俺と妹と義弟の話4
リルの元服祝いはおめでとうと言うだけになった。昨日海で魚を釣れたから夕食は刺身。売った魚で他のものも買えた。日焼けしたし疲れたけど仕方ない。
リルには母が「結納が元服祝いだ。あの綺麗な着物で料亭だからね。それから結婚後にもう1回この長屋でお祝い。結婚と元服祝いだよ」と告げた。
リルに用意していた元服祝いの品、桜の簪と桜柄の着物は先方に渡す。売っても大した額にはならないけれど今日するはずだった外食の費用と合わせて最初の結納品代。
リルが嫁にいって生活にかかる費用が減るし、俺が正官になったら今より余裕が出るから来年1月から毎月返却。
そうしないと何かあった時にリルはルーベル家から出て行きにくい。
誠意を見せないとリルの印象が悪くなる。結納の日に父から向こうの父親へ話してお金を渡す予定だ。
仕事をして仕事後、先輩に「昨日妹の嫁ぎ先が決まりました」と伝えた。
「昨日?」
「昼間に本縁談がきました。知人で人柄も分かっていて家柄はかなり立派。両親がその場で結婚了承をしました」
「本縁談がきてその場でって……」
ええ……と先輩は困惑顔。
「俺より格上ってことだよな」
「卿家の跡取り息子さんです」
「ぶほっ」
先輩がむせた。ゲホゲホ咳き込み始める。
「卿家の跡取り息子は基本格上か卿家の娘としか縁結びしないぞ!」
「そうなんですか? そうですか。でもきました。本物です。同じ剣術道場の門下生で9歳から顔見知りです。俺は特に何も知らなかったんですけどいつの間にか調べられていました。1から色々家のことを教えたいみたいです」
「そんことがあるのか……。まあお前が兵官で出世しそうなのが後押しか? よく働いているし面倒見も良いからええなあと思ったけど……そうか……」
衝撃的事実発覚。
リルのお見合い話は「ネビーの妹は早く結婚したいらしぜ」と職場で少し広まっていて、俺と義兄弟はありという人が何人かリルを見に行っていたらしい。
先輩もその1人。何度かリルを見に行って簡易お見合いを俺に頼もうと思っていたら俺から話がきたそうだ。
俺が話をしたからではなくてリルを直接見て「縁談相手として会いたい」と思ってくれていた。
俺は兵官になるためにかなり励んだ。結果リルに格差婚の後押し。俺って偉い。父が「お前は兵官か火消し」と言った意味も再認識。
夜は剣術道場で稽古。話しかけ辛いけど稽古後、ロイに声を掛けた。
「お疲れ様です。ロイさん。相談があります」
「はい。歩きながらでええですか?」
ロイと親しい門下生は特に何も気にしてない様子。俺と親しい門下生は「何だ?」って顔をしているけど無視。
なぜか「送ります」と言われて俺の家の方向へ歩くことになった。
ものすごく緊張する。試合と違って手に汗びっしょり。
「あの。俺はロイさんのことを9歳から知っているので何か裏があっても、学や教養がなくて苦労するだろうけど、ロイさんがリルを大事にしてくれると思っています」
「ありがとうございます。しかとお守りいたします」
俺は大緊張しているのにロイは涼しい表情。この無表情は怖いというか彼の短所だと思う。
優しいんだからニコニコしたら良いのに。強面先輩といい、リルはこういう男から好意的に思われるのか。
「両親にもリルにもそう言いました」
「ありがとうございます」
「リルは選んでもらったから励みたい、働く、頑張ると言うています」
「結納前なのでお断りされるのかとヒヤヒヤしました」
そうなの?
涼しい顔をしているけど。
「デオン先生に相談しました。卿家の嫁がリルに務まるかどうか」
「なぜ格上のある程度相手を選べる男がわざわざうんと格下の手間暇かかる女性を? という疑問への回答はこうです。そうまでしても自分はリルさんがええです」
「どこがとかありますか? 会話もせずにそそくさと結納、祝言ってなぜですか?」
「自分の希望に合いました。あとほんの少しこういう理由も。家族の為なら家事をしますけど苦手で好かんです。特に料理。疲れて帰ってあれこれ。休みの日もあれこれ。母が急に悪化してからよりまだ動けるうちに。早くと言うと断られるものです」
早くと言うと断られる。母親が急に悪化してさらに悪化するか心配ってことか。
「他の方々に断られたんですか?」
「いえ。他には誰とも。文通すらしていません」
「いきなりリル……確実だからですか?」
「ええ。お申し込みすれば確実にお見合い出来ると思いました。その場で結婚了承のお返事をいただいたことは大変驚きです。それなら気が変わらないうちにと思って急いでいます」
やはり謎。本心や裏は言わなそう。
「今日はリルの元服祝いです。寄っていきますか?」
「存じ上げています。ご家族との時間は大切です。自分は来年我が家で祝福します」
「それなら失礼します。ありがとうございました」
「こちらこそ。皆さんによろしくお伝え下さい。稽古お疲れさまでした。お休みなさい」
会釈後、いつものようにピシッとした姿勢で片道を帰っていくロイを見つめ続けた。
ロイはずっと長屋の方を眺めている。すこぶる頑張って会話したけど分からない。
短時間なのにぐったり。俺がこんななのに、このロイとリルは喋れるのだろうか。
帰宅したらリルが軒先に座り込んでいた。長屋の軒先にはうっすら光苔がつけられているから少しだけ明るい。
「ただいまリル。何してるんだ?」
「おかえり兄ちゃん。文字の練習」
リルは手に棒を持っていて地面は書いた文字を消したような跡になっている。
「土に書いて練習してたのか」
「うん」
「昨日といい熱心だな。どれ兄ちゃんが確認してやろう。このまま練習すれば花嫁修行先で文字を書けるんですねって言われるな。読み書き出来ないと思われているから驚かれる。予習したって言えよ」
「うん」
リルは棒を動かした。割と大きくレオ。消してエル。それから祖母の名前ラナ。ネビー、ルカ、リル、ルル、レイ、ロカと続けていく。
手習を始めたばかりの子の文字で形は悪いけど書けている。
「家族の名前から覚えたのか」
「うん。あとロイさん。ガイさん。テルルさん」
ゆっくりしっかり書くとリルはテルルの文字を手で消した。それからルーベル。
「全部出来てたからリル・ルーベルって書いてみろよ」
「うん」
リル・ルーベル。ルが沢山。
うんと大出世して豪家になって苗字をもらい、リルの旦那を婿に変更とか俺の養子にしてリルも旦那にも苗字をって夢や目標が消えた。
「兄ちゃん?」
「ん? リル。ロイさんはリルがええって。1日でこんなに文字を書ける頑張り屋だからきっと大丈夫だ」
うわあ、泣きそう。
「うん頑張る」
「お前全然風邪をひかない鉄女だけど結納前で大事な時だから家の中に入ろう。文字は書くだけじゃなくて読む必要もある。それは家の中でも出来る」
「うん」
デオンは他の道場の先生より厳しいらしい。厳しくて嫌だと何人もの門下生が去ったけど、ロイは泣いたり半べそや涙目でも続けて、今は立派な成人門下生。
剣術に才能があった俺とは違って彼は下手くそだった。今では成人門下生の中で中間の位置。
努力が大変なこと、苦手なことを我慢し続ければ花開くと知っている人。きっとこの真面目で頑張り屋のリルを「こんなのも出来ない」とバカにしたりしないだろう。
★
気がつけば結納の日。結納の食事会は両親とリルだけで行った。
俺はこの日も仕事。帰宅後どうだったか聞いたらリルは「皇女様みたいにご飯を食べた」とニッコニコ。
両親は「ごちそうなのに食欲が湧かなくて大変だった。粗相しなくてホッとした」らしい。
リルは母親譲りの肝っ玉というか母より肝が据わっていると判明。
確かにリルは泣かない。俺の記憶では4年前に「蜂に刺された。熊もいた」と泣いた時。山で熊を見かけて蜂の大群に襲われたらしい。
しばらく夜中に起きて「兄ちゃん怖い」と泣くくらい怖かったようだ。
「散歩行こうぜリル」
「うん」
自分達もと騒いでまとわりつくルル達をルカとジン夫婦の部屋へ放り投げて逃亡。河原に向かって歩く。
リルはもう明日去る。結納翌日から花嫁修行って早過ぎ。旅館かめ屋はここから早歩きで1時間半少々。ルーベル家は1時間少々。微妙に遠い。
「リルは今日ロイさんと何を喋ったんだ?」
「話してない」
「えっ? そうなのか?」
「うん」
「今日何してきたんだ? 食事か。食事をしたのか」
「うん。あと祝言までの話を聞いた」
おかしいな。木曜日の稽古に行って稽古終了後に話しかけるか迷っていたらロイは親しい門下生に「今週末結納って早いな。おめでとう」と祝われた。
それで人が集まって「おめでとうございます」と軽く拍手会。
『両親が少しだけ反対したのでお相手の方に両親の知人の家で学んでもらいます。問題ないと思うのでその後祝言です。祝言も早くて3ヶ月後。8月の大安日曜日です』
俺は初めてロイの照れ笑いを見た。衝撃的だった。だから今日リルと何か喋ると思っていた。
『来週から祝言後まで稽古を休みます。色々ありますので。デオン先生に再度挨拶をしてきます』
ロイがデオンの元へ去ると残っていた門下生達で少し雑談。
その場にいた最年長フィンセントが「彼の家ならフェリキタス神社だろう。賑やかなのは良いことなので自分は顔を出します」と口にした。
『後輩門下生の祝言を肴に宴会をするか。参進の儀に妻と娘に琴を頼むかな。近くなったら仕出し弁当などを用意するから希望者は7月中に自分に声を掛けてくれ。宴会費用はご祝儀代わりに自分が出す。デオン先生には俺から話す』
『自分も出します。琴なら自分の妻と娘にも頼んでみます。仕切りはフィンセントさんに任せます』
『グウェンさん。協奏が良いですね。打ち合わせしましょうか』
門下生が結婚すると誰かが何かを提案する。
3年前のマーフィンの祝言時は祝言後に道場内で宴会だった。その前も同じ。なので外で宴会は初経験。
成人門下生になってから3回の宴会が行われた。親しい者が提案して取り仕切って門下生を誘うのに今回はフィンセント発案。
ロイとフィンセントは取り立てて親しくしていない。自ら祝おうと思えるくらい良い印象や評価をつけているということ。
花見でついはしゃいでしまう者達と違ってロイはいつの間にかゴミやら瓶やら運んだり掃除をしている。今思えば卿家だからだ。
軽く話して解散。俺はオーランドに話しかけた。
『オーランドさん。神社で挙式だとこんな風に近くで宴会をするものなんですか? 琴とか。俺、成り上がるつもりなんで勉強のために教えて下さい』
オーランドは年上で華族。でも俺とよく稽古をするので話しかけやすい門下生。成り上がるからではなくてリルのために知りたい。
『フェリキタス神社だからな。使用出来るのは皇族、華族、卿家。卿家の特権の1つだな。卿家より金持ちの大豪家や大商家でも使えない。自分も妻と娘2人に野点でもと思った。少し知り合いを誘う。ロイ君の祝言に便乗して娘達の軽いお披露目だ。参拝者が沢山いるからうんと祝福されるけど更に人が集まった方が華やか。持ちつ持たれつだ』
『それでフィンセントさんもグウェンさんも娘さんをと』
『格上お嬢様と結婚したいならその日に誰かと出会えると良いなネビー。礼儀だから親の方に話しかけるんだぞ。フェリキタス神社の参拝堂を歩くお嫁さんを見たら結婚への憧れは増すから文通くらいなら了承してくれるかもしれない』
オーランドはそれで帰宅。俺はいつもの友人先輩達と帰宅。
どんなお嬢様かな? みたいなワクワクした顔の彼等の会話を聞きながら(リルだと気がつかないかもな。とんでもない挙式になるっぽい)と俺は沈黙。
腹を壊したのか? と肩を組まれて腹を軽く殴られた。
俺はロイが「妻はネビーさんの妹です」と道場内で言うまで黙り続ける。
我が家はルーベル家と親戚になる訳ではない。リルを嫁に迎えるだけ。やんわりそう言われたそうだ。
それが正しいし「リルは欲しい」とは嬉しい。
俺の家族はルーベル家にたかるつもりはない。リルの幸せのために絶対にそんなことはしない。貧乏人が畜生になったら終わりだ。
でも周りは違うかもしれない。集まってきたり頼まれ事をしてこられるのはまだ良い。追い払うだけだ。しかし勝手に我が家にはもう話して了承を得たと向こうの家に突撃されたら困る。
リルはロイ・ルーベルと結婚。俺の知り合いのお役人さん。役所で事務官をしている。友人知人への説明はそれだけ。家族の新しい共通認識。
ルル達にはルーベル家の場所もロイが卿家だという事すら教えない。成長したら教える。
俺は河原を歩きながら星空を見たり、川を見て少し鼻歌混じりのリルを眺め続けた。
いつもは俺と妹達でわーって喋り続ける。喋らないでいるのは得意ではないけど今夜はこれでいいかも。
泣きそうだからこれで良い。ルカの時と全然違う。ルカの時は隣に移動なだけだし男兄弟嬉しいぜ! とはしゃいだ。寂しいなんて思わなかった。
両親が今夜はリルと3人で寝ると言った意味が分かる。早く言えよ。今日言うなよ。リルが俺の隣で眠るのは昨日が最後だったのに。
「兄ちゃん」
「ん? なんだリル」
「お父さんとお母さんうるさいからいつも通り寝たい」
「えっ。うるさいって何だよ。心配してるんだ。まあ親父も母ちゃんも言い方が悪いけど。親孝行だと思って我慢かばあちゃんと寝とけ。ばあちゃんなら許されるというか納得しそう」
「ばあちゃんとは一昨日寝た」
「らしいな。俺は夜勤で昨日聞いた。親孝行のために我慢してうるさい話を聞いてやれ」
「皆では最後かなって」
「そういう意味か。それなら親父と母ちゃんにそう言ってみれば?」
「うん。嫁は毎日働くから遊びにきても泊まらないでしょう? だから今夜が最後」
「違うかもしれない。ロイさんに聞いてみな。泊まってきてもええって言うかもしれない。例えば事前に食事を作っておくとか、朝食を用意して出掛けるとか色々ある。ロイさんなら手伝ってくれるかもしれない。家族の為なら家事をするそうだ。お前は人見知りだし会話も下手だから苦手でも沢山喋るんだぞ」
「うん。分かった」
大丈夫か?
大丈夫なのか?
ルーベル家は早歩きで1時間少々。俺達家族は勝手には行けない。来るなと言われていないけど基本家と家の交流なしとはそういうこと。
リルは俺やルカと1番喋る。それでこれ。誰も知らないところで大丈夫か?
ここにどんな副神がいるか分からないけど、俺は「リルは真面目な努力家なのでバチではなくて加護を与えて下さい」と珍しく祈った。