俺と妹と義弟の話9
出稽古前に少し疲れた。緊張する相手と普段とは違う会話速度なので疲れた。
出稽古先で新年のご挨拶。それから出稽古先の門下生を相手に掛かり稽古。終わると昼休憩を挟んで練習試合。これが1番の楽しみ。
昼休憩に入ったので恐る恐るロイに声を掛けた。義兄弟だと知られてはいけないは思い込みだったと知ったけど慣れない。
いつも彼がいる集団はもう輪になって座っている。
「お疲れ様ですロイさん」
「ネビーさん、どうぞ」
どうぞと掌で示されたのはロイの隣。場所が空いていると気がついた。促されたので素直に座る。とりあえず正座。
「皆さん、以前にも軽く話しましたがネビーさんは妻の兄です。父が卿家の男のようになって欲しいと申していますので稽古中に何か気になったらご指導お願いします」
ロイが正座をしてピシッとしたお辞儀をしたので俺も頭を下げた。正座にしたのは正解だ。考えたり気を遣うからすげえ疲れる。
「皆さんよろしくお願いします」
「代わりにネビーさんが個人稽古をつけてくれたりするんですか? 実力不足で中々相手をさせてもらえないから楽しみです」
「俺も型破り試合を……デオン先生の許可が出ないか。そもそも俺はネビーさんと同じ地区兵官だし卿家のようになんて指導は出来ません」
いや、先輩あなたは豪家の息子で中級公務員試験を突破した南3区本部の兵官——官位は知らない——なので部隊兵官の俺の上官でしょうと言いたくなったけど黙っておく。
「自分も師範に言うたら義兄弟だからと贔屓はなしだと。掛かり稽古くらいはええそうです」
「ロイさん師範にそんなことを頼んだんですか? 俺と掛かり稽古したいなら言ってくれれば別にいつでも良かったのに」
「実力差があるのでネビーさんと指導ではない対戦は無理だと……先にお弁当でした」
ロイが彼の前に置いてある風呂敷を開いた。自分もネビーさんと掛かり稽古! みたいな会話に驚く。
デオンの指示以外は自由なのに格下の俺に頼みにくいないなんてこともあったんだ。
いや剣術では格上だと認識されていて、家柄が違いでそんなに親しくないから遠巻きにされていたのか。新発見。
竹細工製の同じ見た目、形の弁当箱が2つ。親父の作品に見える。
リルが旅行土産に買ってきた竹細工の箱と同じように紐を合わせたもの。造形は違う。
家でこうか? こうか? と色々試していた。完成していたんだ。
紺色の紐を組み合わせただけで高そうに見える。弁当箱を縛る同じ色の紐が凝った縛り方なのでなおさら。
一応持ってきたけど箸まで用意されている。あと平匙。
弁当箱一つと箸入れと平匙が俺の前に置かれた。ロイに平匙はない。
「ロイさん、ありがとうございます」
「こちらのとんぼ結びがネビーさんのお弁当です」
「それええですね。御所カゴみたいです」
「こちらは新年のお祝いに妻の父、つまりネビーさんのお父上が贈ってくれました」
ロイが手慣れた手付きで複雑な紐を品良く解く。親父の作品が高そうに見える。
予算と売値が幾らか知らないけど店に出す用ではなく、明らかにロイの為に良い物を作ったと分かる。
「最近までネビーさんのお父上が職人だとは知りませんでした。ネビーさん、この作品みたいなものってお店に行けば売っていますか? 春から妹が女学校を卒業して父の職場で雑務をするんです。気になります」
「ジャックさん。確かにこのお弁当箱だと紐の扱いなどで茶道を嗜んでいると分かりますよね。あとハイカラというか見かけないので目を引いて話題になります」
「ロイさんの為にわざわざ作ったものなので店にはないです」
「ミゲルさん。ネビーさんに予算や造形を伝えたらお父上が草案を用意してくれると思います。特注品を定期的に引き受けているそうです。今も桃の節句用に玄関に門松みたいに飾るお雛さまを頼まれているそうです」
ロイはしれっと親父の宣伝をしてくれた。息子の俺がお雛さまの特注品のことを知らない。帰ったら聞いてみよう。
ロイが弁当箱の蓋を開けると「おおっ」と注目された。
なんか凄い弁当登場。色とりどりの丸いものがキチッと並んでいる。16個。
残りの隙間の半分は白米で梅らしき3本線が描かれている。そこに小さい紅葉の形の多分人参が2つ。
後の隙間には赤い色が混じったたまご焼き。葉っぱの上に乗っている。竹串に刺した小さなイカ2匹。こんなイカを見たことがない。
「手毬寿司とは新年初の出稽古に奮発したんですね。自分もそうです。その手毬寿司はどこのお店のものですか?」
手毬寿司?
寿司は知っている。師範達にごちそうされたことがある。
酢飯に魚……確かに魚だ。白身魚の上に花の形の人参が乗っていたり、きゅうりの薄切りを花にして真ん中は……カニ?
赤いカブでつくられているのはまるで椿みたい。他にも色々。手毬だからまん丸くてちんまりしているのか。
「母と妻の手製です。昨日妻は父達とまた海釣りへ行きました。ヒシカニがとれて我が家は今夜カニ鍋を食べられます」
本当は毛むじゃらカニ鍋。
花カニとかいう味はそこそこなのに偉い人達に大人気のカニがたまたまとれた結果だ。リルとジンでとったらしい。
美味しくて大きい毛むじゃらカニをすすめられて花カニを売ったら大金だったと聞いた。
毛むじゃらカニの存在は広めてはいけないらしい。
「冬に1度くらいしか食べられないけどとりに行けば……いや寒くて無理です。お嫁さん大丈夫だったんですか?」
「心配でしたけど昨日の帰宅後も今朝もすこぶる元気です。楽しかったと」
リルは全然風邪をひかない。俺達は貧乏なので寒さに強い。
「ヒシカニ鍋とは羨ましい。この手毬寿司も売り物ですよ売り物。売り物でもここらでは見たことがないです。お嫁さんはますます腕を上げたんですね」
「母のおかげです。母と妻が揃うと凝り性に拍車がかかるみたいです。今日父は友人2人と我が家で昼飲み。自分もネビーさんも今年初の出稽古。なのでうんと凝ってくれた特別弁当です。昨日材料が増えたのもあってせっせと作ってくれました」
「ロイさんの顔に自慢だと描いてあります」
「そうです。結婚後からいつもいつも弁当自慢」
「自慢なんてしていません」
「顔に描いてあります。しかもそのご飯。マルム川ですよね? 惚気まで」
マルム川……何だっけ……龍歌百取りだ。多分。なぜ冬に紅葉なんだ? と思っていたけど惚気?
「母も作ったと言うたではないですか。夫婦円満を祈られただけです」
夫婦円満……なぜ?
後で調べよう。龍歌に興味がないから忘れている。
「祈られただけ。いやぁ、これだから新婚は嫌だ嫌だ」
「ロイさん、材料費を渡して取りに行ったら作ってくれるとかありますか? これは見事です」
リルが褒められるのは嬉しい。有り難い。ロイの母と作ったということは母と祖母のような嫁姑問題はなさそうってこと。それも安堵。
それにしても立ち上がって「失礼します」と言うタイミングを逃した。
「ネビーさんは豪快弁当を好むと聞いたので中身は違うそうです。見せて下さい」
「はい」
ロイに言われたので弁当箱を開こうとしたけど紐の結びが分からないので解けない。
「とんぼ結びってどう開けるんですか? ああ、とんぼ。確かにとんぼの形です。面白いですね」
「ええ。茶道で使う遊びの飾り結びです。失礼します」
ロイが紐を解いてくれたのでお礼を告げて弁当箱の蓋を開いた。
「……」
「あはは! ネビーさん。リルさんを怒らせたんですか?」
「その貝殻弁当には見覚えがあります! ロイさんのお嫁さんの仕業だったんですか!」
ムルル貝の殻がキチッと整列している。瓦みたいに。かつてのように大笑いされた。
「うわあ。ロイさん。リルのやつ何か言うていました? あいつはまたこういう陰湿なことを。口で言え。夕食なしとか家に入るなとか昔から。前は無造作に入っていたけど整列しています。ん? でもいい匂い」
「怒らせると夕食抜きか。気をつけよう。ネビーさん。リルさんからは何も聞いていないです。カニの匂いがします。キチッて並んでいるからどかしてみたらどうですか?」
蓋に貝殻をどんどん退けたら三色弁当だった。
赤い何か。カニの身。佃煮の川海老。ここまでが赤い領域。炒りたまご。カブだか大根の葉の炒め物。
平匙は食べやすいようにってことだろう。
端に市松模様の小さなしいたけと小さいイカを竹串で刺したもの。
豪華だ。売り物ならとても買えない。
しかし知っている。赤い何かは不明だけどカニは昨日釣ったもの。川海老も採ったもの。
この間リルが釣りの餌用に川海老をとりにきたとレイに聞いた。小さいイカも昨日とったものか?
リルは高級カニを売ったあまり金でたまごを買って「たまご料理祭り」と燃えているらしい。ジンに聞いた。なのでうんと高い弁当ではない。遠慮なくいただく。
「この赤いのはなんですか?」
「ジンさんに聞いてないですか? メジガロっていう脂っぽい赤身魚のタタキで自分も昨日初めて食べました。好みでした。漁師にもらったそうです。どうぞお召し上がり下さい」
年上のマーフィーに味の感想を聞きたいと言われたのでここで食べることになった。
確かに脂っぽい。沢山はいらない。でも美味い。醤油の混ざった酢飯と良く合う。
醤油と酢を使った白米飯なんて高級なのにさらにカニとたまご。
誰もまだ質問してこないし、ロイも黙々と食べているからうめえ、と食べ続ける。
ロイ以外がマーフィンの嫁は舞が上手いから花見の席が楽しみ、みたいな話を開始。
あの美人て素敵な舞を披露してくれる人か。羨ましい限りだ。
でも俺の弁当も「この弁当を作る妹は羨ましい」だろう。チラチラ見られている。
メジガロとカニ、たまごはもったいないので半分食べて葉っぱの炒め物。たまごの下のご飯には醤油だけではなくてかつお節と海苔少し混ざっていた。
カブの葉の炒め物の下のご飯は一部だけ梅肉が混じっている。
全くもって豪快弁当じゃねえ!
プクイカうめえ! 柔らかい! 味がどんどん出てくる。味噌漬けだ。しいたけはうっすら生姜と醤油で少し甘い味つけ。
戻ってたまご、カニ、メジガロご飯も完食。結局箸を使っていない。
俺がガツガツ、しかしいつもより品良くを心掛けて食べている間、ロイは嬉しそうに微笑みながら手毬寿司をゆっくり食べた。
それで彼はデオンに声を掛けられた。
「ロイ君は新年初出稽古に気合十分だな。そんな手の込んだ仕出し弁当を用意なんて。どこの店だ? その椿はカブだよな。孫が喜びそうだ」
「デオン先生。母と妻の手製です。新年初出稽古なので特別に凝ってくれました」
「ロイ君の母上にはよくお世話になった。手の調子が良いのか。それは良かった。お嫁さんもこれだけ料理上手とは似た女性を探したんだな。中秋の名月団子といいこれもまるで売り物だ」
「ありがとうございます。母が昔したことや新しく考えたことを妻が手足になって手伝ってくれます。妻が発想を出すことも。凝り性と凝り性で楽しそうです」
結婚経緯とロイの母親の気持ちを考えるとリルは嫌われそうだけど着物を贈られているし、リルから「優しくて親切」と聞いている。
心の広い優しい女性なのだろう。俺はまだ全然話してないから分からない。
「ロイ君。それなら昔君の母上が作ってくれた雪うさぎの稲荷寿司を頼めないか? その椿と何か少しの手毬寿司と一緒に。この時期になると食べたいと言うんだ。妻は味付けは美味いけど飾りや細工は苦手で。少なくて良いしいつでも」
「3年前の。はい。娘さんの月末の誕生日前後にと伝えます。母が奥様に会いに行くと思います」
デオンの孫娘は2人。誕生日とか知らなかったか忘れた。今月末なのか。
「そうか。妻に伝えておく。マーフィン君。花見の席のお嫁さんの舞を楽しみにしている。よろしく」
デオンが去るとロイとマーフィンはホクホク顔。嫁って偉大。
今日だけでこれってリルはめちゃくちゃ役に立ってそう。貧乏長屋娘とバカにされる事もあるだろうけどこうやって褒められている。ロイに守られている。なんか泣きそう。
「やっぱりお嫁さんには何か特技があると嬉しいなあ。いや、俺にないのに求めてはいけないか」
「ジャックさん。そういうことを言っていると婚期を逃しますよ」
「自分は妻が今のまま地味でええ。何でもそつなくこなしてくれて、まんべんなく知識も技術もある。難しいことです。特技で目立って男が蜂みたいに寄ってきて密通されたら嫌です。去年除籍されたカジモさん。リヒテン先生のとこのジークさんのお嫁さんにまとわりついていて口説き落としたって」
ロクベルの発言にえっ、とマーフィンとロイが箸を落とした。
たまに除籍される人って大体それ系。女関係で揉めるのをデオンは許さない。それを内輪でなんて激怒だろう。カジモの話は皆知っているかと思っていた。
親父くらいの年なのに兄弟門下生の新妻に手を出して両師範にボコボコにされて除籍。
手を出された新妻もウキウキ出掛けていたとかなんとか。
「じ、じ、自分の妻は花見はきっと弁当係です。それで今年ではなくて来年からでしょう。母が新米嫁はまず町内会の仕事と言うています」
ロイがリルの浮気を心配するなんて面白いかも。滅茶苦茶動揺しているように見える。何か少し笑える。こういう一面もあるのか。
「うわあ。花見で酒を飲んで楽しむどころではないです。舞の仕事が終わったら帰そう。いや、片付けとかあるし帰せないか。隣だ。隣でお酌をしてもらって……動かん嫁と言われたら可哀想だ」
「弁当係は家で作って夫が運んでくるので自分には関係ない話です。良かった」
「良かったって助けるとか見張りを手伝いますとかないんですか! ロイさんはたまに薄情ですよね」
「弁当係ってデオン先生の家に集まって色々してくれますよね。茶席とかも。ロイさん関係ありますよ」
「……そうでしたっけ?」
俺が「リルなのに」という気持ちを我慢できずに思わず吹き出したら周りも大笑い。ロイの拗ね顔も見たことあったか?
この悩みは家柄、身分格差は関係ないなと思った。結婚って大変そう。
ロイがネビーを外堀から囲っていく図。
ネビーは門下生達の接着剤になるかもしれません。