ヨハネお茶会編 6
水屋に戻ったら誰も居なかったので茶席を覗いた。クララ、エイラ、クリスタが床の間の前に集まっている。
オーウェンはアルトと隣同士で話していて、ベイリーとヨハネとロイはベティとエリーと輪になっていた。
クララとロイにほぼ同時に手招きをされたのでクララとロイを交互に確認。2人ともどうぞ、とお互いに譲り合ったので困惑。
優先は……クララかな。火鉢の上の薬缶は回収されて茶箱は広げられたまま。
板の上に色々乗っていて火鉢の右側にある蓋の上にも丸いものと小さな羽があるので気になるけど今はクララのところへ行かないと。
「リルさん、ロイさんは大丈夫ですか?」
「クララさんに譲ったので後からで問題ないと思います。エイラさん正客をありがとうございました。この後はよろしくお願いします」
「はい。それで大変なんですよリルさん。クリスタさんが沸騰しています」
沸騰? クリスタはお湯になったの?
クララに示されたところ、クリスタの左斜めに腰を下ろした。彼女の左右にはクララとエイラが座っている。
クリスタの横顔はゆでタコみたいだ。確かにこれは沸騰と呼ぶかも。
「色々勘違いだと思います。他の方にも同じことをしているとか、華族に近い方ですから単に流行りを色々と……」
「他の方にもってリルさんが確認してくれてこの間伝えたように誰とも縁結びしてないそうですよ」
「クリスタさん。不安で邪推やへそ曲がりや天邪鬼などは福が逃げます」
クララとエイラを見習って私も続くぞ。
「我慢も良くないです。怖かったら誰かに頼んで根回しです」
私は思わずクララを見ていた。それで伝えようと思って「クララさん」と名前を呼んで耳元に顔を近づけた。
「龍歌には返事です。旦那様から返事がないことを私は怒っています」
「ロイさんから返事が無いのですか?」
クララと体の向きを変えてコソコソ話を開始。
「違います。説明下手でした。アルトさんからクララさんへ返事がないことです。ありましたか?」
「そういえば無いです。ないです。ありません」
クララは膨れっ面になった。年末の喧嘩はアルトが悪い。クララからしか聞いていないので本当はどちらも悪いのかもしれないけど龍歌に返事は必要だ。
「お餅しゃぶしゃぶは我が家のおもてなしで大活躍中です。他にも色々。なので旦那様はクララさんの為に働いてくれるそうです。昨日頼みました。龍歌に返事と言うてええですか?」
「頼んでくれたんですか」
「はい。呼ばれたのはそのことかもしれません。旦那様は私と同じ人見知りです」
「人見知り? まさか家の旦那様に人見知りですか? 生まれてから一緒で5歳以内の幼馴染の範囲ですよ」
「オーウェンさんもアルトさんも尊敬する近所のお兄さん。行事などでは人に囲まれているからあまり近寄れないと。今日は旦那様の友人が2人もいるので旦那様としては好機です」
「尊敬されているなんて言われたらお調子者の旦那様はルンルンです。卿家の跡取り息子中の跡取り息子らしい男。落ち着いていて年長者みたいだから自分はバカにされているかも。誤解があるなら解きたいからお嫁さんから上手く近寄れないかな、とか言うていますよ」
誤解発覚。クララにお願いしますと頼まれて、私もお願いしますと軽く頭を下げた。
エイラの近くへ移動。クリスタをクララに任せてエイラに相談というか根回し。
「エイラさんの時のように、クララさんの為に旦那様に頼み事をしていて先程呼ばれたので行ってきます」
「それはお願いします。クリスタさんはこの後はクララさん、夜までになったら私がお守りします」
「お願いします。旦那様はオーウェンさんを尊敬しているけど緊張するし人気者で囲まれていて近寄れないと。人見知りです。昨年の接待は疲れたけど嬉しかったそうです」
「尊敬? ロイ君は文武両道で品もある理想の跡取り息子。年配者のように落ち着いていて貫禄があるけど周りをバカにしているのか高見の見物。若衆の足並みを揃えて欲しいが言えんとか何とか。昨年お世話になった後に何か違う。幼馴染なのに分からんから飲みに誘うかとか言うていました」
また誤解発覚。エイラにお願いしますと頼まれて、私もお願いしますと軽く頭を下げた。
それでロイのところへ移動。改めてベティ、エリーとご挨拶。それでロイに耳打ちされた。
「先程のヨハネさんと2人でオーウェンさんとアルトさんにご挨拶しました。ベイリーさんにコソッと加勢を頼んだので例の件は今です。リルさんを改めて紹介ということで今から2人にご挨拶をします」
「お願いします」
2人で「少々失礼します」と立ち上がってロイを上座にしてオーウェンとアルトの前に「失礼します」と正座。
「お二人とも貴重な祝日土曜日にご参加していただきありがとうございます。アルトさん。中々機会がなくて遅れましたが昨年迎えた妻のリルです。クララさんには大変お世話になっています。ありがとうございます」
「改めましてリルです。クララさんは嫁いだばかりの誰も知り合いのいない私にすぐに声を掛けてくれて、今も優しく親切にしていただいています。ありがとうございます」
あぐらだったアルトが正座をして「こちらこそ妻がお世話になっています」とお辞儀をしてくれた。朝食の洗い物をしながらロイと練習したから大丈夫そう。
「オーウェンさん。我が家で相談に乗っていただいた際は情報共有不足でお礼が遅くなりました。エイラさんと彼女のお母上に現在のお母上は余所者嫁が早く馴染めるようにと声を掛けたり誘ってくれたりしているそうでありがとうございます」
ロイは練習しなかったから何て言うのかなと思っていたけど、しれっとブラウン家の奥さんの株も上げてくれた。
何もしてもらっていないけどエイラの為になるから助かる。
「エイラさんにもクララさんと同じようにとても優しく親切にしていただいていて心強いです。ありがとうございます」
オーウェンはあぐらのままだけど深々と頭を下げてくれた。
「こちらこそお裾分けに旅行土産などありがとうございます。おまけに今日は旅館の料理人に頼んでヒシカニ汁などを振る舞われるとか」
「自分は海釣りは留守番で釣りに行ったのは旅館の方と父達です。嫁や今日招いたベイリーも同行していました。噂のイーゼル海老を狙うと言うて早朝から出掛けたんですが、目を付けた岩場はその日ヒシカニの寝床だったようでヒシカニばかりとれたと」
アルトとオーウェンが目を丸くして同時に私を見た。何?
「お嫁さんも海釣りへ?」とアルトに上から下まで見られた。
私、クララに海釣りや川釣りへ行ったことを話したこと無かったっけ?
ないな。エイラにもない。毎回違う話題で盛り上がっている。釣りのお裾分けは基本的に義母が采配していて彼女達の家に何かを持って行ったことはない。
「昨年は父と共に海釣り1回。山に川釣り3回です。妻は釣ったりとったりしたもので料理をするのが趣味です」
「大人しそうな方だと思ったけど溌剌な方なのですね」
またアルトに上から下まで観察された。この話題だと話が龍歌へ続かなそう。
「ええ。健脚なので両親が祝言と出世祝いとしてエドゥアール温泉街への旅行を贈ってくれました。その前に記念に龍歌を贈りました。妻は龍歌をまだ勉強中なので古典や百取りから返事を探して欲しいと頼んだのですが、その際もクララさんとエイラさんに大変お世話になったと聞きました。バカにせずに親身になっていただいて大変嬉しいです」
これがタイミング。ロイはいつもすごい。でも無表情なので人見知りを発動している。人見知りだと知らないとすまし顔とか緊張してなさそうと思うかも。
21年間、もうすぐ22年間この町内会で暮らしているのにご近所さんに人見知りなのは私と似ている。私も16年間長屋で人見知りをしていた。
「龍歌には返事という基礎も知らなくて教わりました。今は読み書きの練習に付き合ってもらっています。ありがとうございます」
「ロイさんは龍歌がお得意でしたよね。何て贈って何て返されたのですか?」
アルトはずっと微笑みなので「龍歌には返事」と伝わったのか不明。
「すみません。愉快な話が聞こえたので混ぜて下さい。ロイさん、そのような面白い、もとい役に立ちそうな話を教わっていませんよ」
ベイリー、このタイミングで加勢に来るの?
彼はロイの隣に腰を下ろした。
「いや、このような人数の前で披露は……」
「ロイさんの人見知りはご近所さんにもですか。職場でも愛想を身に付けろと怒られているのにその表情筋の動かなさ。出勤時も帰り道も拗ねたりぶすくれたりニヤニヤしたりと忙しいのに」
あはは、とベイリーはロイの背中をバシバシ叩いた。これは加勢というより単に揶揄いに来た?
ロイがご近所さんにも人見知りという話をしてくれたから加勢は加勢か。
「やめて下さいベイリーさん」
「それでお嫁さんに贈った龍歌は何ですか?」
「記念にと言いましたが父や同僚達が家飲み中に詠めと言われて照れた不恰好な歌です。流行りを混ぜて本人に龍歌らしく伝わらないかと試行錯誤です。あー、はい。あの、照りもせず曇りも果てぬ秋の夜の月の兎にしくものぞなきです」
ロイの声は徐々に小さくなっていった。オーウェンとアルトが顔を見合わせて顔を斜めにしてベイリーも首も捻った。
「その、旦那様は後日改めて桔梗に結んで贈って下さいました」
私も小さな声しか出なかった。
「桔梗に結んで……」
オーウェンの顔が怖くなった。怖い。オーウェンが俯く。
「お嫁さんは何と返したんですか?」と怖い表情のオーウェンに尋ねられた。
「ちはやぶるです」
アルトにクララへ龍歌の返事のことのはずが何か恥ずかしいことになっている。
「景色の龍歌の贈り合いなのにそのご様子だと違うみたいですね。さっぱり分からないので教えて下さい。そうそう、エイラさんとヨハネさんも。色々と趣向を凝らしていて分かり合っているようでしたけど自分はそういう事は苦手でして。それもどなたか解説をお願いします」
ひゃあ。アルトの発言に私はびっくりしてしまった。解説をしたらロイと私にヨハネとクリスタもとてつもなく恥ずかしいことになる。
「ではロイさん」
笑顔のアルトに促されてロイは拗ね照れ顔になった。先輩若旦那にこう言われたら断れなさそう。
「あー、はい。昨年公開された満席完売のお芝居ロメルとジュリーの話を耳にしまして、友人が冊子を見せてくれました。劇中に出てくる台詞があります。今夜は月が綺麗ですね。意味は常人の恋ふといふよりは 余りにて我は死ぬべくなりにたらずや、と。それで華族では比喩が流行りで、照れ隠しによかかなぁと」
北区言葉また出てる。消えたり出たり面白いけど今は羞恥心の方が強い。
「なのでまあ、満ち欠けしない決して姿を消さない秋の月うさぎは良いと。父のご友人に何だこの歌はと言われて、特に月を綺麗だと思いましたのでと言いました。妻だけが気が付けば良くて、冊子を借りて見せるつもりでした」
手汗が出てきた。顔も熱い。ロイはオーウェンみたいに怖い顔になっている。
つまりオーウェンもエイラに龍歌を桔梗に結ばれたことを思い出して照れたということかな?
「妻は見ての通りうさぎというよりリスというか……。しかし月を入れるならうさぎかと……」
カンカンカン! カンカンカン——……と11時の鐘の音。あと1時間で共同茶室から出る時間。そろそろ全て片付けてエイラに盆略点前を見せてもらう時間だ。
「気が付いた父の友人が観劇券を入手して下さいました。妻へ冊子を購入して贈ったのでご興味あれば読んでみて下さい。桔梗に結んだのは花言葉と龍歌があるからです。アルトさん、もうよかですか? あの、さすがにもう限界と言いますか……」
「ええ。突然恋愛結婚したのにも驚いたけどロイ君はこういう熱烈というか、細やかというか……ちはやぶる? それで返事がちはやぶるとは浮かばれないというか何というか」
アルトに「えー、不服」みたいな顔をされた。既に恥ずかしいのにさらに恥ずかしいことになるから説明したくない。
「旦那様、ちはやぶるは紅葉草子です」
クララが助けてくれた。
「紅葉草子? 悲恋物には興味を持てなくて読んだことがないから分からないけど何か関係あるんですか?」
「帰ったらその頁だけ見せます。景色の歌に景色の歌を返して中身も似せたということです。勉強中でまだ作れないからわざわざそういう歌をうんと探したということです。ちなみにリルさんは他にも色々趣向を凝らしたものを贈りました」
クララの発言にうんうん、とエイラが頷いてくれた。友達だ。多分これは友達。ベイリーがヨハネやロイにしたことと同じようなことをされた。嬉しい。
「ええ。妻は紅葉は思い出だと言うてくれました。結婚2日目に散歩した時の紅葉は天ぷらにしてしまったけど今は出来ませんと」
「旦那様、秋になったらまた天ぷらにします」
「ええ⁈ 天ぷらにするんですか⁈」
何で驚いたの?
この話はした気がする。近所の公園の紅葉は天ぷらにする。ちはやぶるの思い出のある公園の紅葉は天ぷらにしない。
「はい。綺麗で美味しいです。星みたいなので2枚並べて北極星です」
「ああ。それならよかです。ずっと夫婦でいましょうという意味なら食べます」
ロイと笑い合った後に「……」となった。
2人きりではなかった。ロイの「天ぷらにするんですか⁈」でいつも通りみたいになってしまった。
「へぇ。ロイ君って家の中ではそういう感じですか。意外。オーウェンさんは知っていましたか?」
「いえ。家に招いていただいた時もこのような姿は見ませんでした」
クララを手助け作戦は失敗。私達が恥ずかしい思いをしただけ。いや、ロイの人見知りなどがアルトやオーウェンに少しは伝わったと思うのでそれは収穫。
「自分達の前では今みたいです。ですよね、ヨハネさん。ヨハネさん?」
ヨハネに視線が集まる。ほんのり赤い顔でぼーっとしている。
そのヨハネの目線はクリスタで、彼女は紅葉みたいに赤くなって俯いて微笑んでいた。
本格縁談に移行だと、ヨハネがクリスタに結婚お申し込みをして家歴などを伝えてクリスタが了承すればお見合い開始。
両家で結婚条件を提示してすり合わせながらお出掛けを重ねて期限までにクリスタが結納するかしないかを決めるという流れのはず。
この場の誰がどう見ても2人は半結納か結納しそうな気配。
「鐘も鳴りましたし出掛けましょうか。皆さん本日はありがとうございました。失礼します」
クララのその一言で解散!




