ベイリーとエリー編 3
中央5区へ行くのはロメルとジュリーの観劇時以来で美術館は人生で初めて。
シホク展を行っているのはダヴィンという古美術商一族が管理する私立美術館で入館料はミーティアの平日ランチ2人分以上が吹き飛ぶと判明。でも今日は無料。
ダヴィン美術館は年明けからシホクの絵をあちこちから借りてダヴィン美術館のシホクの絵と合わせて特別展覧会を開催中。
シホク展は今年いっぱい行われるけど1ヶ月ごとに展示される絵が変化するそうだ。
「リルさん、私立美術館は初めてなのでワクワクします」
建物は煉瓦造りで3階建て。外観だけで既に中が広そうだと感じた。周りの建物も似た雰囲気でロメルとジュリーを上演した劇場周りとはまた違った世界。
「そうなのですか?」
「公立美術館で飽きたり興味なさそうだから高い私立美術館へは連れて行かないと言われて育ちました。成長してからも興味がなくて自ら友人と美術館へ行ったことはないです」
「龍歌廊下で興味が湧いたんですね」
「ええ、シホクの名前は知っていましたけど見たらまるで知らなかったと思い知らされました」
当日券は完売と看板が出ている。人数制限をしているようだけど招待券ですんなり入れた。
外は煉瓦造りだったけど中は木製の建物みたい。床が組み木細工みたいになっている。
天井はうんと高くて龍神王様のような絵と岩山と女性の絵が描かれている。
6本の丸い柱は全て草木が彫られていて着色してある。他にも色々気になるものがある。
壁際には立派な長椅子がいくつか置かれていて座って部屋を眺めて良いみたい。
「おお。建物自体が美術品みたいです。公立美術館とは全然違います。学校……リルさんは分かりませんね。自分が行ったことのある公立美術館は殺風景な建物の中にキチッと絵が飾られて説明書きが書いてありました」
「旦那様、ここをまず見ていたいです。でもシホクの絵も見たいです」
「ベイリーさん、エリーさん。ここで1度解散しましょう。15時の鐘が鳴ったらこちらの部屋に集合です」
エリーはニコニコしているけどベイリーは顔をしかめた。
「ロイさん、何を言うているんですか?」
「先程確認したら再入場は不可です。2人でどこへも行けませんしこのような建物の中では何も出来ません。エリーさんの為にベイリーさんを見張る必要はありません」
「ああ。旦那様。クララさんがそういう事を言うていました。今日の音楽会です。席が離れているけど問題ないって」
「誰かに見られたら困ります」
「招待券をくれた付き添い人も近くにいましたけどで終わりです。自分はリルさんと2人でのんびり回りたいです。そちらも2人で仲良くお好きにどうぞ。嫌ならこの美術館を去るのはすこぶる残念だけど先に帰ります。リルさんと楽しく中央5区観光です」
うんうん、と私は首を縦に振った。ここに来るまでの間にエリーにコソッと頼まれたのでロイにコソッと頼んだ。
ベイリーはロイを睨んだけどその後に苦笑いをした。
「エリーさんに頼まれたんですか? ロイさんは自分の味方だと思っていましたけど」
「無意味に過剰に規則を守って不満を募らせたエリーさんに袖にされるベイリーさんを見たくありません。祝い酒を楽しみにしていて、ぶつくさ文句や愚痴を聞く酒の会は嫌です」
肩を竦めるとベイリーは会釈をしてエリーと向き合った。
「お言葉に甘えてゆっくり観て回ろうか。左右どちらからでも何階からでもどこからでも」
「ベイリー君が折れた。ロイさんだからだ。絶対そう。尊敬してるって言うてるもんね。シホクよシホク。来たことがあるからまずはシホク。時間があればベイリー君が好きそうな刀剣や豪傑像を見よう」
「ん? 美術館って刀剣があるのか?」
「前に言うたのに忘れてるー。このお耳はよく私の話を聞き流すよね」
エリーはベイリーの耳を引っ張った。それでそのままベイリーを引きずって入り口右手側、シホク展はこちらのいう看板の方へ去っていった。
「2人は仲良しですね」
「ええ。それにしても本当にチラッと聞いていた方とは違って驚いています。あとベイリーさん。今日みたいな感じのベイリーさんを知らなかったです」
ロイが照れ笑い気味なのはベイリーがロイを尊敬しているとエリーに話していると知ったからかな?
ベイリーとエリーの姿が見えなくなるとロイに手を繋がれた。前に中央5区へ来た時と同じで他にもチラチラいるので問題なし。
私達は空いていた長椅子へ腰を下ろした。
「リルさん、ここを見てしばらくしたらエリーさんが言うていた刀剣を見てみたいです。係の方に場所を聞いてそこ。その後にシホク展。逆の経路ならベイリーさん達と鉢合わせない気がします」
「そうしましょう。旦那様、あの天井の絵は龍王神様だと思いますか?」
「自分が思うにあれは龍王神様と岩贄乙女かと」
あまりに不作が続くので岩山の洞窟に生贄として捧げられた乙女を龍王神様が助けたというような話があるそうだ。
煌国にはないけど異国では生贄といって生きた人や動物を神様へ供える風習があるとかないとか。
それで神様が助けてくれるのかくれないのかは不明。
「龍神王様は舞や歌などの音楽や酒と言いますけどね」
「風と鷲の神様は生贄がないといけないんですかね?」
「今度強い風がうんと吹いたらプクイカを入れた器を庭に置いて手を合わせてみましょうか。消えるか消えないかで分かります」
「そうしましょう」
座ってまったりしながら綺麗な室内を見るのは楽しい。
「そうそう、職場の歌会の華族の方に聞いたんですけど山桜姫様はあの青薔薇のお姫様の相談役だそうです。アル……なんだっけな。煌国より小さな国。だからリルさんがお風呂で会った異国のお姫様ってあの青薔薇のお姫様かもしれないですよ」
「そうなんですか⁈ 気が付いていたらお義母さんへのお礼……言えません。話しかけられません。2人ともつやつやツルツルの肌で……何でもありません」
説明したらロイの鼻が伸びるし、歌会という龍歌について喋ったり作ったりする会で広められてしまう。
「リルさんふくれっ面」
「刀剣です刀剣。見に行きましょう」
ロイの手をポイッと離して立ち上がった。
「ちんまりリスは迷子になります」
「迷子になっても待ち合わせまでにこの部屋へ来れば——……」
「いやあ、シホクは素晴らしいですね」
「2年も前からあちこちの美術館や個人所有主に頼んで今回の展覧会の為に集めたそうですよ」
わらわら人が部屋内に来てちびの私は人を避けていたら埋もれた。それでトンッと人にぶつかってしまった。
「すみません」
「すみませんお嬢さん。お怪我はありませんか?」
転びかけて私やロイくらいの年齢に見える男性に両腕を掴まれた。助けてくれた後は直ぐに離してくれて会釈をされた。
年末の露店で見かけた帽子を被っている。それに紺色のマフラーに手袋で足元は靴とハイカラ。
隣に立つ男性はハイカラな格好ではないけど高そうな着物姿なのは同じ。着物が汚れたとか難癖をつけられないか心配。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「痛い目に遭わせてしまったお詫びに何かごちそうします。お連れのお嬢さんと一緒によければ。シフォンケーキってご存知ですか?」
お連れのお嬢様ってエリーのこと?
ん? と思ったら右手を取られて西の国風の挨拶をされた。
これは別に嬉しくないし触らないで欲しいので手を引っ込めた。嫌なのは相手の表情が私をバカにしていると感じるものだからだろう。
挨拶の仕方がヴィトニルの仕草と全然違うのもある。義母がユース皇子様にされた挨拶の仕草もこうではなかった。
割と乱暴に手を取られて引っ張られて持ち上げられたし、手の甲にキスの真似ではなくて本当に唇をつけるなんてハレンチ。
「すみません。妻が何かご迷惑をおかけしましたか?」
私の隣にロイが現れたのでサッとひっついて少し後ろに隠れた。ロイは笑顔だけど少し怖い。
「いえ。ぶつかってしまいましたので謝罪していたところです。失礼します」
去り際、2人の男性は「女性2人連れかと思ったら夫婦。結婚指輪に気がつかなかった。若そうに見えて年上だったみたいだな。平凡で大人しそうだから浮かれて付き合ってくれるかと思ったけど西の国風って難しいな。あはは」とか「ナンパだっけ? 急に何をするかと思ったら。遊びをやめないと婚約破棄されるぞ」という会話をした。
やはり私はバカにされたみたい。
「リルさん」
「はい」
「知らない男性について行ってはいけませんよ」
「男性でなくても知らない人には基本的についていきません」
「基本的にって何ですか」
「兵官さんとか火消しさんに危ないから逃げましょうと言われた時です。そういう時は他にも人が沢山います」
「そうですね。その通りなのでそうして下さい」
よく分からないけど西の国風の揶揄いをされたらしい。すこぶる人気の火消しはあちこちで女性に手を振るらしいのでそれと似たこと?
ロイは私の手を握るとギュッと力を入れた。見上げたらすこぶる機嫌の悪そうな表情。
逆なら嫌かも。ぼんやりしていたロイに女性が「お茶でも飲みに行きませんか?」と話しかけるのは嫌。
「立ち振る舞いからして成り上がり系の豪家でしょう。役者とか。変な遊びが流行っているなら町内会長さんに教えないと。調べておきます。全く。異国文化も良いことばかりではないですね」
遊び男は誰でも良いと母が言っていた。格好良いと思っても遊び男は美人から不細工まで何人とも沢山遊びたいアホだから近寄るな、らしい。
近寄ったことはなかったし見たこともなかったけどどうやら遭遇してしまった。
「セレヌさんに会った時にナンパとはどういう遊びか聞きます」
何となくは分かったけど聞いてみたい。シフォンケーキを食べたいです、なんて言ってついて行ったら「のっぺり顔の相手なんてするか」とバカにされたり、噂の連れ込み茶屋でハレンチなことをされたりするのだろう。
昔は手を繋がれたりキスをされるのかと思っていたけど今なら違うと分かる。
ごちそうしますは嘘でお金を払わされるかもしれない。
「行きましょうか。今風どうこうではなくて逸れたら困るから手を離さないで下さい。逸れたら美術館内だったらここ。そちらの柱へ集合にしましょう」
「はい」
ぷんぷん怒っていたロイはすぐに笑顔になった。
「リルさんは単にあの挨拶をされたい訳ではないんですね」
「あれは挨拶ではありません。ユース皇子様がお義母さんにした挨拶やヴィトニルさんが店員さんや私にした仕草と全然違います。ハレンチなことに本当にキスされました」
ぼんやりの私が悪いけど向こうも悪い。ハレンチ!
瞬間、ロイはまた不機嫌顔。
「リルさんの手から顔を離したところから見たのでそれは知りませんでした」
「ハレンチ中のハレンチです。いきなり乱暴に引っ張られてすこぶる嫌でした。迷子になると言われたのに無視したからバチです」
私はロイの手をギュッと握りしめた。ロイはまた笑顔。
「リルさんがポーッとしてついて行かなくて良かったです」
私もロイが「お茶なんて行きません」と女性の誘いを断るのを目撃したら嬉しいかもしれない。
私は背伸びをしてロイの耳に顔を近づけた。ロイは少ししゃがんでくれた。
「旦那様も連れ込み茶屋に連れ込んではいけませんからね」
「ゲ、ゲホッ。連れ、連れ何とかなんて何で知っているんですか⁈」
耳打ちされた。何でってロイが口を滑らせたからだけど。それでどこにあるとか何があるかはクララに聞いた。
「ま、まあ。連れ込むのはリルさんだけです。むしろ今すぐ行きたいくらいです。勝手にリルさんの手にキスするなんて」
その発言に今度は私がケホッという咳をしてしまった。
 




