30 父の強権
「……ローザ。あなた少し黙っていなさい」
「はあ!? お姉ちゃんってほんと嫌なやつ」
「ローザ。黙っていろ」
父親に怒られて、ローザはぷいとそっぽを向いてしまった。
「申し訳ありませんが、今さっき式を挙げたばかりですので、すでに結婚は成立しました。妻をお返しする気はありません」
肩を抱かれながら言われてしまい、ルクレツィアは小さく震えた。
――ふ、不謹慎なことは分かっているけれど……嬉しいわ。
この修羅場がちょっと楽しくなっている自分がいる。
「何も成立などしていない。私は君と何の契約書も交わしていないし、結婚式にも立ち会わなかった。娘の監督権はまだ私にある。そしてこれからも、君に渡すことはない」
「彼女を嫁に出すと、手紙を出してきたのはそちらでしょう」
「そんなのは無効だ。本気で嫁に出す気があれば、婚約を交わしていただろう。一時預けていただけのことだよ。私は今も昔も、一度も婚約に同意したことはない」
ラミリオはルクレツィアの身体を軽く引き、「行こう」と言った。
「ルクレツィアはこの結婚を望んでいます。それがすべてです。彼女はあなたと、二度とお会いしません」
それでは、と立ち去る様子を見せたラミリオを無視して、公子はルクレツィアの肩をつかんだ。
「ルクレツィア。二人で話がある。さもなければ、私は無理やりにでもお前を連れ帰って、二度とそいつとは会わせん」
「聞く必要はない」
ラミリオが優しく言ってくれた。
ルクレツィアはどうしたものか考えてしまう。
正直な気持ちを言えば、このままラミリオの元に嫁いで、父親と妹のことは忘れてしまいたかった。
「ルクレツィア、来なさい。それとも、彼に聞かせられない話をここでしてやろうか?」
――何のことかしら。
「聞かせられない話なんて、わたくしにはありませんわ」
「そうか? たとえば、お前が持ち逃げした公爵家の宝飾品のことなんかは、説明しにくいことだろう」
ルクレツィアは驚き、目をむいた。
「あれはもともとわたくしの持ち物でしたわ。おかしな言いがかりはおやめくださいまし」
「ああ、そうだな、お前の持ち物だ。……ただし、父親の私には自由に処分する権利があるがな!」
――厄介ね。どこでそんな知恵をつけてきたのかしら。
少し前まで、父はお金のことについて何にも知らなかった。そのためルクレツィアは好き放題できていたが、本来的にはその通りである。
聖典によれば女性には理性がない。
法律の上でも、女性が家の資産を処分するときには必ず血族の同意を得なければならない、とある。
そもそも、女性の資産はすべて家のものなのだ。
個人の資産――という概念が存在しないため、ルクレツィアが持っている一切の財産は、母親の持参金を相続したもの、という体裁を取っている。
持参金だけは、女性が立場の弱さに付け込まれて困窮しないようにと、一定の権利が認められていることが多い。
しかしその持参金も、本来は父親の同意がなければ自由に動かせないものなのだ。ルクレツィアがしているように、銀行を通じて好き勝手にお買い物――などは、かなりのグレーゾーンである。
父親の言うことにも一理あるため、ルクレツィアは慎重に反論する必要が出てきた。
「法的にも、母親の身の回り品は娘に直接受け継がせることができるとありますわ」
「限度があるだろう!? すべて売れば金貨一億はくだらないような代物だぞ!? あれは本来、私がお前の母親を貰うことを条件に贈られた、公爵家の財産だ! 勝手に持ち逃げすることは許さん!」
「お父様、言いがかりはほどほどに――」
ルクレツィアは言いながら、電撃的に理解した。
――ああ、そうなの。お父様は、わたくしのお金が目当てなのね。
父親とローザはくたびれた格好をしている。
新聞によると、父親は爵位を返還したと聞く。収入が激減して、生活に困ったのだろう。
どれほどの放蕩者でも、あの数の宝飾品を売れば、一生遊んで暮らせる。
――わたくしがいきなり使用人の雇用や公爵家への援助をすべて打ち切ったことや、模造品をつかませたこと、逆恨みしているのかしらね。
ルクレツィアとしては、ちょっと痛い目に遭えばいいのにな、という、軽い気持ちでやったことに過ぎなかった。
食うに困るほど困窮させるつもりはなかったので、本当に困っているのなら、いくらか面倒を見てあげてもいいかなという気持ちはある。
「分かりました――では、ひとまずお話だけでも」
「その必要はない!」
力強く割って入ったのは、ラミリオだった。
「妻のことなら、俺を通してもらいたい。こんなところで立ち話もなんですから、まずは屋敷にお越しください」
――ふたりを家に入れるなんて、大丈夫かしら。
一度入れたが最後、ずっと居座りそうな気がする。
ちらりと心配したけれど、ギャラリーの目が痛いことも確かだ。
このままだとまた新聞にあることないこと書かれかねない。
ルクレツィアは、屋敷でなんとか説得できればいいのだけれど、と思った。
***
そして、ラミリオの屋敷にいる公証人の立ち合いのもと、話し合いの場が持たれることになった。
「わたくしの資産に関しては、彼にすべて任せているの」
ルクレツィアは資産管理の代理人を呼び出して、代わりに説明をさせた。
「……というわけで、ルクレツィア様の母方・ソステーニョ家の祖父と、セラヴァッレ家の祖父が、双方合意の上で、ルクレツィア様の自由を認めています。お父様には何の権利もありません」
と、彼は、目の前に銀行管理の書類を何枚も突き付けて、根気よく説明していた。
最初はがんばって難癖をつけていた父親も、次第に疲れてきたのか、
「……ならば、私はルクレツィアの結婚を認めないだけだ。結婚を認めてほしければ、宝石をすべて渡せ」
と、直接的に要求してくるようになった。
ラミリオは黙って聞いていたが、頃合いと見たのか、手を挙げて周囲の注目を引きつけた。
「……もういいでしょう、公子殿下。要求の度が過ぎている。代わりに、一般的な金額までなら、俺から出します。それで納得してもらえませんか」
――無難な落としどころだわ。
ルクレツィアはそう思った。
結婚のときに、夫側から妻側の実家にいくらか払うのはよくあることだ。
「ふざけるな。一億の娘をそんなはした金で渡すわけがなかろう」
しかし、父親は納得しようとしない。
「ローザはどうなる? 曲がりなりにも王家の末裔だというのに、満足に持参金も用意できず、行くあてもない! お前には王家を助ける義務があるだろうに」
「父親の義務ですよ。彼女の、ではない」
「ルクレツィアは私の娘だ。財も含めて私の管理下にある」
「……だからそのことは何度も説明したでしょうに」
やがて父が何度説明しても聞かずに同じ主張を続けるようになったので、その場はいったん流れることになった。
「長引かせるつもりかもしれないな」
二人きりになったあと、ラミリオがぽつりと嘆いた。
「そんなことをしても、手に入るわけではないのに」
「目的は宝石以外にもあるんだろう」
はるばるやってきた彼らを外に放り出すわけにもいかない。
ラミリオたちは、彼らに部屋と食事を用意することになった。
旅での食事がよほど悲惨だったのか、彼らはよく食べ、足りないと言った。
「明日からもう少し多めに作らせよう」
「申し訳ありません、ラミリオ様」
「いや、いいんだ。食事が少し増えるくらい、まったく大したことではない」
ラミリオは親切に言ってくれたが、ルクレツィアは申し訳なさでいっぱいだった。
彼女の父は図々しく居座ることを決定したようで、ローザに向かって命じる。
「二人が勝手に不埒なことをしないように、お前が見張っているんだぞ」
「分かった。お姉ちゃん、今日から三人でよろしくね。ファルコ様のときもそうしてたもんね?」
淑女は男性と二人きりになったりはしないもの。
ラミリオと仲良くするのは許さない、ということなのだろう。
その日から、ローザのアプローチが始まった。
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