海釣り編「交渉成立」
高く売るつもりはないというかバチ当たりが怖いのに、こちらは釣り合ったと思っているのに安くて嫌そうにされる事もあるのか。
高いなら分かるけど安くても嫌とは難しい。
「自分なら喜んで小型金貨2枚で売る。むしろ全部つけて縁起の良い数字だから小型金貨3枚寄越せと言う。しかし漁師に売ってもらったのは嫁だ。大副神カニなんて聞いたから怖い。リルさん、少し歩み寄ってやってくれ。大変不服そうだ。大副神カニがかめ屋に怒ったら困る」
うーん。困った。2銀貨で買ってかめ屋にもう色々つけてもらった……。
「2匹で4銀貨です。旦那様の通う道場と兄がお世話になっている6番隊にも何か振る舞って欲しいです。簡単にでええです。出汁が沢山出るらしいので汁物、カニ味噌酒が美味しいらしいのでお酒とか。食べた後洗って干した殻でもう1回薄出汁が取れると言っていたので殻は全部下さい。細々と使います」
父の店や実家周辺には実家が振る舞えば良い。言わなくてもそうしそうだ。
ルーベル家のお陰でかめ屋が来たら大騒ぎになってあれこれ頼まれたら我が家にも実家にも迷惑がかかる。
あの辺りでかめ屋を宣伝はあまり意味がない。
ジンが毛むじゃらカニは明日長屋で大宴会かなぁ、今夜は死んだイカやムルル貝のお雑煮と言うていたから、明日実家から誰か来るから父達のお店に必ずお裾分けした方が良いと伝えよう。
「詳細や日程はまた後日。仕事帰りにでも来る」
「だから安い! 店の宣伝をする大義名分を貰えて宣伝場所が増えただけだ! 不服だけど買い手に売らんと言われたら手打ちにするしかない。それにさっき見た時に見たことのない魚がいた。それも毛むじゃらカニみたいな隠れ魚だろう。あの丸太みたいな青魚は何ていう魚だ?」
「メジガロと言うていた。赤身の魚だと」
「メジガロ⁈ 毛むじゃらカニだけではなくてメジガロ⁈ 気に入られたから売ってくれたのか? いやメジガロなんて知らないだろう」
「嫁が貰った。これも何かあるのか?」
「怖い話はない。メジガロは脂っこいクソ魚と嫌われ魚で売れないから海に返していたらしい。漁師もたまに食っていて料理人や商売人で好む者は買っていた。海の知識は多いと思っていたけど最近まで聞いたことはなかった」
「珍しい魚ってことか」
「ああ、元々多くとれないらしい。西風料理などで濃い味にも慣れてきたからか最近皇族や上流華族に人気が出た。それで今はわざと高値で売られている。下々にも広がったら値段を下げて売るから今は待てと言われている。だから実物を見るのは初めてだ」
「花カニを釣ったカゴを売ったらくれたぞ。セイズとあさりと海老とタコのあしもおまけでくれた」
「カゴ? カゴで釣ったのか? タコやカニを釣ったとは変だと思っていたけどカゴ?」
義父が説明。義父がヒシカニは浅瀬の岩場にいることもあるけど手や網では中々難しいと調べてくれて2人で考えた。
「そのカゴを作るか買って増やして漁の網につけたり何やら試すんだろう。4大銅貨にメジガロその他って安い。リルさんはともかく一緒にいたんだろう? ガイさんは交渉下手だな」
「おお。それならコソッと嫁の父親や店を宣伝しておいて良かった。そんな気がして一応話した」
コソッとは私が知らないうちってことかな。エドゥアール温泉街で大宴会への布石。私は疲労その他で忘れていたから義父がいて良かった。
「そうだ。すっかり忘れていた。リルさんが世話になっているからと贈られた花カゴに目を止めた客がいた。職人は誰かと聞かれたんだ。先週だ。店や彼の名前を聞いていないからガイさんに聞かないとと思っていた」
「疲れていて帰りたいから今度にしてくれ。交渉下手と貶したり喋り続けるならカニを売らんぞ」
「その面倒くさがりや後からというのを直さないと商売人の後ろ盾や経営者にはなれないからな! イーゼル海老はおまけではないのか。つまり買わされたんだな。毛むじゃらカニと差し引いたらもらったようなものか。いくらで買った」
「最初、リルさんなら6匹で3銀貨と言われた。花カニの釣りでたまごを買いたいから2銀貨しか使えない。だから4匹で2銀貨と交渉したら6匹で1銀貨と1大銅貨になった」
「はあ?」
かめ屋の旦那は私を見て義父を見て私を見た。
「ちなみにそこにいる息子の同僚ベイリー君は事務官さんだからまけて6匹6銀貨と言われた」
「や、安っ⁈ リルさんはうんと安くされているし理由はもう分かったけど、そちらのベイリーさんも安っ!」
チラッと見たらベイリーは目を大きく見開いていた。
「リルさんの兄は推薦兵官だろう? その船着場の漁師達が彼を知っていた。こちらから話したのではなくて聞き出されて発覚だ。12月にその辺りで少し活躍したらしい。その話も加わって5人全員何でも好きなものを売る。特別価格だと言うてくれた。イーゼル海老は小さいものを用意したから安く出来るって言われた」
「その通りで小さい。海に帰すか帰さないかギリギリの大きさだ。しかしその大きさのイーゼル海老を1匹1銀貨にするには何度も通って何年か付き合って信用を得ないとならない。それも不足していない日の値段だ。老舗でも代替わりしたら交渉はやり直し。料理人を介すとか他にも色々あるし金を積めば買えるけど高級食材を安く仕入れるのが俺達家族や幹部達の仕事だ」
かめ屋の旦那は呆れ顔をした。何に呆れたんだろう。
「他には何を買った」
「嫁は何も。イーゼル海老6匹を同行者に配った。我が家と実家に2匹。自分の同僚とベイリー君に1匹ずつ。2人は悪いと言うて1銀貨を嫁に払ってくれた」
「つまりリルさんは儲けたんだな。漁師はそれを見ていただろう。何か言われたか?」
「他の漁師が花カニに好かれた卿家のお嫁さんのイーゼル海老が2匹減ったから2匹やるとくれた」
そうなの?
それは知らない話。
「お義父さん。私はその話を知りません」
「リルさんが毛むじゃらカニやメジガロの事を教わっている時だ」
「花カニに好かれた卿家のお嫁さんか。その言葉が全てだな。正確には大副神カニに好かれた卿家ルーベル家のお嫁さんだ。その船着場でリルさんの名前は知れ渡る。身分証明書でガイさんとロイ君。リルさんの兄のジンさん推薦兵官の兄とそちらのベイリーさんとガイさんの同僚も全員だ」
「それならこの量のムルル貝や小さいホタテ貝も安いですか? リルさんに出汁は氷蔵で持つ。身も佃煮にしたら長く持つ。干物という手もあると聞いて漁師に量を相談して言い値で買いました。おまけで大きいアサリをくれました。1銀貨です」
ベイリーはウミナゴを掴んで掌でカゴの中を示した。かめ屋の旦那がカゴの中を覗く。
「悔しい程安いです。蛤が入っています。アサリはいません」
私は思わずベイリーのカゴの中を覗き込んだ。
「小さい蛤です。沢山います」
「ええ。ベイリーさん。これはアサリではなくて小さい蛤です。良い方向に騙されてます。遊ばれたのもあるでしょう。と、なると」
かめ屋の旦那は我が家のカゴの中からメジガロとセイズを引っ張り出した。かなり重いのに力持ち。
我が家のカゴは重いからとジンやベイリーが運んでくれていた。
「アサリもいるけど蛤もいる。リルさんは……知らなかったと」
「はい」
「海老ってマワリ海老か」
「しま海老ではないんですか? 海老フライを作るからしま海老が欲しいと言いました」
「似ているけど尻尾の形が違う。似ているのに味がかなり違うから騙される人は騙される。これも良い方向に騙されたってことだ」
しま海老は安めで美味しい。さらに美味しい海老ってことだ。
「それは親切です。カゴで釣ったウツドンという怖い魚も捌いてもらいました」
「聞いたこともない魚だ。調べる」
私は箱に入れてもらった切り身を見せた。それから蛇みたいな長さで怖い顔の魚だったとか色や模様も伝える。
「ベイリーさんのカゴに何匹かいてここにも1匹いるハジキイカは? これをもらったり買わされたのは変だ」
「ハジキイカと言うんですね。それは釣りました。ウミナゴとカサゴとワカメも釣りです」
「ジン兄ちゃんが10匹も釣りました。それで1匹もらいました。普通に煮ると固くてあまり美味しくないからうどんを踏むみたいに踏みまくって少しの砂糖水に1時間くらい浸した後によく洗って料理するとええって教わりました」
「へえ。料理人なら知っているかな。聞いたことないな。白イカ買わずに赤イカ買うのはバカとアホと言うけどなぁ」
「気持ちは分かるがいい加減帰りたい。荷運びの手配をしてくれ」
義父はかめ屋の旦那にメジガロとセイズを戻させた。
「ついつい。ガイさんまた改めて話を聞かせてくれ。用意してくるから表の長椅子でくつろいでいてくれ」
旦那に促されて店前の長椅子に腰掛けた。花嫁修行中に毎日拭いた椅子に腰掛ける日が来るとは感慨深い。




