37 君が望む言葉
ルクレツィアは自分の気持ちに蓋をしながら、感情のない瞳にせいいっぱいの愛想を浮かべようと努力した。
「パストーレの宮廷を盛り立てるには、マルゲリータ様やカッシア夫人のような方々のお力添えがどうしても不可欠だと思っております。どうかお力をお貸しくださいませ」
さしあたっての課題ということで、冬季のイベントについての打ち合わせを終え、お茶会は終了した。
カッシア一家が去ったあと、ルクレツィアは隣でぼーっと立って馬車を見送っているラミリオに目をやった。
非常に疲れているように見えるが、それはやはりあのマルゲリータのせいなのだろうか。
ルクレツィアはどうしても自分を抑えることができなかった。
「……ラミリオ様は、マルゲリータ様のことがお好きだったのですか?」
ラミリオは一気に現実に引き戻されたような顔をして、慌てていた。
「いや、そんなわけないだろ!?」
陰気な瞳でじとっと見上げるルクレツィアに、ラミリオは眉尻を下げて、なんだか変な顔になった。
「……君、怒ってる?」
ルクレツィアは、そうだというように、腰に手を当てた。
「わたくしと一緒にいるときより楽しそうでしたわ」
「どこがだよ……できれば会いたくなかったんだって。俺はああいうタイプが一番苦手なんだ」
「お可愛らしい方でしたわ、気さくで、明るくて」
「誰のことだよそれは……マルゲリータは、恐れずにものを言う上に思いやりがないガキだっただろ。なんだよ……なんでそんな目で見る?」
ルクレツィアは納得が行かなかった。
ラミリオは根がいい人すぎるのだ。暴言を吐かれても、それほど怒っているようには見えないくらいに。
たとえ過去に振られていたとしても、マルゲリータにチラチラと「でも今は、結構好きかも」などと匂わせられたら、簡単に転がってしまうのではないか、というような危惧が、彼女にはあった。
「ご婚約を結ぶほどなのですから、少しは気持ちがあったのではありませんこと?」
「いや、全然……カッシア夫人が勝手に世話を焼いたんだよ。で、夫人の手前、俺もマルゲリータも強く言えずに、マルゲリータがうちに来て一緒に暮らしてたってだけで」
「ご一緒にお暮らしだったのでございますか!?」
「そうだけど……え、そんなに食いつくほどのことか……?」
ラミリオは様子がおかしいルクレツィアを持て余してか、だいぶうろたえているようだった。
「何……? 何を言えば分かってもらえるんだ……? あいつが泣きながら拒否したんだよ、あんな気持ち悪い男は無理だってな。言われた俺の気持ちが想像つくか? マルゲリータだけは絶対にない。もしもあいつが手のひら返して俺に気があるだなんてそぶりを見せたら百万回は笑いのネタにしてパストーレ中に言いふらすね」
「それはそれでちょっと嫌なのですけれど……」
思わぬ闇を覗いてしまった。ラミリオを遠く感じる。
ラミリオはとうとう苛立ちに耐え切れなくなってきたようで、頭をガシガシとかいた。
「じゃあ何を言えばいいんだ? マルゲリータが好きだなんて心外もいいところなんだが」
ルクレツィアはちょっと恨めしい気持ちで、上目遣いにラミリオを見た。
「わたくしと、あの子と、どちらが可愛いとお思いになりました?」
「そんなもの君の圧勝だろうが。マルゲリータに可愛げなんかない。皆無だ。君は美人で、愛嬌があって、賢くて、優しい。マルゲリータなんかと比べるのも……」
言いながら、ラミリオは突然黙った。
「……それで?」
ちょっと嬉しくなってきたルクレツィアが続きを催促すると、彼はいきなり笑い出した。
「なんだ、君、妬いてたのか」
ラミリオは笑いながら言い、ルクレツィアを抱きしめてくれた。
「いやほんとに、よく分からないよ。君が妬けるような要素あったか?」
「ラミリオ様には六人も過去の女がいるのですわ」
「過去って」
「どれか一人は本命だったかもしれませんわ!」
ラミリオは大笑いした。くっついているルクレツィアにも身体をひきつらせて笑う振動が伝わってくる。
「いや、かわいいけど……君は俺にとって恩人だぞ? 過去にどんな美女に出会ってたとしても、全部どうでもよくなるくらい君には借りがある」
「やっぱり出会っていらしたのですわね!」
「たとえ話だから落ち着いてくれ。君は俺が今までに出会った中でも一番の美女だったよ。初めて肖像画を見せられたときは震えたね」
ルクレツィアは興味を惹かれてラミリオの顔を見た。
その頬を、ラミリオが片手でぶにっと挟む。
「君ならもっといい条件の嫁ぎ先がいくらでもあるって、俺は何回も言ってやっただろう? それでも俺がいいと言いきった物好きが君だ。俺の気持ちが想像できないか?」
照れ隠しなのだろうか、ラミリオはちょっと乱暴にルクレツィアの頬をぶにぶにともんでいる。
「マルゲリータが『人として無理』と断った俺を、君は『素敵だ』と言ってくれたんだ」
ルクレツィアはひたすら頬をもまれながら、ラミリオが柔和な顔つきをさらに甘くとろけさせているところを、間近で見てしまった。
今の彼が、『醜悪公』だと呼ばれていた男だと言って、誰が信じるだろう。
「ルクレツィア、俺は君に借りを返さないといけない。一生かかっても返しきれるか分からないけど、出来る限りのことをするつもりだ」
ラミリオは手を離して、まっすぐルクレツィアを見た。
「君は俺に何を望む?」
「知れたことですわ」
ルクレツィアがほしかったものなんて、もうとっくにもらっている。
それでもあえて注文をつけるのなら。
「ただ、愛しているとおっしゃっていただけたら、わたくしは満足いたします」
耳元でささやいてもらったときの響きや熱を、ルクレツィアは生涯忘れないだろうと思った。
***
イルミナティ王国とライ王国の戦争は、ライの勝利で終結した。
イルミナティの国王は三つの港町と二つの島を割譲することで合意し、ライ王国は王都から引き揚げていった。
その途中、いくつかの船が、突如としてパストーレの港町に寄港。
パストーレ領内にも戦火が飛ぶかと危ぶまれた。
「これ、君宛ての親書だそうなんだが、読めるかい?」
ラミリオに手渡された封筒にさっと目を走らせ、中身を読む。
――ライの皇太子殿下からだわ。
「……殿下は、わたくしの父の遺品を届けにきたとおっしゃっています。陸でお会いすることはできませんか、と」
「なるほど。敵意がないのなら、別に構わないが」
ライの皇太子を迎えに、ルクレツィアとラミリオは港町まで出向くことになった。
港は、せわしなく荷卸しをする人たちでごった返していた。
その中に目立つ三角帆の軍艦があり、皇太子たちの記章を掲げている。
そうした絶景を一度に眺め下ろせる、小高い丘にある宿で、ルクレツィアは皇太子ライシュと再会した。
大理石のテラスには強い潮風が吹いていて、ルクレツィアのドレスや、ライシュたちの着ているゆるやかな長衣をはためかせた。
「ルクレツィア。元気そうな顔が見られてとても嬉しいです」
「ええ、殿下も」
ラミリオにも分かる言葉でライシュが話しかけてくれたので、ルクレツィアもそちらで応じた。
ブックマーク&画面ずっと下のポイント評価も
☆☆☆☆☆をクリックで★★★★★にご変更いただけますと励みになります!




