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35 父の末路


 アントニオはさあっと身体が冷たくなるのを感じた。


「……なぜあなたがそれを」

「どこにある?」


 有無を言わさぬ口調。


 アントニオは反射的に抱えていた書類を差し出した。


 中身を検めるライシュを眺めながら、ようやくアントニオはある可能性に思い至った。


「ルクレツィアか。あいつが私を売ったのか!?」

「売ったとは大げさな。あなたが書類を勝手に盗んで、のこのこと敵地にやってきたんだろう」

「ライにまで手を回していたのか、恥知らずめ!」


 ライシュは鼻で笑った。その態度にアントニオは怒りを煽られる。


「ルクレツィアと共謀していたんだな!?」

「そんなはずはないだろう。今回のことは、ただ……」


 ライシュは話半ばで席を立ちかける。


 もはや用はない、とでも言わんばかりに。


「……アントニオ公子。君がとにかく愚かだった、それだけのことさ」


 そして彼は、とびっきりの悪意がこもった笑顔を見せた。


「処刑は明日だ。派手にやってあげよう。素敵な宝石まで贈ってくれた、ルクレツィアへの餞別だ。港町だけでも私には十分だったのにな」


 皇太子が悠々と彼に背を向ける。飛びかかりたくなったが、周囲をライの兵士で固められているため、指一本動かせない。


 アントニオはもはやなりふり構わずに、叫ぶ。


「ま、待ってくれ……! 助けてくれ、お願いだ……! 助けてくれれば、ルクレツィアがさらに金を出す! あいつの資産はあんなものじゃないんだ! だから、頼む、どうか……!」


 ライシュはほんの少しだけ振り返った。


「あなたには本当に楽しませてもらったよ。さようなら、また会う日まで」


 その日は王城で、いつまでも泣き叫ぶ男の声が聞こえたという。


 翌日、アントニオ公子の処刑が庭で大々的に行われると、悲鳴はぱったりと止んだ。


***


 あくる週、ルクレツィアは代理人に集めてもらったイルミナティの新聞に目を通して、はっと息を呑んだ。


 父親の処刑のことが、大きく一面に書かれていたのである。


 代理人も初めてこの記事に目を通したようで、驚いた表情をしている。


「残念です」

「ああ……どうしましょう。ローザになんて説明したら……」


 ――あの子はお父様に懐いていたわ。きっと悲しむでしょうね。


 胸が痛みつつ、ルクレツィアはあることに気づいた。


 ――わたくしは……あまり、ショックを受けていないわ。なぜかしら。


 ぼんやりとしていたせいなのだろう、打ち合わせを終えてテラスでぼんやりしていたら、ラミリオに心配された。


「どうした、ルクレツィア? ひどい顔色じゃないか」

「ラミリオ様……」


 ルクレツィアは何も話す気になれず、抱えていた新聞をそのまま見せた。


「処刑されたのか……!? なんてことだ……辛かっただろう」


 胸に抱かれるのを嬉しく思いながら、ルクレツィアは空っぽの心を持て余していた。


「父上の自業自得だ。もうすぐ戦争になると分かっていて、目先の金ほしさに飛び込んでいったわけなんだから」

「でも、まさか、即日処刑されるなんて……ライ王国も、わたくしにまず問い合わせてくださっていれば、身代金くらいは払えたのですわ」

「なぜ君にそこまでする義理が?」


 ルクレツィアは苦しくなって下を向いた。


「……わたくしを育ててくださったからですわ」


 服の下に隠して身に着けている、小さなペンダントを探り当てる。


「わたくしに贈り物だってしてくださいました。この、ペンダントを」


 首元から抜き取り、手のひらに置いて、ラミリオに見せた。


「……他には?」

「……」


 ルクレツィアにとって、これが唯一のもらい物だった。


「ドレスや髪飾りは? 八歳なら、成長に合わせて余計に多く必要だったろう」

「それは、祖父からお金を頂いているのなら、そちらから自分で買いなさい、と……」

「君、それで本当に育ててもらったと思っているの?」


 ズキリと胸が痛んだ。


 それは、言葉にしないまでも、ずっとルクレツィアが感じていたことだった。


 薬師の老婆のもとに身を寄せていたときは、豪華なドレスを作ってもらえなくとも、こまめに背丈を測って、清潔な布であつらえた新しいワンピースをいつも着せてもらっていた。


 ルクレツィアの髪を整え、成長を喜び、節目節目に少し豪華なごはんを食べさせてくれていた。


 そこには温かい思い出がたくさんある。


 なのに、セラヴァッレ公爵邸に移ってからのルクレツィアは、いつも冷たい態度にさらされていた。


 ルクレツィアにとってつらかったのは、豪華なドレスを買い与えてもらえないことではない。


 冷たく、まるでいないもののように扱われていたことなのである。


 ルクレツィアは代理人を通して、日用品を自分でそろえることを学んだ。ドレスや本のみならず、布団や食器、家庭教師に至るまで、全部自分で選んだのだ。


 そして、大きくなるにつれて、財政の怪しいセラヴァッレ公爵家を支えようと、資産を元手に、投資でお金を増やす方法を学んだ。


 もちろん、自分の手で選び、なんでも自由にできるということには、大きな喜びがあった。その意味ではルクレツィアは恵まれていたといってもいい。


 しかし、どこかでずっと寂しさを感じていたのだ。


 ルクレツィアは大きな屋敷に住まわせてもらって、自由に暮らしているのに、まるでひとりぼっちみたいだ、と――ずっと思っていた。


 ラミリオは、物思いにふけっているルクレツィアのペンダントに手を伸ばし、ひったくると、そのまま自分のポケットにしまってしまった。


「こんな粗悪なペンダント、いつまでもつけている必要はない。俺がもっといいものを渡すから、今後はそちらを身に着けてくれればいい」


 取り返す気になれなかったのはなぜなのだろう。


 奪い取られて、かえってせいせいしている自分がいた。


「……でも、俺はあの人に感謝しなきゃならないんだろうな。あんな男じゃなきゃ、大事な娘を俺なんかのところに嫁がせようとは思わなかっただろう」


 ラミリオの自嘲気味な台詞に、ルクレツィアは少し彼を見上げた。抱きしめられているので、顔は見えない。でも、無理に動いて離れてしまうのも嫌だった。


「……旦那様には、わたくしが必要ですか?」


 誰かに必要とされたいという思いは、ルクレツィアのさみしさに端を発していた。


「君がいなかったら、今の俺はない」


 ルクレツィアはこっそりと、うふふと笑みをこぼした。


「ラミリオ様は、とってもカッコよくおなりですわ」

「嬉しくない――とは言わないが、そこまで興味はないよ。ただ、君が、『あんな男と結婚させられて可哀想に』と言われなくなったのは嬉しい」


 ラミリオの囁き声が耳に落ちる。


「俺も堂々と君が好きだと言える」


 ルクレツィアは笑っていられなくなった。心臓がどきどきと大きな音を立てる。


「君が来てくれたことが、俺の人生で最大の喜びだ」


 恥ずかしくて固くなっているルクレツィアに、ダメ押しのように頬へのキスが贈られる。


 ルクレツィアは今度こそ耐えられなくなって、少しだけ身を引いた。


 ドキドキとうるさい心臓の音を聞かれたくなかった。


「ルクレツィア、君の父上のことは改めて残念だった。喪に服すことも考えたら、今年の冬にパレードをするのは得策じゃない」

「あ……」


 ルクレツィアは心から残念がっている自分を発見し――


 なんて薄情な娘なのだろうと、震えた。


「また来年、豪華な挙式をしよう。少し先延ばしにはなってしまうが、忘れないでくれ。俺にはどうしても君が必要なんだ。やっぱりやめるだなんて言わないでくれよ」

「そんなこと……申し上げるわけがありませんわ」


 くすりと笑って、ラミリオの目を覗き込む。


 ――わたくしはこの方が好き。


 心の底から湧きあがる思いを、ゆっくりと受け止めていった。


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