俺と妹と義弟の話10
出稽古終了。久々の試合は楽しかった。いつか全勝したい。
帰り道でロイはまた自然と俺の隣を歩いた。
今度は何の話をされるんだ?
「いやぁ、今日のネビーさんとバロウズさんの型破り試合は見事でした」
「負けたのが悔しいです。鍛錬した年月の違いと思いたいです」
「特別試合を出来ることが素晴らしいです。あの高速突き。跳躍力。体の作りが違うんですかね」
「自慢になりますけど少しそうな気もします」
「旅行で屋根まで一足飛び出来る方に会ったんですよ。多分噂の特殊兵と同じで生まれつきかと」
噂の特殊兵とは噂の特殊兵らしい。怪力や脚力がすごいらしい偉い人直轄——それすら不明——の兵官がいるそうだ。
「へえ。煌護省にお勤めだから噂話も耳にするんですね。俺はそういう人達のすごく小さい能力ってことかもしれないのか」
こういう話ならいくらでもしたい。昼食も愉快だった。褒められたのも嬉しい。
「天賦の才ってありますから大事にして下さい。自分には何もないです。ああ。少しええ家に生まれて健やかという運があります」
「卿家跡取り息子、見た目良し、背が高い、そこそこ強い、職業、性格など色々あるじゃないですか。いやあ、リルには勿体無い旦那様です。なぜリルなのかって思いますけど花カニのことを聞いたら思い出しました。昔占い師だっていうおはばが長屋に少し住んでいて、この娘は謙虚さを忘れなければ天運が味方するって」
「へえ、そんな方がいたんですか。リルさんは謙虚です」
「今の話と贅沢に慣れて忘れないようにと言っておきます」
ロイの歩き方を俺も真似する。難しい。生まれてからずっと励んだロイのように、卿家の男みたいにって今からなれるのか?
でもリルは日夜励んでいる。これから茶道を習うそうだ。妹が頑張っているのに兄は何もしないなんて恥だ恥。
「なぜリルさんなのかって、リルさんはリルさん。他にはいません。この世に1人しかいません」
「それはありがとうございます。気がついたらあっと言う間です。赤子の時は大きくて丸々してぷにぷにしてたのに気がついたらちんまり。歌って踊っていたり、川遊びをしたり、蛇をポイポイしたり、隠れんぼの途中で忘れて山に置き去りにしたり色々あったのにもう成人でよそ様の大事な息子さんの嫁です」
「色々気になるのですが蛇をポイポイってなんですか?」
「遠くまで投げられるか競争ですけど、したことないですか?」
ロイが大きく頷いた。そっか。これも身分格差か。
「洗濯する前とか遊ぶ前に蛇を放り投げないと危ないんでその前の練習も兼ねて棒ですくっておりゃあってどこまで飛ぶか。リルって大人しいけど力はあるからたまに川の向こうまで飛ばしていました。集まって遊ぶとわりとバカにされるリルもこの時はリルちゃんすごいって輪の中心でしたよ」
「リルさんはそんなことをしていたんですか」
言わない方がよかった、と思ったけどロイは愉快そうに肩を揺らしたので安堵。
「自分の兄と姉は自分が生まれる前に亡くなっているので兄妹は羨ましいです。一人っ子は少なくて。個人的にこの男は親友と思っている友人も2人兄弟に4人姉弟で」
「長男俺、次男ジン、三男がロイさんってそれもありますか?」
「自分が考えて父にさり気なく言いましたからね。父はわりとおだてに弱いです」
吹き出しそうになった。そういえばデオンが外堀から固めていく男みたいに評していたな。こういうところ……昼食もか⁈
でも親切だな。それに俺と兄弟になりたいってことならかわゆい男。まじか。ロイってそういう奴?
「そうかあ。リルさんはやはり力持ちですか。本気っぽく叩かれたら痛かったし怒らせないようにしよう。手加減したと言うていたけどあの強さは本気です」
「リルに叩かれたんですか? あいつ、余程じゃないと暴力には出ませんよ。貝殻弁当より上です」
格上に嫁いだから絶対服従、何もかも我慢ではなく気楽に暮らしているのか。ニコニコしていたしな。本当に良かった。
ロイには頭が上がらないし足を向けて眠れないという両親の言葉の意味がよく分かる。俺は稽古で容赦なく叩くけどな。それとこれは別。
「旅行中、ちょっと浮かれて礼儀を忘れたら手の甲をベシンッ。しばらく痺れて痛かったです」
「浮かれて礼儀を忘れて?」
「あれは自分が悪いです。ついつい。リルさんってリスっぽいじゃないですか。リス柄の着物を着ているとついからかいたくなって」
ロイもからかうとかするんだ。意外。いやこんなに話したことは無かったから知らなくて当然だ。
「リス柄の着物なんてあるんですね」
「葡萄栗鼠紋。若い女性の秋の定番柄の1つです」
ぶとうとリスの着物か。秋になったら周りを観察してみよう。
俺のことだから見たことあるかもしれない。俺は鶏頭なのか興味がないことをすぐに忘れる。
「ん? 旅行はこの間で冬なのに秋柄ですか?」
「宿の貸衣装にあったみたいで。あの柄はリルさんが沢山いるみたいで楽しくなります」
「確かにリルがリルだらけの着物を着るとは笑えます。いや、面倒だな。兄ちゃん、その勉強は楽しい? 珍しい楽しい話を教えて。あまり喋らないリルでも集まればうるさいです」
こうして離れて生活する日が来るなら、勉強や鍛錬で疲れていると雑にあしらわないでもっと構ってやれば良かった。
去年、両親は何度も泣いた。結構驚き。ルカの時は隣で暮らすしルカは安心という気持ちがあったのかそんなことにはならなかった。
俺達子どもを叱るか放置の両親の愛情深さはリルの結婚により発覚。
放置も稼ぐためだったから仕方ない。俺もたまに急に寂しくなる。ルル達が定期的に「リル姉ちゃん!」と暴れる気持ちは分かる。ルカでさえ「リルいないんだよね……」とまだたまに言う。
「へえ、昔から好奇心旺盛なんですね。リルさんは勉強は息抜き、楽しいと言うています。進みが遅い嫌な科目もあるみたいですけど。お喋りなリルさんは楽しいですよ。顔に出るから喋らなくても面白いですけど」
「そりゃあロイさんは新婚で楽しいでしょうけど、俺には他に暴れ妹が4人もいます。リルまでうるさかったら耳が潰れます。耳は2つなのに倍の4ですよ」
新婚か。嫁か。そうだよな。リルは今俺の隣を歩いている男の妻。
「ネビーさん?」
「妹とねんごろ男が昔からの顔見知りってやっぱり嫌だなと。うわあ。そういうことを考えさせないで下さいよ!」
「ぶほっ。ねんごろ男って何ですか。そういう発言は慎んで下さい。考えさせないでって知りませんよ」
「だから俺は友人知人にはなるべくリルとお見合いをしてくれって頼まなかったんです。両親に任せようと。高望みで難航したから渋々リルの最終兵器を引っ提げて気が合いそうな先輩に頼んだら良い返事をくれて、リルは玉の輿かも知れなくて俺は妹孝行だなぁって帰宅したらロイさんです」
どういうことか詳しくと聞かれたので素直に話す。
「染め物屋に兵官……危なかった。あとその隠れた何やらなんて、リルさんの名誉のために貝のように口を閉ざして下さい」
「ああ、つい。すみません。顔で釣れないなら母似の体かと」
「げほげほっ!」
親父は母と1度で俺を宿したらしくキツくキツく言われている。
俺も格上嫁をもらう前に「あんたの子が出来たから結婚しろ」と言われたくないので我慢している。
純情純粋男の発言になぜ既婚者のロイが動揺したり照れ顔をする。解せない。まあ価値観の違いか。
「いやぁ、それも知らなかったなら本当謎です。リルは1人だけかぁ。本当にありがとうございます。俺、ロイさんのことを9つの時から知っています。べそべそ悔し泣きしながら練習していましたよね。お坊ちゃんも根性あるんだなぁって。他の門下生もそうですけど。生活も価値観も違いそうで、金持ちに話しかけるなんてって思っていたのに義兄弟とは変な感じです」
「ネビーさん。リルさんに情けない昔話をしないで下さいよ。特に泣いておぶってもらったこととか」
そんなことあったっけ?
いつだ?
出稽古帰りだろうな。疲れ切って歩けないやつをたまにおぶっていた。
「それなら俺も昔のリルの話はしません。リルが幻滅されたら困るのはリルですし」
「そこは教えて下さい。結婚お申し込みの日は嫌がっていませんでしたか?」
食い気味で質問されて「お、おう」となる。
まあ不安か。自分はリルが良い! と結婚したけど逆から見たら不明だ。リルとそういう話はしないのか?
「家って雑魚寝で基本は年齢順なんですけど、俺の隣で夢みたいってお申し込み品の箱を抱きしめて寝ていましたよ」
「それは良かったです」
うおっ。珍しい満面の笑顔。リルすげえ。
「翌日は結納用の着物の試着をしてニコニコ。花嫁修行は文字の読み書きがあるから練習するって家の前の土に棒で文字を書いていました。最初は名前の練習」
「そんなことをしてくれていたんですか」
「ええ。うちの家族、ロイさんの家族の名前。それからリル・ルーベルとか。読む練習もしようって言ったし一緒に寝たのに夜中に目が覚めたらいなくてまた練習していました」
返事はない。嬉しそうに見えるから良さそうな話は続けておこう。
「その翌日はリルの元服祝い。本当はルカの時と同じで着物と簪を贈って家族でうどん屋と思っていました。元服祝いは結納の日の食事と長屋での宴会で2回になるので結納の着物は宝物を盗まれたら困ると押し入れの1番奥にしまいました。簪と一緒に。リルは毎日押し入れに向かって手を合わせてありがとうございますって言うてました」
返事がなさそうなので続けるか。
「後はほら。リルを師範達へ挨拶させてくれた時、帰る前にチラッと聞いたんです。元気そうだけど元気か? って。素敵なかわゆい着物は親切で優しいお義母さんが譲ってくれた。小物は旦那様が買ってくれた。簪は特別中の特別な宝物。あの高そうな真珠の帯留め、ロイさんが選んでくれたんですよね? ロイさんが選んでくれたから簪と同じ宝物の中の宝って言うてましたよ。なのでまあ、そんな感じで嫌がっていません。リルが元気で幸せそうって両親に言い忘れていたから年末にうんと怒られて大変でした」
まだ何も言わない。他に現在の俺が知っているリルからロイへの感想話ってあったか?
思い出そうとしていたらロイが口を開いた。
「リルさんが家族はお喋りで中々間に入れなかったという意味が少し分かりました。ネビーさんは早口ですね。ご家族も自分に慣れたらそうなるんでしょう」
「俺の周りはわりとこんな感じです。俺は今日、ロイさん達の会話の速度におおお、おお、これが生きてきた環境の違いかってなりました」
「色々聞けたし新たな発見が出来て良かったです。それで元服祝いの着物と簪はどうしたんですか?」
「父がガイさんへ安いだろうけど売って下さいと渡しました。一生かけて、孫の代になっても結納代を払いますって。年が明けたら、今年ですね。今年からは俺が正官なので今年から毎月払いますって……知らなかったんですね」
「ええ。そうですか。リルさんだけではなくてご両親やネビーさんのそういうところが父や母の気持ちを変えたのでしょう。父は割とあっさりでしたけど母が猛反対の激怒で」
「ロイさんはそのお母上を説得したんですね」
「いえ。脅しました。許さないなら今後家のことはしませんし結婚しませんと言いました。養子を育てると言われれば何もしませんと。最終兵器として家出の準備。一才一切反抗してこなかったかわゆい1人息子の大反抗。母は予想通り折れました」
うひゃあ。まじか。リルは知っているのか?
新たな謎の出現。猛反対したロイの母親がリルに優しくて親切とはどういうことだ?
「その結婚経緯で何でロイさんのお母さんはリルに優しくて親切なんですか?」
「さあ。自分も考えています。自分の手前リルさんを表立っていびれないのは分かりますけど孫娘用の着物を譲ったり凝った刺繍の浴衣をリルさん用に縫っていたり。リルさんのおかげで自分は母の良いところを知れて益々親孝行しようと思いました」
「俺もリルの結婚で両親の意外な面を見ています」
俺達も親になったらどんな気持ちなのか分かるのだろう。
「結納品代は知らない振りをしておきます。両親、いや母に何か考えがあるのでしょう。何となく想像がつきます。ある日突然、リルさんの結納代ですと渡される気がします。その時に半返しします」
「半返し? 半分返すんですか?」
「家によりますけど平均半分です。結婚させてくれるお礼の品と現金です。返す分を最初からもらわなければ良いのは財政難ではないかの確認と言いますけど調べられるから意味ないと思っています。返さない結納品代は基本的にお嫁さんの物を買うのに使います」
「へえ。しきたりって面倒ですね。父と母には黙っておきます。親切で返された! って喜ぶと思うのでそれでええです」
「なるべくしきたりの意味を考えるようにしています。先人の知恵は大切です」
俺達は昔から知人ではあるけれど、かなり浅い仲だったし生活水準に地域性やしきたりなどあらゆる事が違う。
お互い知らないことだらけだな。
「そうか。そういうことを考えると賢くなるんですね。リルが親しくしているならロイさんとも親しく出来ますかね。来週の土曜日は助けて下さい」
「まあ、ほどほどに」
「ほどほどって何ですか⁈」
「土曜日の午後は1番羽根を伸ばす日なのに父と義兄の接待とは辛い。質実剛健を持ってきて下さい。飲みたいし父や母にも飲ませたいです。余らせて返しますから。リルさんに何か甘いものをお願いします。両親とリルさんで3人分。安くてええので。自分は甘いものは食べません」
そう告げるとロイは会釈をして俺から遠ざかってしれっといつもの仲間達の元へ混じった。
ジンに続く義兄弟。俺達はどういう付き合いをしていくのだろうか。
色々喋って10年以上知らなかった彼を知ったから気後れより楽しみが勝った。
兄ちゃん編終わりです。ありがとうございました。




