9 宮廷でのイジメ
ルクレツィアは夕食どきにディナーのお知らせを受け取り、少々困って執事を呼んだ。
基本的に貴族の家のディナーは正装で摂ることになっている。しかしルクレツィアは、家を追い出されたときに着ていた質素な普段着以外、服を持っていなかった。
「あの……申し訳ありません。わたくし、晩餐に必要な正装を持参しておりませんの。今日は旅行直後ということで、このドレスでお許しいただくか、もしくは部屋で食事を摂りたいのですけれど」
執事は柔和な笑みを浮かべた。丸い赤ら顔が、笑いじわでくしゃくしゃになる。
「ルクレツィア様は本日のメインゲストでいらっしゃいますから、旦那様はもちろん歓迎なさるでしょう。どうぞそのままで、気楽にお越しください」
「よかった……ありがとうございます」
公爵家の娘のくせになんと無作法なのだと眉をひそめられることも覚悟していたが、使用人たちは誰も嫌な顔を見せたりはしなかった。
そしてルクレツィアは、食堂に行って、目を見張ることになった。
ラミリオが、昼の服のまま、着替えずに現れたからだ。顔を覆い隠すフードと眼鏡もそのままなら、労働者向きのラフな素材で作られた服もそのまま。
「やあ、こんな格好ですまない。俺はこんな顔だから、服に手間をかけるのが嫌いでね」
さらりとそう言われてしまったが、ルクレツィアには彼の嘘が分かった。きっと執事から事情を聞いて、ルクレツィアが恐縮しないようにと、気を回してくれたのに違いない。
――お優しい方……
ルクレツィアは込み上げる笑みを抑えようとしたが、ついいつもよりもニヤついてしまうことになった。
ラミリオが驚いたようにルクレツィアを見ている。
――しまった、こんなにニヤニヤするなんて、無作法だったわ。
ルクレツィアは慌てて表情を消し、いつもの濁った瞳に戻った。
***
ラミリオはルクレツィアがついうっかり感情が出てしまったといった風に微笑む姿をぼーっと眺めてから、ハッとした。
――そうか、これが手口か!
ドレスや宝石をむしり取るための演技に違いない。そうでなければ、誰がラミリオのような男に笑顔を見せてくれるというのか。危うく騙されるところだった。
――ああ、確かに彼女は可愛い。それは認めよう。だが、それだけで懐柔できると思うなよ。
ラミリオの領地は田舎だが、活気がある。交通の要所でもあるので、収入も上々だ。世界的に見てもかなり富裕な土地に入るだろう。
だから六度も婚約破棄されたいわくつきの事故物件であるラミリオでもこうして縁談が舞い込むわけであるが、その巨大な財をもってしても愛されなかったという事実は、ラミリオの心身をおおいに蝕んだのだった。
――どうせこの娘も、素顔を見たとたんに逃げ出すんだ。
彼はいじけてそう考えつつ、彼女の真向かいに座った。
長テーブルの端と端なので、互いの顔はほとんど分からない。
この距離なら、ラミリオも安心して食事を摂ることができた。
「明日にでも銀行に行けるよう手配しよう。手持ちがないと君も不便だろうからな」
――ドレスをねだられたのではたまらない。
ラミリオは警戒気味にそう思っていたが、彼女は控えめに礼を述べただけだった。
――どうせすぐに困窮していることを自らアピールしてくるだろう。
そのそぶりを見せたが最後、絶対に婚約などせず、実家にお帰りいただこうと決めた。
***
ルクレツィアがパストーレ公領に到着し、ラミリオとぎこちない挨拶を交わしている頃。
ローザはお茶会で、半べそをかいて下を向いていた。
貴婦人たちは扇子の陰で、しかし声だけは異様に大きく、ひそひそと笑い合っている。
「まさか食事中に髪に手を触れる娘がいるなんて」
「なんて汚らしいのかしら」
「恥ずかしいこと」
「ねえ、もしかしたら間違って庶民の娘が紛れてきたのではない? ここはあなたの居場所ではないと、どなたか教えてさしあげて」
どっ、と笑う貴婦人たち。
彼女たちはこのお茶会で、ローザの作法をあげつらっては笑いものにするのを、もう一時間近くも続けていた。
「ねえ、皆さん、そんなに笑ってはおかわいそうよ。もしかしたら身体が大きく見えるだけで、八歳のお子ちゃまが紛れ込んできたのかもしれないじゃない」
「きっとそうよ」
ローザをやり込めているのは、噂で一連の婚約破棄をききつけたティリヤ伯爵夫人だった。
ティリヤ伯爵夫人を筆頭にしたサロンのグループが存在し、その女性たちがローザを呼びつけたのである。
――このババア、お姉ちゃんがお気に入りだからって、こんな姑息な手段に出なくてもいいのに!
大人がよってたかって小娘を笑いものにするなど、イジメではないか。
――だいたい、私だって礼儀作法くらい知ってるっつーの。
ローザだって王族の末裔で、公爵令嬢。
一通りの作法くらいは知っている。
ひけらかさないのは、ローザが下々の身分の者たちとも仲良くできる、気さくな女の子だということを示してあげているつもりだった。
ローザの憧れであるロマンス小説の主人公が、まさにそんな風に、気取らずに人と付き合える女の子だったのだ。
ローザは生まれつきの姫なので、ちょうど高貴な身分を恥ずかしく思う年頃に差し掛かっていた。
――知っていても、あえて言わない、ひけらかさないのが本物なのに、このババアたち何にも分かってない。
「ねえ、皆さん、驚かないで。この子がなんと次の元帥夫人なのですって」
「世も末ね」
「元帥様のご子息もいまだに宮廷に上がらせてもらえないらしいし、どうなってるのかしら」
「このままだと元帥職は別の方にお譲りすることになったりして?」
「その方がよさそうね。わたくしそう進言させていただくわ」
好き勝手言う貴婦人たちに、ローザは怒り心頭だった。
――王族の血を引いてる私に向かって舐めた口利くじゃない!?
ローザの祖父は先代の王弟だ。
ローザの好きなロマンス小説でも、王子、王女は別格。
父親に告げ口すれば全員宮廷から追い出すことだってできるのに、なんと浅はかな女たちだろう。
ローザはさっそくその日の晩、父親に泣きついた。
「ティリヤ伯爵夫人が私のことをマナーのなってない小娘だってさんざん馬鹿にしたのよ! どう、ひどいでしょう!?」
「あの方か……」
「たかが伯爵家なのに王族の私に逆らうなんて! ねえパパ、あの人たちを全員宮廷から追い出してよ!」
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