38 皇太子の求婚
「しかし、驚きました。イルミナティにいたころよりずいぶん表情が明るくなりましたね」
「そ……そうかしら」
父の喪中になんてふしだらな娘だと暗に言われているのかと思い、ルクレツィアは緊張した。
「きっと、こちらの風土があなたに合っていたのでしょうね。今のあなたの方がずっと素敵ですよ」
しかし、ライシュに含みはないようで、サラリと褒められてしまった。
ルクレツィアは頬が染まるのを感じながら、ちらりと隣のラミリオを見た。
もしもルクレツィアが変わったのだとしたら、ラミリオのおかげだと思う。
「私は戦争も無事終結させられて、ホッとしているところです」
「……ええ、長引くことなく、再び和平が結ばれたことが、わたくしとしても何よりうれしく思っております」
「あなたの父のことは……残念でしたね」
ライシュの言葉に、ルクレツィアは返す言葉をしばし見失った。
戦禍に巻き込まれて亡くなった父のことを、ルクレツィアはいまだにどう捉えていいのか分からないでいる。
「あなたの無念は分かります。何も言わないでください。私としても責任を感じているんだ」
ライシュが悔しそうに言うので、ルクレツィアはかえって慌てたくらいだ。
「そんな、もったいないお言葉でございます!」
「しかし、私がもう少し気にかけていればと思うと、あなたには顔向けができなくてね」
「殿下……」
ラミリオがふとルクレツィアに顔を寄せて、ひそひそと聞いてくる。
「皇太子殿下とは以前から交流があったの?」
「はい。父ともども、懇意にしていただいておりました」
「へえ……」
ラミリオは彼に手を伸ばすと、握手を求めた。
「パストーレ大公のラミリオです。ルクレツィアとは喪が明け次第結婚する予定でおります」
「そうだったのか、それはおめでとうございます」
まるで今初めて知ったかのような発言が少々引っかかり、ふたりをじっと見てしまった。
――……微妙に険悪そう……かしら?
しかし、とりたててそれ以外におかしな点はなかった。二人の間でたわいない会話が始まり、無難に流れていく。
「もちろんライの方々にはこれまで以上にお引き立ていただきたい……」
仲良くしていこう、というような会話が続いている。
――気のせいかしら。
ライシュは本国にいたときも表向き好青年だったが、ちょくちょく油断のならない発言もしており、以前からかなり強硬な戦争推進派であることは知っていた。
だから、今日会いたいと言われたときも、今度はパストーレを狙っているのかと少し焦ったくらいなのだ。
――でも、パストーレはちょっと内陸すぎるわよね。補給にかかる手間やコストを考えたら、飛び地としても維持し続けるのは割に合わなそうだわ。
意図をもんもんと推測していたら、ライシュの方から切り出してきた。
「これは私なりの感謝の印なのですよ。イルミナティでは、セラヴァッレ家には本当に何から何まで助けていただいた」
ルクレツィアは警戒を深める。
――うちと彼らの付き合いは普通程度で、決して援助をしあうような関係ではなかったのだけれど……
それが戦争のきっかけになったローザたちの愚行も指していることに、ルクレツィアは遅れて気が付いた。
――港町が取れたのは、君たちが愚かだったからだとでもおっしゃりたいのかしら。
うっすらと嫌悪感を募らせているルクレツィアに、ライシュがにこりとした。
「セラヴァッレ家の手厚いご厚意に比べたら、ほんのささいなお返しではあるけれど、受け取ってほしい」
テラスに、大きな箱が次々と運ばれてくる。
そのうちの一つを手に取り、ライシュが開いてみせた。
太陽光と海からの照り返しを受けて、燦然ときらめくダイヤモンドの首飾りが、白い絹に埋まっている。
ルクレツィアが貸金庫に預けていた宝石だ。
「お父上の遺品は、これですべてかな? 確認してほしい」
ルクレツィアは信じられない思いで、箱をひとつひとつ検めていった。
さすがに全部は記憶していないが、主要な宝石はすべてそろっている。もう、戻ってこないものだと思っていたのに。
「殿下は、わざわざこれを届けに……?」
彼には返す義理などなかったはずだ。国際社会では戦地での略奪が批判されるようになってきたとはいえ、実際に取り締まられることなどない。
「礼には及ばないですよ。決してお返しなどに気を遣わないでください。あなたから受けた恩恵は計り知れませんから」
快活に笑うライシュ。
本当に裏などはなく、好意で返してくれるようだった。
「それでは、拝領いたします。ありがとうございます」
そこでライシュは、ニヤリとした。
「もしもこの三倍の宝石を贈ると言ったら、あなたは私と結婚してくれるでしょうか」
ルクレツィアは激しく面食らった。
「こたびの戦勝でわが国がますます栄えることを考えたら、その程度は安いものなのですが」
ルクレツィアはショック状態から素早く抜け出した。
――なんだ、それを自慢したかっただけなのね。
本当は大っぴらに港町から得る利益を自慢したかったのだろう。しかし、ルクレツィアは一応イルミナティ出身で、あまり露骨な言い方をしてはカドが立つ。
彼としては大笑いしたい気分に違いない。
ルクレツィアはすまし顔で、何と言って断ろうかすばやく考えを巡らし――
「殿下が三倍出すというのなら」
思わぬ声が横手から振ってわいた。
「彼女を引き留めるために、俺はその三倍は出さねばなりませんね」
ライシュはこれにも大喜びした。
「途方もない数の金銀財宝がルクレツィアの手に渡ることになりそうだ。失礼を申し上げるようですが、貴殿に可能でしょうか?」
「それだけの価値が彼女にはありますから」
はっきりと言い切ってくれたことがうれしくて、ルクレツィアはついにやけてしまった。
「あなたはどう思いますか? 私と彼と、どちらがより多くの財宝をあなたにもたらすでしょうか」
ルクレツィアはにやにやしてしまりのない顔を両手でただしながら、とりすました声で応える。
「これより殿下は、お持ちの船すべてを満たすほどの黄金を手になさるでしょうけれど」
と、いったんは彼を持ち上げ、「でも」と言った。
「わたくしにとってのパストーレ公閣下は、どんな財宝にも代えられない方なのでございます」
ライシュはやれやれというように、笑いながら首を振った。
「素敵な出会いをなさったようだ。それでは間抜けな振られ男はすごすごと退散することにしよう」
「殿下、せっかくですからうちまでお越しになりませんか。届けてくださったお礼は、私の方からあとでたっぷりさせていただきますので」
ラミリオが食い下がったが、ライシュは笑いながら「必要ない」と言った。
「いや、いいんだ。本当に、返礼は気にしないでくれ。私は祖国が恋しくてね。一刻も早く帰国したいんだよ」
ライシュはそう言って、自分の部屋へと引き上げていった。
ぞろぞろと二十人ばかりの護衛とお付きの人が後に続き、テラスが急にガラガラになる。
ルクレツィアは彼の姿が見えなくなるのを待って、ぴょこんと隣のラミリオに飛びついた。
「うわっ、何?」
ルクレツィアはじっとラミリオの顔を覗き込む。普通に驚いているようだ。
「珍しいね、君がこんなふうに人目もはばからずにくっついてくるの」
「だって!」
ルクレツィアはぐっと顔に力を入れた。大切なことなのだ。
「わたくしはうれしかったのです」
ぎゅうっと抱きつくと、ラミリオは呆れたようにしつつも、笑ってくれた。
「宝石が返ってきてよかったね」
「そのことではありません!」
ルクレツィアはじれったくなった。なんで分からないのだろう。
「ラミリオ様がわたくしを九倍で買ってくださるとおっしゃったのですわ!」
「え……いや、そりゃ、言いはしたけど、本当に出せるとは……」
別にルクレツィアも、本当にほしいわけではないと思ったが、面倒なので説明はしないでおいた。
このうれしい気持ちを、もう少しだけラミリオに甘えて、分かち合っていたかった。
――皇太子は、その日のうちにパストーレ港を出港していったという報せがあとで届いた。
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