8 白髪令嬢の正体
ルクレツィアはまっすぐフードの奥を覗き込むようにして、ラミリオを見た。
不安そうに視線から逃れようとする彼をあえて見つめながら、ルクレツィアは問う。
「どうして療養などと、お話が行き違ってしまったのでしょうか。それはわたくしどもセラヴァッレ公爵家の本意ではありませんわ。どうか説明をお願いします」
「あーいや、そのことなんだが……」
ラミリオは神経質にフードを引っ張り下げながら、あくまで和やかな口調を保とうとしていた。
「なにしろ急だったからね。君も婚約破棄をされたばかりで、少し気が動転しているだろう? ゆっくり養生して、それから考えても遅くはないと思ったんだ」
「わたくしは動転などしておりませんわ」
「しかし、何もわざわざ俺なんかのところに嫁ぐことはない。少し羽を休めたら、王都に返り咲くのもいいんじゃないか?」
ルクレツィアは意外な展開に、黙って聞き入った。
「俺はもう六度も婚約破棄されてるから、七度目の君が『醜悪公とは何もなかった』といえば、おそらくすんなり通るだろう。自慢じゃないが、俺の身は潔白だからな……って、何をする!」
いきなり横合いから張り手が飛んできて、ラミリオの頭を打った。打った男はひそひそと耳打ち。「下品です、閣下」ばっちりと聞こえてしまったルクレツィアは少し気まずくなった。
ラミリオは気を取り直して、こほんと咳払い。
「まあ、とにかく、君はいくらこの領地にいても、経歴に汚点となることはないわけだ。安心して休んでいってくれ。俺も……まあ、なんだ。少し疲れているんだ。しばらく君が婚約者だということにして、休みたい……」
言いながらラミリオがうっかり自分の言葉に傷ついたらしく、語尾が泣きそうに揺れる。
――感受性豊かな方なのね。
ルクレツィアはなんとなく、ラミリオのことが好きになり始めていた。
「戻りません」
ルクレツィアははっきりと言う。ラミリオと視線を合わせたかったが、フードと黒眼鏡に阻まれてできない。早く彼の素顔が見てみたいものだ。
「わたくしはこの地にあなたの妻として参りました。素敵な方なのだろうとも感じております」
言いながらルクレツィアは自身もヴェールを身に着け、素顔を半分隠していることに気づいた。
こんなものをつけていては誠意が伝わらないだろうと思い、がばっとめくりあげて素顔を晒す。
「お気に召していただけなかったのなら戻りますわ。でも、わたくしに不満がないのであれば、どうか婚約を執り行ってくださいませ」
――あなたの素顔も見せて。
ルクレツィアはその思いで身を乗り出し、じっとラミリオを見つめたが、彼は最後までフードを外そうとはしなかった。
「……わ、分かった。この件は、もう一度話し合おう。今日のところは、他の予定も押しているから、これで。しばらく君の世話係にうちの執事をつけておくから、ゆっくり部屋でくつろいで、何でも申しつけてくれ」
ラミリオはそっけなく言うと、側近と一緒に出ていった。
ラミリオとの初対面は、それで終わりだった。
***
ラミリオは側近・ボスコを連れて足早に自身の書斎に戻った。
盗聴防止の重厚なウォルナットのドアを締め、あたりの気配を探ってから、ひそひそと自身の側近に言う。
「……結婚詐欺じゃないか?」
側近はほとんどパニック状態の自身の主人を見て、またたきし、控えめに「なぜ、そう思われたのです」と逆に聞き返した。
ラミリオは感情的に声を荒げる。
「だって都合がよすぎるだろう!? 見たか、彼女の素顔を!? 妖精どころじゃなかったぞ!?」
「お美しいお嬢様でしたね」
「びっっっっくりしたじゃないか! 肖像画より本人の方が美人だなんて誰が想像する!?」
色素の薄い少女で、髪が白銀色なら、瞳も月のような薄い金色。肌は抜けるように白い。感情の読めないまなざしは、無垢な人形を思わせる。
少女は目立つ姿を覆い隠すように、地味で目立たない服を身にまとい、顔にはヴェールをつけていた。
美しい白銀の髪も、きっちりと結い上げ、ヴェールで覆い隠していては、老婆の白髪のように見えるもの。きっとそのせいでルクレツィアは、『白髪令嬢』などという不名誉なあだ名をつけられてしまったのだろう。
「ははあ。ラミリオ様のお眼鏡に適う方で何よりでございますね」
「よくない、問題大ありだ!」
ラミリオはすっかり興奮していた。
どんな容姿の娘が来ても受け入れる心積もりではあったが、これは予想外だ。美少女すぎるときの対策なんて、何も考えていなかった。
「非の打ちどころのない美少女が、こともあろうに素敵な方だと言って俺に結婚を迫ってくるんだぞ!? 醜悪公と呼ばれたこの俺にだ! 三文芝居でだってこんな都合のいい夢物語は見たことがない!」
側近は慇懃無礼な仕草で、天を仰いだ。
「すっかり人間不信に……おいたわしい」
「まったく思っていなさそうな同情はやめてくれ。とにかく、彼女はおかしい。絶対に何かを隠している。世の中がそんなに俺に都合よく回るものか! 騙されないぞ!」
色眼鏡の奥に隠された彼の目には、さんざん人の世で虐げられてきた者特有のひねこびた暗い色が宿っていた。
笑い話として出回っている『醜悪公』の六度の婚約破棄だが、当人は毎回しっかり傷ついている。さらに世間から笑いものにされることでもう一度ダメージを負っていたのである。自尊心はもうずたぼろだった。
「なんなんだ? セラヴァッレ公爵の家はそんなに金に困っているのか? だからぜひとも俺と縁を作れと厳命されてきたとか? そうでなきゃあんな美少女が俺なんか相手にするわけがない、そうだろうボスコ!」
ボスコという名の側近は、ハンドサインを祈りのときの手順で切った。
「末期症状ですね。お悔やみ申し上げます」
「うるさい! 見てろよ。絶対に正体を暴いてやる……」
ぶつぶつとつぶやくラミリオ。
「セラヴァッレ公爵の家をもっと洗え。金に困った様子はないか調べるんだ! それから彼女の身辺調査も! 金使いの荒い女かもしれん!」
側近・ボスコが「承知」と言い残し、出ていくのを目で追い、ラミリオはため息をつく。
「何を考えてるんだ。俺が素敵だなんて。そんな見え透いたお世辞で俺が騙されるとでも思っているのか……!」
しっかりと大打撃を受け、フードの下で耳まで顔を赤らめていることは、当人の関知するところではなかった。
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