海釣り編「卿家とカニ」
漁師バレルは私がお嬢さんではないのは悲しいみたい。義父やロイが山桜姫に憧れや期待を抱いていたのと似た気持ちだろう。
義母の『呆れた。男はアホですね。ねえリルさん』という台詞が蘇る。
でも私も家の前を箒で掃除していてフィズ皇子やユース皇子みたいな格好の男性に道を尋ねられたらドキドキ、ソワソワするだろう。
人気火消し、人気兵官、人気役者などに女性達がわらわら集まるのと多分同じ。
忙しかったし背が小さくて集団の前へいけない性格だから人気者達を近くで見たことはない。
母に「不幸になるから遊び男に近寄るな」と言われていたのもある。
「妹は職人の娘で卿家の嫁です」
「き、卿家のお嫁さん⁈ 商家のお嬢さんってことか! そうだよな! その格好はお嬢さんだ! 卿家のお嫁さんも釣りをするのか!」
バレルの表情が明るくなって嬉しそうになった。彼は私を見ているので返事をしないと。
「はい。私は川釣りも海釣りもします」
「川? 海にしろ海。海は素晴らしいぞ」
「はい。大好きです」
さらにバレルの顔が明るくなった気がする。すこぶる機嫌の良さそうな笑顔。漁師だから海を好むのだろう。
「鮭といくらと栗とキノコとりは山や川です。でも海はすごいです。色々とれます」
日焼けは嫌い。油断すると火傷みたいになって痛くなるからすごく嫌と言うと海が嫌いと誤解されそうなので言わない。
機嫌は悪く無さそうだけど毛むじゃらカニ4匹は結局売ってくれないのかな? むしろ2匹も怪しい気配。これはまるで魚屋との戦いみたい。
ジンをチラリと見たら顎でバレルを示された。カニが欲しいって頼めってことかな。つまりタイミング探しをしないといけない。
「ん? 卿家ってそんなに節約するのか?」
「節約は大切です。食材が沢山集まって色々な料理を作れるのは楽しいです。浮いたお金でたまごを沢山買ったりパンやマヨネーズ、にんにくやバターなど少し高いものが買えます」
お金がないと思われたら金づるではないと思われそう。売ってもらえなくなる。
嘘はつかないようにするけど小金持ちと誤解してもらわないといけない。
魚屋と同じでここは嫁の戦場みたい。人見知りやぼんやりだと我が家の品数が減る。
「パンは知っている。食パンだ。納豆も焼き魚も合わなくて食べ応えもないから俺はもう食いたくねえ。嫁が西風はハイカラだからと言うけどハイカラだからではなくて美味いと言わんのが気に食わない。店は嫌だと言ったら食パンを買ってきて説得されたけどパンがあれなら西風料理の店なんてますます行きたくない。マヨネズ? にんにく? バターも知らないな」
「西風料理には米料理もあります」
「へえ。そうなのか。それなら1回くらい嫁のために行ってもいいな。不味いかもしれないのに高い店に行くのは嫌だけど米料理もあるなら考えてみよう」
「米料理はリゾットやドリアです。ムニエルやアクアパッツァにもお米が合います。日替わりであるか分からないけど平日の昼食なら6銅貨というお店があります。南3区5番地のミーティアというお店です。親切なのでパンは嫌、白米がええと言ったら出してくれるかもしれないです」
バレルが目を大きく見開いたので安くて驚いたのだろう。
「まさか。嘘つき嫁か? いや卿家のお嫁さんか。隣の5番地か。遠いけど近い」
「ハンバーグみたいな高い肉料理はないです。11時からですぐ満席です。16時で1回お休み。夜は18時からです。夜や土日はお品書きが増えるけど高くなります。代わりにお肉料理や種類が増えます」
「お嫁さんはその店の回し者みたいだな。まあ覚えておこう。卿家のお嫁さんも行った店と言ったら喜ぶし西風料理なのにその値段は安過ぎる。その値段なら試しに食べてもええ。5番地とは広すぎるけど具体的にはどこだ?」
カニを買いたいのに特に得しないミーティアの宣伝部隊になってしまった。
むしろさらに混むことになったら長く並ばないといけなくなる。これは話下手、交渉下手過ぎる。
「細かい住所は覚えていなくてすみません。かめ屋はどこですか? と聞けばかめ屋に到着してミーティアは? と尋ねれば見つかります」
「かめ屋にミーティアだな」
「ミーティアで聞けば近くにある西風料理に使う材料を売っているお店を教えてくれます。本屋で家庭で作れる西風料理本も売っています。漁師さんならアクアパッツァやムニエルを作れます。にんにくは龍煌料理、タタキに混ぜるとか佃煮に少し加えるとか使えます。ただ少し臭いです。バターは切り売りしてくれて冬なら溶けないです。貝のにんにくバター醤油焼き混ぜご飯はおすすめです」
もう喋り疲れてきた。こんなに喋ってもカニを売ってくれに繋がらない。いや、ここからカニも西風料理に使うはずから売って下さいかな?
疲れたから1回休憩。にんにくの話なんてしないでそう言えば良かった。
カニは東風料理だけど……ミーティアで聞けば良いのか。カニを使った煌風の西風料理はありますか? って。
「卿家のお嫁さんは、せ、せ、西風料理を作られますか! 家で作れるのか! 料理だから作れるか。今教えてくれたな。そのアクパツァ? ムニエル? ここら辺にはまだ西風料理店はない。出来ても高いし品書きを見てもどんな料理か分からない。だから入る奴が少ないのかすぐ潰れる。家でも作れるとかええことを聞いた」
私も初めてミーティアへ行った時サッパリ分からなかった。
海の近くだから安く仕入れたら魚でアクアパッツァにムニエルなど色々作れそうだけどすぐ潰れるのか。商売って難しい。
「家庭用の本を買ってから遅めの空いている時間にミーティアへ行けば親切なので色々教えてくれます。本格的な味付けや西風の出汁は秘密で教えてくれないし売ってくれません」
ここまできたらバレルのお嫁さんが西風料理店へ行けるようにする。きっと喜ぶ。顔も知らないけど嫁仲間は嫁仲間。
「知識は宝と言うけどその通りだな。こんな話は中々聞けん。料理をしていることにも驚いたけど、卿家のお嫁さんって毎日何をしているんだ?」
卿家の嫁は料理をしないと思われているんだ。毎日外食していると誤解されているみたい。
「新米嫁なのでまだ料理洗濯掃除買い物に繕い物などの家事や勉強です」
「漁師の嫁と似てるな。つまり卿家って手伝い人はいないのか?」
毎日外食ではなくて作る人がいると誤解されているのか。
「全部の卿家かは知りません。我が家はいません。話を出来たご近所さんの家にもいません。知り合いの華族に近い卿家にも手伝い人はいません」
ヨハネの家は母親と義理の姉が家守りをしていると聞いている。バレルはまたガッカリしたような表情になった。
「俺達は卿家の役人じゃないとあまり相手をしない。雰囲気が違くて尊敬出来るし話が分かる奴が多いからだ。金があっても売ってもらえなきゃ食えないのに道理も分からずふんぞり返っているような他の家の役人はあまり好かん」
ここでも登場、卿家は時に華族より勝る。漁師にふんぞり返ったら海の物が食べられなくなるけどふんぞり返るんだ。
身分証明書を見せろ、華族なら売らないとかされたらどうするんだろう。
確か教科書にそういう事が書いてあった。漁師や農民にはそういう権利があってそういうことは農林水省の仕事。
「身分証明書は要りますか? 毛むじゃらカニを4匹売ってもらえますか?」
上手く話してタイミングを作るのは放棄。私には無理だった。喉がカラカラなので瓢箪水筒の水を飲みたい。
「兄ちゃんに見せてもらった。許可証と一緒にな。世話になっている兵官さんの親玉、煌護省のお役人さんならタコくらい代わりに売る。毛むじゃらカニは花カニに選ばれたお嫁さんだから特別だ。ん? 義理の兄と釣りでこの兄ちゃんの弟、お嫁さんの旦那は何だ?」
疲れてヘロヘロなので隣に立つジンを見上げた。助けてって伝わるかな?
「俺は職人です。妹の実家に婿入りした身なので義理の兄です。勘違いさせてすみません。身分証明書と許可証は妹の新しい父のものでイーゼル海老の釣竿や妹の釣竿を見張ってくれています。ジッとしていると寒いし船着場は楽しいし、尊敬する漁師の仕事も見られるので行ってくると良いと言うてくれました」
そうだっけ?
義父は優しいからジンにそう言ったのか。小間使いにしたけどそれだけではないということ。
「へえ、それで旦那は?」
「妹の夫は母親の通院の付き添いで一緒に来ていません」
「そうじゃなくて旦那はどこで働いている。先に聞けば良かった。うっかりだ」
バレルの機嫌が悪くなった。卿家は時に嫌われる。嫌いな役人と同じ勤め先だと嫌がられる。
毛むじゃらカニを2匹買えるどころか、まだ取引していないから買えないかも。身分証明書は要りますか? の一言で努力は水の泡疑惑。
「中央裁判所勤務です」
私はバレルに身分証明書を見せた。
「裁判所か。裁判官なら分かるし世話になっているけど事務官って何をしているんだ?」
「裁判の結果をまとめたり内容を確認したりです。おかしかったら再度裁判や再調査をしなさいとか。旦那様はまだ下っ端なのでその手伝いです」
私もまだまたよく分かっていない。国の仕組みという基礎を勉強中でロイの仕事についての勉強不足。
もっと勉強するからこれ以上詳しく聞かれませんように。
「再調査……不服で腹を立てていたら再調査になってしっかり調べ直してくれて不当な扱いがひっくり返ったことがある! 俺じゃないけどな! 裁判官は卿家じゃないと嫌だ、だけじゃなくて事務官も卿家にしろと言えばええのか!」
最近のロイの残業ってこういうことも原因?
私が祓屋から戻ってからロイは離れに放り投げられている。残業続きで説教に折檻が加わった。
「ええことを知った。そういう旦那のために毎日重労働の家事。そういう旦那の母親の病気は治さないといけない。しかも父親は兵官の親玉さん。真冬の海のこの辺りにこのお嬢さんとは眼福だしこんなに喋っちまった。毛むじゃらカニを4匹探してやろう。何で卿家は手伝い人も雇えないんだ。華族からもっと税金を取るべきだな。集会で話して組合から意見書を出そう。役立たず役人をどうにかしろ、裁判所の卿家の給与を上げろ。俺達が困る」
卿家は時に華族から嫌われるとはこのことか。
だから華族は卿家に嫁を出したり婿を出したりすることに繋がる。
下手な華族と繋がると卿家は足を引っ張られる。よく分かっていなかったけど勉強になった。
「名指しだ名指し。もう1回身分証明書を見せてくれ」
見せるしかないので見せた。ロイに言わないと。名指しされて漁師の信用を裏切ったら恐ろしいことになる。
それにこれで残業が増えてしまったらさらに説教に折檻なので内助の功と逆になる。謝るしかない。
「卿家ルーベルだな。兵官親玉はガイで事務官はロイ。お嫁さんはリル。南地区本庁に中央裁判所って格上卿家なのに手伝い人無しってどこの誰だ税金泥棒は。意見書だ意見書。腹が立つから税金泥棒っぽい相手の店や料理人にはしばらく敵対してやる。西風料理は忘れかけているけどこれは忘れない」
格上卿家はヨハネの家みたいに華族に近い家のことだと思っていたけど違う?
我が家のことなのに勉強不足。敵対って、えー……。でもこれはぼんやりのせいではないぞ。仕方のない流れ……のはず。
怒らなそうな義父に言おう。義母に言ったら怒られるかもしれないから呼び出されてお説教されるまで黙っていよう。
バレルは大笑いして「少し待ってろ」と口にして他の漁師達に「1匹2銀貨で毛むじゃらカニを4匹欲しいけど売りたいやついるか?」と声を掛けた。
「あそこのお嬢さんが欲しいってよ! 卿家のお嫁さんだ! 本物のお嬢さんがこんな早朝に岩場で釣りをしてる! 海が大好きで釣りが趣味で漁師を尊敬してくれているぞ! 東漁場の密猟の件、不当結果を再調査しろとひっくり返してくれた中央裁判所の事務官さんのお嫁さんだ! 格上卿家は手伝い人がいなくて大変な家事をしなきゃなんねぇって! 俺の嫁が西風料理を食べられるようにあれこれ教えてくれた!」
私は付け焼き刃嫁で偽物お嬢さんで、ロイは多分その件に関与してないけど……。それとも何か関与したかな?
何かワイワイ始まった。
俺のだ! とかこっちだ! とか毛むじゃらカニの大きさの競い合い。面白い。私が話した西風料理のこととかでもワイワイしている。
若い人から年寄りまでいて手を振ってくれた人にはカニを売ってくれるお礼と思って会釈をして手を振り返した。
それで縛られた毛むじゃらカニ6匹が木箱の中へ放り投げられた。
名前の通り毛むくじゃら。甲羅が私の顔1個半くらいあるけどあしは短い。お支払いして3銀貨と1大銅貨が残った。
喉がカラカラになったし怒られそうな話もあるけどこれはホクホクだ。
「バレルさん。美味しいけど魚屋に出ない毛むじゃらカニみたいなものってありますか? あと毛むじゃらカニの食べ方とか捌き方を知りたいです」
「それならそこそこあるから忙しくなくなった頃にまた。他の船もまた来るから増えるし昼前に来てくれ。皆が家に持ち帰ろうかってやつを買ってくれると助かる」
お金がないとお米とか買えないから現金が欲しいというのはよく分かる。
それでも毛むじゃらカニはあまり売りたくないのか。美味しいなら売れてホクホクになるのに不思議。
忙しくなくなった頃って散々お喋りしたけど今は忙しいの?
「タコはまた売りたいけど、その時はあしが少し欲しいです」
「おお。ええで。またとりそうだから捌いてやろう。今日はタコが少なかったからとってくれたら助かる。この後増えたらおまけであしをつけよう」
「ありがとうございます。イーゼル海老も沢山釣れたら持ってきます」
「さっき言われて思ったけどイーゼル海老は海の反対側で採れるからこの辺りでは漁師でも滅多に採れないぞ。採れても1匹、2匹。それで普通は見張りが没収。密猟禁止の高級食材を許可証も持たずにホイホイ取りにくるアホがいる。遊び釣りは規則を守ってもらわないと困るけど卿家はやはり守っているな。花カニの釣りで買うか? 1匹3銀貨でどうだ」
前回の海釣りの際にも見張りがいたのかな?
遊び釣りの規則を調べよう。
「お釣りが足りなくて買えません」
「お釣りでかあ。兄貴の船が後2時間後くらいに戻ってくるから小さいのなら安く売るぞ。中身の金額が高くなってきたからそこの木箱には網と鈴をつけておく。見張りの兵官が捕まえるし俺達も参加だ。密漁と泥棒はお天道様が許しても漁師が許さん」
「ありがとうございます」
バレルに「また後でな」と言われたので会釈をしてジンと釣り場へ向かって歩き出した。




