ネビー来訪特別編「テルルとネビーとリル」
最近は「リル」に腹が立つよりも「嫁」に腹が立つなので「娘が亡くならずに育った」と思うようにしている。
同じ年頃ではないし姿形も異なるので重ねてはいない。惚けた息子を見てイライラするのは疲れるからだ。
そのリルに「そもそも息子の嫁は誰でも気に食わないらしいので兄ちゃんが結婚したら母と愚痴大会をして下さい」なんて言われるとは思っていなかった。
私に懐いて何でも好意的で嫌味や八つ当たりに気が付かないぼんやり娘と思っていたのにそうでもないらしい。
こうなるとどのお世辞が本心なのか分からないので逆に気分が悪いかも。
剥いたりんごを乗せた器を持って台所から出たら息子が廊下を歩いてきて私の前に立った。
「リルさんに謝罪をありがとうございます。自分は謝りません。どこの馬の骨ってデオン先生が大事にしてる門下生の妹さんです。自分はそう言いました」
「そうですか」
謝りませんと口にしたのに息子は頭を下げた。
「どうせお父さんが動くと思ったんでしょう?」
「ええ。最初からそんなに反対していないですし父上は謎です」
謎ですとはぼんやり息子。まあその判断材料をあまり与えていない。親の贔屓目を抜いてもめざといし聡いから気がつきそうだけどそうでもないらしい。
「自分の仕事や同僚からネビーさんのことを根掘り葉掘り調べてずっと調査中ですから。私優先の面倒くさがりが私を説得したくなるくらいだったということです」
二人で廊下を歩いて居間の方へ移動した。
「父上が調べなければネビーさんのあれこれを知ることはなかったです。囲まれていて近寄れなかったですから」
つまり近寄りたかったという意味だ。最初の1歩を踏み出せなくて最初は相手からお願いしたいという性格は中々変えられないのだろう。
「ご近所さんにもそうですからね。話してもいないのに何にそんなに熱をあげたのかと思ったいたけどあのお兄さんに似ていそうって考えがあったんでしょうね」
「ああ。言われてみればそうかもしれません」
聡いは親の欲目でぼんやりだった。
器くらい持てと思いながら襖の前で正座。息子も隣に腰を落とした。襖を開ける係にしたのならまあ許す。
「——……素性を知らないから遠巻きにして分かってきたから少しずつ付き合いましょうなんて当たり前のことだけどな」
声が大きめなので聴こえる。
「ネビーさんの言う通り母上は悪くありません。当たり前のことで根回しなどを励むべきなのは自分でした。忘れていたは嘘です。デオン先生に説教されて反省しました」
小声でそう告げると息子はまた軽く頭を下げた。謝らないと言って謝っている。すみませんと言いたくないとは天邪鬼。しれっと嘘をつくし父親似のところもあるけどしっかり私似。
親の叱責は「うるさい」なのにデオンだと素直に受け入れるから怪我が怖いから嫌だと思っていても剣術道場へ通わせることにして良かった。
「ご近所同士ならともかく色々違うんだから。テルルさんってリルが言うていた通り優しいんだな」
「かわゆい息子の嫁は誰でも気に入らないらしいよ。だからたまにチクッて言われるけどその何倍も優しくされてる」
チクッて言われている自覚はあったから先程の会話か。
分かりやすい素直な性格なのに暖簾に腕押しでひょうひょうとしたところがあるから時々分かりにくい。
「盗み聞きですか?」
「貴方が襖を開けないこともそうですよね」
「ええ」
リルの兄はよく喋るようになったリルみたいなのかと思っていたけど違った。
息子からの話とリルの性格と夫から「読んで考えて欲しい」と渡された山のような書類に出てくる彼はイマイチ結びつかなかったけど少し話しただけでもう理解した。
何を、と言われなくても何を考えて欲しいのかは分かっている。
それで反対しても「まあまあ」と進めそう。多分今夜だ。なのに忘れて飲み会とは余程娘自慢をしたいのだろう。
亡くした娘とは違うけど娘が戻ってきたみたいだ、と顔に描いてある。
「ばあちゃんと母ちゃんなんて酷いからな。何で孕まされた母ちゃんが息子を誘惑した悪女なんだか。どう考えても悪いのは親父だろう。性格は似ているのに大喧嘩。訳が分からない」
咳き込みそうになって耐えた。
「慎みと言うたのに……」
息子が気まずそうな顔でボヤいた。
「ああ、悪い。ルカにも怒られたことがある。結婚したし良いかなってこういう話題を出したら慎みとか何とか叱られた」
「話題はいいけど言い方」
「俺が結婚したら母ちゃんがお嫁さんをいびるのか? テルルさんみたいだと良いんだけどな。母ちゃんに言うておいてくれ。姑の手本だからテルルさんの真似をしろって」
予想通り裏なんて何もなさそうなので盗み聞き終了。私はリルのお世辞でリルの家族にまで懐かれる。
両親と話した時に既にそんな気配がしたけど当たり。目配せする前に息子は「風呂をいただきます」と移動。阿吽の呼吸とは嬉しいけど「3人で話せ」とは複雑だし自分の家なのに緊張。
「分かっ——……」
「失礼します」
居間へ入って机の上に器を置いた。
「頂き物ですけどどうぞ。息子はお風呂に入るそうで少し失礼します」
「そちらへ行きます」
机の近くに集合。我が家の居間で私とリルとネビーの3人になるとは想像していなかった。何を話せば良いのやら。
リルはうさぎにしたりんごを熱心に眺めてニコニコしている。
2つで北極星うさぎとか考えているかもしれない。リルと息子夫婦。謝罪したのでそうしてみたけどリルのはにかみ笑いにイラッ。するんじゃなかった。
「有り難くいただきます」
! というような茫然顔をしたリルとうさぎりんごを即座に口にしたネビーの美味しいというような満面の笑顔に動揺。
リルはベシリとネビーの手を叩いた。リルの怒り顔は珍しいしそこに暴力とは初めての姿。
「っ痛。馬鹿力リル。何だよその顔。言いたいことは口で言えって昔から言うてるだろう。ムルル貝弁当とか陰湿なんだよ。この間も弁当はすこぶる美味かったけど何で貝殻弁当にしたんだ?」
「兄ちゃん、北極星うさぎはお義母さんのうさぎ」
この発言にびっくり。私?
「えっ? そ、そうだったんですか? すみません。うさぎ? うさぎだったか? ああ、うさぎだな。1匹いる。2匹いたのか。北極星うさぎってなんだよ」
つまり私と夫? なぜその発想?
恥ずかしいので北極星の話は流してもらいたい。その話題になりそうなら会話の邪魔をしよう。
「この間のは旦那様がそうして欲しいって言うたから」
つまみ食い以外で台所に来たから何かと思ったら「揺れて綺麗な3色が崩れると困るので貝殻で押さえられますか?」と渡した弁当を台所へ持ってきた。
先に中身を確認した理由が分からない。
「それは俺を笑い者にするためだ」
?
「陰湿夫婦だな。まあ和ませるためでもあるのは分かるから事前に根回ししてくれ……そうでした。先日は大変美味しい見た目もきれいなお弁当をありがとうございました。ロイさんの手毬寿司には驚きました。デオン先生が作って欲しいと言うくらい大注目でした。すこぶる料理上手なんですね」
「お義母さんはうんと上手だよ」
「何でお前が自慢げなんだよ。ロイさんのお母上だろう」
「うん」
リルのお世辞はお顔もなのでいつもの事。
「息子が事前に根回しとはあのお弁当で何かありましたか?」
「俺を親しい門下生に紹介して親戚で兵官だから卿家の男のようになって欲しいのでご指導お願いしますと頼んで下さいました。その前にかつて笑われた貝殻弁当で笑い取りです。デオン先生がロイさんってこう周りから囲うって言うていたけど要は先読みや計算ですね。上手く人付き合い出来るようにって気遣いに感謝です。バカなので見習いたいです」
私がいると口調がかなり落ち着いているし息子のようなピシッとした姿。
父親は一所懸命丁寧にという意気込みを見せてくれたけど違った。
夫が職人としての姿勢が体に染みついているなと笑っていた。
今のネビーの姿はデオンの指導の結果なのは明らか。バカなのでは彼の口癖なのだろうか。
「かつて笑われたとは何でしょうか」
「俺が妹を小バカにし過ぎて怒らせたら出稽古のお弁当が貝殻だらけで食べるものが全然なかったことがあるんです。大笑いです。ロイさん達とは離れていたけど通りがかりに見た方が話して、皆こそこそ覗いて笑っていたそうです」
そういえば昔そんな話を聞いたような気がする。
「貝殻だけ弁当という方がいました。なぜでしょうかね」と息子が珍しくいつも聞く門下生の名前ではない名前を告げて剣術道場の話をしたから印象に残っている。
つまり私はかつてネビーという名前を耳にしていたと言う事だ。覚えていないから1度きりかもしれない。あの時私は何て答えたっけ?
「帰宅したらしたで家には入れないと。なのに理由を中々言わなくて。テルルさん気をつけて下さい。草履を隠したりとか夕食の品数を減らしたりネチネチしているんです。注意しているんですけど何かあったら言うて下さい。リル、お前は良くしてもらっているんだからテルルさんに陰湿な事をするなよ!」
ベシリ、と軽くリルのおでこが叩かれた。
「もう我が家の嫁ですから頭を叩かないで下さい」
あまりに痛そうに見えたので思わずそう口にしていた。私もおでこをたまに軽く叩いている。狭すぎず広すぎない丸いおでこなのでつい。
「すみません。つい。妹のおでこはなんかこう叩きたくなるんですよね。丸いから? 前髪だ。リル、前髪を作ってくれ。要らないって言うたのにお小遣いを増やされたから整師代をやるから切ってもらってこい」
「整師って何? 前髪は小さい子どもだよ」
整師を知らないの?
胸元くらいの髪の長さだから過去に何度も髪を切っているはず。貧乏だから自分達で切っていたのか。結婚してからは?
ずっと同じ長さなので切っているはずだ。確かに「整師のところへ行きます」という台詞を聞いたことはない。特に気にしたことはなかったから気がつかなかった。
「整師は髪を切る人だ。前髪はなんかなんとかっていう皇女様の髪型らしいぜ。青薔薇の皇女様。周りにやたら増えたから聞いたらそうだって言うていた。いつも同じ長さにするのは自分で出来るけど前髪は無理だろう? 整師に皇女様の前髪って言えばしてくれるんじゃね? 1回すれば自分で出来るだろう」
「のっぺり顔に皇女様の髪型は似合わないよ」
「わりと誰でも似合って見えるから似合うんじゃないか? イマイチだったらハイカラに挑戦してみて似合わなかったのでやめますって言えばよか。話しかけたせいか似合う? とかかわゆい? とか聞きにくるからあしらうの面倒くさい。面倒なことになるから褒めねえけど俺は好みだ。俺はかわゆいお嬢さんを見たいからお嬢さん達やこの辺りのお嫁さん達に広めてくれ」
ネビーはすっかり素に見える。姿勢はそんなに変化ないけど表情豊かで今は呆れ顔。私の存在を忘れている?
あしらいが面倒くさいに面倒なことになるから褒めないか。複数人の女性に気にかけられているってことだ。
これだと調査書の「女っ気なし。色問題なし」の意味が少々変わってくる。
「ルル達と茶屋に行ったからリルは整師だな。後で渡す」
「私はお小遣いがあるよ」
「ならそれで俺になんか買え。飴絵だな。ルル達に見せびらかして宿題をする皇女様が食べるものだけどなって言う。あいつら皇女様みたいに弱いっぽい。しばらくそれで躾る」
思わず吹き出しそうになった。皇女様みたい、とはリルと同じ。
「コホン。兵官から秘密と言われていますがネビーさんはその兵官ですので話します。妹さん達には内密に。私はそのお姫様と話しました。レティア姫様という異国のお姫様です」
「どういうことですか⁈」
リルもネビーも父親似なのでリルがよく見せる驚き顔にそっくり。
眺めているのも何だなと思って会話に参加。
「そんなことが年始にあったんですね」
「私は宿屋ユルルの温泉でそのお姫様と一緒だったかもしれない」
「何だと⁈ どんな裸……ははは。あはは。いやぁ」
ごまかし笑いで視線を彷徨わせるネビーをリルが睨みつけている。
「お義父さんも旦那様も聞き出そうとする」
「ロイさんってムッツリそうだよな。俺の妹に何してるんだって腹が立……いやあ。あはは。口が軽いというか思い浮かんだことをすぐ口にしてしまうので気をつけます。息子さんのそのような姿を見聞きしたことはないので偏見です。失礼しました」
リルはずっとぷくっと頬を膨らませたぶすくれ顔。視線が畳なのでこの不機嫌さは息子に対してだろう。リスがさらにリスになって私は思わず体を震わせて体を丸めた。
「テルルさん?」
「いえ。リルさんがますますリスで……」
「うおっリル。何だその顔。確かにリスがよりリス。食べすぎリスだ。欲張りの方か? 食い意地リスだな。りんごの皮の独り占めするなよ。バチが当たるからな。ロイさんにリス柄の着物があるって聞いたから今度着てくれ」
……りんごの皮の独り占め?
皮は確かに食べられるけど残しておいて食べる発想はなかった。捨ててしまった。
「着ない。ルル達と頭にどんぐりかけそうだから嫌」
「良く分かったな」
「前にした」
「リルさん。りんごをどうぞ。皮は捨てました。我が家では捨てるものだったので」
リルはもう何十回も見ている「衝撃的」というような表情になった。
「皮が食いたいならこれを食っとけ」
皮が食べたいって違う。
リルの口にうさぎりんごが頭の方から突っ込まれた。黙々と噛んだ後にリルは残りのりんごは手に持って口を開いた。
「お義父さん北極星うさぎなのに! お義母さんが食べるものって言うたでしょう⁈」
「おおっ。おおお。こんなに怒鳴ったことってあったか? 余程のことか。その北極星うさぎって何?」
「夫婦円満のうさぎ」
「へえ。そりゃあ悪かった。つまりお二人みたいに夫婦円満になりますようにって俺の将来を祈ってくれたってことか。いやあ、ありがとうございます」
リルの北極星うさぎは私と夫という発想も驚きだったけどこちらの発想にも驚き。
昨年の夏から静かな我が家がわりと賑やかになって年明けからは来客でさらに明るくなったけど今後この家の中はもっと賑やかになるかもしれない。




