12話
ベイリーとヨハネはロイと同い年。同じ高等校から同じ職場に就職した友人。
ベイリーは釣り好きで義父とたまに海釣りに行くという。それで来週土曜日の海釣りに一緒に行くと約束した。ロイが提案してベイリーが「行きたい!」と目を輝かせ、ロイが義父に話すことになった。
その日、夕食をルーベル家でとるということにもなった。ロイから義父や義母へ伝えるという。
ヨハネは甘いもの好き。独身男性では甘味処に入りづらいけど入るらしい。ロイと3人で1区で流行りの甘味処へ行こうと約束。はちみつあんみつの素晴らしさについて語り合った。
4人なのに会話に参加出来て楽しかった。お喋り上手とはニックのような男性ではなく、ロイやベイリーやヨハネのような男性のことだと感じた。
質問をしてくれたり、話題を振ってくれたり、返事を待ってくれる。ゆったりテンポだから私も時々質問できた。
あまりに楽しかったので、ロイに「そろそろ帰りましょうか」と言われて驚いた。時間が過ぎるのが早過ぎる。
会計はベイリーとヨハネが「祝いですから」と支払ってくれた。ロイが「2次会してくれましたのに」と返事をしていた。私もお礼を告げたけど、しっかり挨拶出来たか不安。
ロイが披露宴後の2次会は10人くらい、と言っていたことを思い出す。私と違いロイには友人が沢山いる。羨ましい。
今日思い知ったけど、私に友人はいなかった。誰も「おめでとう」と言ってくれなかったのが悲しい。
それにしても楽しく会話して、褒められて胸の真ん中がドキドキするからベイリーやヨハネにも恋の音?
恋人は1人。つまり恋も1つ。ならニックへの昔の気持ちや、ロイへの今の気持ちは恋ではない?
新たな謎が生まれてしまった。
☆
結婚して2週目。新しい生活に少し慣れてきた。
義母に「家の外に出る時にみっともないと困る。家着でも帯締めと帯揚げと帯留めをしなさい。もちろん髪型も気つけなさい」と言われた。
これは難題。帯留めなどは割烹着で守られる。問題は髪結い用の帯揚げや簪。青鬼灯の簪は絶対に失くしたくないので、家着の時には使わない。
けれども他の髪飾りや簪やクシだって紛失したり落として壊したくない。
掃除をする時に髪に飾りがあるのは邪魔になる。
考えて、玄関の空いている目立たないところに箱を置かせてもらうことにした。中身は手鏡と髪を飾るもの。義母に紅も入れて使いなさい、と言われて紅も入れた。
火曜日、家回りの掃除中に初めてご近所さんと挨拶以外の会話をした。
向かい隣のダルマシル家の奥さん。義母と歳が近そうなベラさん。ちゃんと覚えてる!
「こんにちはルーベルさん家のお嫁さん」
「はい、こんにちは」
「少しは暮らしに慣れました?」
「はい」
「トイングさんの奥さんに聞いたんですけど、天ぷらがお上手なんですってね」
「お義母さんがコツを丁寧に教えてくれました。お義母さんはとても教え上手です。何でも優しく教えてくれます」
「そうですか。それでね、今度天ぷらの揚げ方を娘に教えて欲しいのよ。私は油物は苦手で。本当はテルルさんに教えてもらいたいんだけど、何年か前から手が動きにくくて困ると言うてるから頼めなくて」
「はい。お義母さんにもう1度コツを確認しておきます」
「ありがとう。私からもお嫁さんを借りたいとテルルさんに頼んでおきますね」
「はい」
天ぷらが上手と褒められた! 嬉しい。
興味があってかめ屋の厨房で盗み見したけど、長屋での揚げ方とは違い過ぎるのに手早くて分からなかったので、義母にしっかり習って良かった。
帰宅して、部屋から筆記帳を持ってきて、義母にこのことを伝える。
「そう。ベラさんがそんなことを」
「はい。お義母さんに習った通り、しっかり教えてきます」
「そうですか」
「完璧に真似するのは無理ですけど、教え上手なお義母さんが教えてくれた時のことを思い出せば、あの時のようにすれば上手くいく気がします」
筆記帳を開いて、天ぷらについて書いた頁を見せる。
「覚え忘れはありますか?」
「まあまあ、こんなことをしているの」
「忘れたらお義母さんにお手間を取らせるので、教わったことは何でも書いてます」
「そう……」
義母はしばらく筆記帳を眺めた。他の頁も確認している。
「リルさん」
「はい」
「そろそろ買い物に行かなくて良いのですか?」
「はい。行ってきます」
食費の入った財布を持って、籠を持って、義母に挨拶をして家を出る。
「リルさん、こんにちは」
隣の家の前で、反対側から歩いてきた若い女性に声を掛けられた。ネギがはみ出す買い物籠を持っている。
向こうはこちらの名前を知っているのに、私は知らない。ぼんやりで忘れたのかも。どうしよう。
えーっと、えーっと……セヴァス家だ。挨拶回りの時に顔を見た。ただ、名前は知らない。嫁です、とだけ紹介された。
「セヴァス家の嫁のクララです。初めまして。この間は義母達が会話していて自己紹介出来なくてすみません」
「いえ」
「これからお買い物です?」
「はい」
「お義母さんに聞いたんですけど、お義母さんはトイングさんの奥さんに聞いたみたいなんですが、リルさんは天ぷらが上手だと」
「お義母さんがコツを丁寧に教えてくれました。お義母さんはとても教え上手です。何でも優しく教えてくれます」
本日、同じ会話2回目。義母の天ぷら、すごい。
「今度教えてもらえます? 出来ればそちらの家で。お義母さん、天ぷら好きなんですけど私が揚げると小言ばかりで。かといってお義母さんが揚げても嫁なのに働かん言うんですよ」
おお、これが噂の嫁姑問題というやつだ。クララは苦笑いしている。
「お義母さんにいつなら良いか聞いてみます。家ならお義母さんも助言してくれます。とっても教え方が上手です」
「ありがとう。それから見かけて気になっていたんたけど、その髪型というか大きなリボン? 髪飾り用の風呂敷? どこで買ったんです?」
「髪飾りにも使える帯揚げです。旦那様がかめ屋のご近所のうらら屋という店に連れて行ってくれて、買ってくれました」
「うらら屋。そうですか。今度行って……一緒に行きません? 気になっている東風の甘味屋があって」
突然の誘いにびっくり。これは嬉しい。ご近所の同じ嫁同士でお出掛けとは、誘ってくれるとは仲間になれた気分。気が早いか。
「はい。いつならお出掛けして良いか旦那様やお義母さんに聞いてみます」
「ああ、まだまだ慣れんですよね。いちいち了解を得るなんて面倒くさいけど後々楽になるから頑張って下さい」
面倒だと思ったことはないので、何と答えて良いか分からない。
「そうだ。寄り合いの説明をしたいとか、祓い屋の使い方を教えるとか、ルーベルさん家の奥さんには私から上手く頼んどきます」
「はい。ありがとうございます」
会釈をされたので会釈を返す。なんと、小さく品良く手を振られた。真似をする。嬉しい。とっても嬉しい。
買い物から帰ると義母に「セヴァス家の若奥さんがリルさんに祓い屋のことを教えてくれるそうです」と告げられた。
「出掛ける口実でしょう。あの若奥さんはすぐ口実を作って出掛けますからね」
クララの根回しは失敗みたい。
「教える代わりにうらら屋に案内して欲しいと頼まれました」
「そうですか。出掛けて良いかロイに聞きなさい。何か食べるなら食費から。やり繰りしなさい。家事の隙間に少し出掛けるくらい構いません。自分で時間を作りなさい。用事が出来たら事前に知らせるんですよ」
「はい。ありがとうございます」
「リルさん」
「はい」
「セヴァス家の若奥さんが私の天ぷらの揚げ方を覚えたいそうです。リルさんが手伝ってくれるならお手間をかけませんか? と。来週の月曜日のお昼に来ます」
「はい。お義母さんの天ぷらはすごいです」
「そうですか。リルさん、そろそろお昼をお願い」
「はい」
お昼、お昼。お昼は煌風サンドイッチ。鮭をほぐしたもの、きゅうり、キャベツの千切り、マヨネーズと塩胡椒。ロイが買ってくれた本のおかげで義母の好きな西風料理を作れて、私も新しい料理を食べられる。
パンは七輪と網を使ってカリッと焼く。ロイと行ったミーティアではパンを売っていたので、少し遠出してパンを買ってきた。
☆
水曜日、義母が茶道教室へ行っている間にうらら屋の店員がルーベル家に来ていくつか髪型を教えてくれた。
うらら屋は呉服屋きらら屋の分店。店員ミミはきらら屋の3女。私の1つ年上だった。
もう1人の店員はミミの兄、きらら屋次男のお嫁さんらしい。着物を購入する際はぜひきらら屋をご贔屓にと言われた。
着物を買うお金なんて持っていません、とは言えないので義母にすすめますと言っておいた。
本を読んでもサッパリだった、三つ編みと編み込みを覚えられた。
何の本を買ったのか聞かれ、西風料理の話になり、異国料理に関するお店がある場所を教えてもらった。
☆
土曜日、海釣りの日。朝4時から出掛けるので、更に早起きをして朝の仕事とお昼の準備それから義父とベイリーと私と朝昼のお弁当作り。全て完了。
もたもたして危うく間に合わなくなるところだった。それにしても眠い。でも結婚2日目よりは全然元気。
「リルさん、その格好で行くのかい?」
支度して玄関で義父を待っていたら問いかけられた。
「はい」
「そもそも釣りが趣味というのが驚きだったけど、暑くないのかい?」
「気をつけないと日焼けで肌が火傷みたいになります」
趣味とは知らない単語。
手製の笠には布を縫い付けてある。長屋時代で1番古かった着物。襟首周りには手拭い。下はもんぺ。丈をつぎはぎしたたび。歩きやすいように下駄ではなくて草履。
いつも海に行っていた時の格好。母が使うと渋ったけど、結納品も渡していないんだからこのくらいは持っていくと実家から持ってきた。
「こうまでして行きたいのか。まあ、釣りは楽しいからな」
楽しい? と首を傾げそうになる。私は魚とアサリとイソカニとワカメが欲しい。
出来れば魚は小魚ではなく大きな魚。タラだと嬉しい。鯛なら小躍りして歌う。
お弁当と自分で用意した荷物以外は、義父が全部持ってくれた。立派な釣竿2本、背負い籠、腰に巻いた風呂敷の中身は謎。
海まではなんとまたしても立ち乗り馬車。海にはたまにしか行けなかったけど、いつも2時間くらい歩いていた。ベイリーとは海で待ち合わせらしい。
馬車の中で義父に「可能ならタラを釣りたいです」と話したら、笑われた。
タラは深いところにいるから、漁師でないと無理みたい。知らなかった。
「アジ、イワシ、キス、イカあたりは釣れるだろうけどクロダイが出たら嬉しいなあ」
「クロダイは鯛ですか?」
「仲間です。大物を釣りたいな」
「私はワカメを拾ってアサリを掘ってイソカニも集めたいです」
「そうかそうか。ロイは稀に付き合ってくれるが剣道ばかり。母さんも釣りを好まないから嬉しいな」
他に最近の生活のことを聞かれて答えていたら、あっという間に海に着いた。
ベイリーと合流して2人のおすすめの釣り場へ行った。私がいるので歩きやすい場所、という会話が飛び交う。
低い崖の上で釣り開始。イワシとキスがどんどん釣れて驚き。義父にいつもあまり釣れなかった話をしたら、場所や時間だろうと言われた。勉強、知識が必要な理由を毎日のように感じる。
あと多分釣竿や糸に針だ。義父の貸してくれた釣竿は実に立派。竹を自分で探して削って、糸も探し回って、針も釣具屋に頼んだという。
「リルさんがミミズまで用意してるとは驚きです」
「ベイリー君、私も驚いた」
「昨日の夕方に公園で集めておきました」
「女性で釣りが趣味とは珍しいですよ」
ベイリーがにこやかに笑う。またしても趣味。
「お義父さん。趣味とは何という意味です?」
「ん? 趣味は……楽しくて好むものです」
「楽しくて好むものですか。ありがとうございます」
釣りは特に楽しくないし、好んでも……。
「何か引っかかりました」
「おお、大きそうだ。どれ、助けよう」
「お願いします」
力強い魚のようで、よたよたしていたら義父が助けてくれた。一緒に竿を持ち上げながら後ろに下がる。
重い重いと義父が言っていると、ベイリーも助けてくれた。
釣れたのはクロダイ。鯛! 小躍りして歌おう。




