ってくれるの? 海に散歩に行くにしては寒くなってきたけど」
「……ええっ⁈ 俺が誘うの⁉︎ っていうか本気だったのあれ。俺を慰めるというか笑いというかそういうのだと思ってた」
「ふーん。そうなんだ。そんなに興味がないとは仕方ない。まあ我が家は貧乏でなんの得もないどころか人生の邪魔だからね。ジンさんは大旦那さんとかお父さん達が素敵な女性を探すって言ってるよ。良かったね。きっとその人うんと幸せになれる」
じゃあね、笑顔で手を振られて茫然。
(その人うんと幸せになれるって俺が旦那で? 俺だけど。それで……そんなに興味無いって……えっ?)
この日から少々混乱して俺はついに住み込み奉公人兄弟としてずっと親しくしている米屋へ転職したノーマにルカの話をした。名前や同僚なのはなんとなく伏せた。
「どう考えても惚れられてる……れた? 惚れられてたんじゃないか? 薄ぼんやりの初恋は自覚した時には失恋。次は無自覚に袖にするとかニブイな」
「そ、袖に、袖になんしてない!」
13歳と17歳ってなんか犯罪的匂いがする。いくら1つ違いに見えるとはいえどうなのか。
16歳元服と20歳になると一気に常識的な気がする。マリアと夫が5つ差だったので余計に。
今から少しずつ話したりしているうちにお互い常識的な年齢になるのか?
「へえ、なら誘うのか。おねだりされた海に散歩。海って遠いな」
「うんと遠いらしいよな。俺まだ見たことねえ」
「はああああ⁈ 歩きでも2時間少し歩けば着くのに1度も⁈ 他地区のやつなんて一生の思い出に見に来たり海を見て帰りたくなくなって移住する奴もいるのに⁈」
……2時間少し歩いたら着くなんて知らなかった。俺は何歳まで世間知らずなんだ?
「知らなかった」
「お前は本当に周りに興味がねえよな。俺のこともだけど。誘われたことがなかったから今夜は嬉しかったぜ。しかも相談事なんて。俺はお前のためなら何肌でも脱げるぞ。金は貸さねえし女の取り合いになったら譲らねえけど。だからその女は見ないでおく」
「俺よく分からねえ。俺なんかに皆優しいっていうか、大旦那さんも職場の親父達も俺に素敵な女性を探してくれる気らしい。俺なのに。素敵な人って俺と2人でやってけないだろ。金も気になるけど俺には頼れる家族がいねえ。困った時にお嫁さんを助けてやれない」
ノーマにベシッと頭を叩かれた。痛い。
「痛いとか言えよ。ぼんやり顔っていうか無視みたいな顔。昔からそう。お前には怒りって感情はないのか? 俺なんてっていうのは家族に捨てられたみたいなもんだから分かるけど頼れる人は沢山いるじゃないか。お前が築いた財産だぞ。もっと人の気持ちを考えろ」
「人の気持ち?」
「お前のために何肌も脱ぐって言ったのに頼れる奴がいねぇとか侮辱だからな。誰が好き好んで嫌いな奴と貴重な休みとか仕事後の疲れている時間を使うかよ! 腹が立つからお前はこれでも食ってろ!」
俺はノーマに口にワサビを突っ込まれた。つんつんして痛いだけではなくて涙が出たのは別の意味もありそう。
俺はニブイから今さらヘンリが言ってくれた言葉の意味を理解した。
『今日からこの店がお前の家。そう思え。困ったり悩んだら俺のところへ来い』
あの日の後からヘンリに呼ばれた時はいつも『来ないから呼んだジン』が前置き。
俺はこうして自分はそれなりに人に好かれていると自覚出来るようになっていった。俺の感情って指摘された通りかなりニブイのだろう。




