3 新たな嫁ぎ先
ルクレツィアはその夜、自室でつい愚痴をもらした。
「……どうしたらわたくしの話を聞いてくれるようになるのかしら」
ルクレツィアは何も、妹が憎くて礼法の間違いを指摘しているわけではない。
ただローザが実際の宮廷を知らず、淑女教育もサボって、オペラやロマンス小説をお手本に行動などしたら、さぞ恥をかくだろう――と心配しているのだ。
――読ませるなら、せめて作者が貴族の小説を……いいえ。きっと『教育的』すぎて嫌がるわね。
作者が貴婦人だということで話題になった小説が、宗教くさすぎて、あまり人気が出ない、などというのはよくある話だ。人々の俎上に登るロマンス小説というものは、貴族を登場人物にしながら、庶民を描かなければいけないものなのだ。
ローザが好きな小説も、庶民的なものである。
あれを真に受けて、恥をかくだけならばまだいい。
元帥は国軍を預かる最高司令官。
夫人は国の顔として、ときには敵軍をもてなし、ときには自国の名誉を守るために戦う、二面性のある腹芸を求められる。
元帥夫妻がぽんこつでは、いらぬ火種を招き、国全体を大きな危険に晒してしまう。
そしてファルコはどうしようもなくぽんこつだ。
ファルコに後を継がせたくても、頼りないと元帥夫妻が判断したからこそ、ルクレツィアに白羽の矢が立った。
ファルコとの将来に備えて、どんな事柄も学んで学びすぎるということがないのに、ローザときたら、外国語はおろか自国の宮廷ことばすら危うい始末。
危なっかしくて、今のままではとてもファルコとローザを外国の貴賓の前に立たせることはできない。
――いいえ、外国どころか、自国の宮廷でだってうまくやれるかどうか……
致命的な失敗をやらかす前に、なんとか説得したいところではあるが、すっかり毒されてしまっている妹に聞く耳を持たせるのは並大抵の苦労ではないだろう。
今更何を言っても手遅れなのかもしれないが、ことが国家間の戦争問題に発展しかねないことを思えば、ここで諦めるわけにはいかなかった。
***
ファルコはいそいそと元婚約者の実家に通っていた。
セラヴァッレ公爵の了承を得た今、妹・ローザとの交際を阻むものは何もない。ファルコの両親が所用から帰国するまで、のんびりいちゃついて暮らすつもりだった。
「ねえ、今度の週明けに友達のフィリッパたちが遊びに来てくれるんだけど、ファルコ様も来ない? ファルコ様のこと、のろけたいし!」
「いいよ、俺も君に会いたいからね」
「やった! ファルコ様ってすっごくかっこいいから、みんな羨ましいみたい」
「俺は君にしか興味ないんだけどな」
内輪の私的なお茶会で、ローザは面白おかしく姉のことをネタにした。
「……でさあ、お姉ちゃんったら、『元帥夫人になることを視野に入れて教育されてきたわたくしだけが本物なの』とか言うの! 笑っちゃうよねえ」
「うわあ、痛ーい」
「他の人たちに喧嘩売ってない? それ」
「何様って感じ」
「で、私に負けたのが悔しいからって、ちくちくイヤミも言ってきてさあ! ほんと嫌な女だよね、お姉ちゃんって! ファルコ様もそう思わない?」
「ん? ああ……」
ファルコはルクレツィアのことを思い出そうとしたが、何しろ特徴のない娘なので、これといって話題にすることがない。
「よく分からない女だったな。婚約を破棄するって言ったときも、あいつ、『はい』しか言わなかったんだぜ」
「本当に何を考えてるのか分からなくて気持ち悪いよね、お姉ちゃんって」
場は湧いた。
ファルコが口を滑らせたことで予想以上に盛り上がり、その日のお茶会は最後までルクレツィアの悪口で持ちきりだった。
ファルコはめいっぱい楽しんだあと、ふと不安になった。
――父上と母上に許可取る前だから、あんまり噂とか広めない方がいいんだけど、口を滑らせすぎたかな?
少し悩んだが、そもそもこの会合はごく私的なもの。
――まあ、ローザの友達しかいないから、大丈夫か。
全然大丈夫でなく、後々大問題になることを、ファルコはまだ知らない。
***
ルクレツィアはランチのあとにローザのテーブルマナーの指導を別室で試みようと、人払いをした。これで、多少大きな声を出しても、人に聞かれる心配がない。
「あなたはとても綺麗にチキンの骨を取り外すわね。手先が器用なのでしょうね」
気持ちよく聞かせるために、まずは褒める。褒めて持ち上げてから、ルクレツィアは気になっていた部分を切りだした。
「でもね、もしかしたらもう知っているかもしれないけれど、食事中に髪や自分の肌に触れてはいけないのよ。大昔には、その手で直接大皿から自分の料理を取り分けていたの。今はナイフとスプーンがあるけれど……大昔からの習慣を守っていることが、新興貴族とは格が違う、本物の貴族であるということを表すステイタスになるのよ」
お説教が始まったとたん、妹は露骨に不機嫌を顔に出した。
「ああもう、うるさい、うるさい! パーティならともかく、家でごはん食べてるときまで言わなくてもよくない!?」
「気を抜いていても自然とできるようにならなければダメなのよ、あなたはこれから元帥夫人として、自国だけではなく、あらゆる国のマナーに精通しなければならないのだから」
ローザを案ずる気持ちを、どうか分かってほしいと思いながら、ルクレツィアは一生懸命説得したが、ローザは早く終わってほしいと言わんばかりに黙っている。
――どうしたものかしら。
困っていたら、ふいにドアが開いて、父親のアントニオ・セラヴァッレ公爵が顔を出した。
「お父さん! お姉ちゃんがイジメるの!」
ローザが駆け寄り、セラヴァッレ公爵にしがみつく。イジメと言われたことに、ルクレツィアは気落ちした。やはり、何も伝わっていなかったらしい。
「放っておきなさい。その子はファルコくんに振られたのがよほど悔しいのだろう」
いわれのない中傷でルクレツィアをなじってから、セラヴァッレ公爵は嫌な笑みを浮かべた。
「喜べ、ルクレツィア。お前の嫁ぎ先が決まった」
父公爵の顔には満面に悪意が表出していた。
「へえ。傷者のお姉ちゃんをもらおうとするもの好きがいたんだね」
「ああ、もの好きで、最低最悪の男だ」
セラヴァッレ公爵はうきうきとした様子で新聞を広げてみせた。
見出しには『醜悪公、破談さる』とあり、記事の挿絵に奇怪な姿の人間が描かれていた。奇妙に首が長く、ロバのようなミミが生えていて、口は鳥のくちばしのように尖っている。片足が逆に生えていて、不格好に弓矢をつがえる手指は奇妙に長い。
「『醜悪公』ラミリオ・パストーレ! お前たちも一度くらいは名前を聞いたことがあるだろう?」
ローザは噴き出した。姉の鼻持ちならない教育指導に意趣返しができて、いい気分だったのだろう。
妹は大げさなほどのけぞって笑った。
「『醜悪公』って、不細工すぎてもう六回も婚約を破棄されてる人じゃない! あっはははは、お姉ちゃんにはお似合いだね!」
「それだけじゃないぞ、新聞によると醜悪公の領地には不気味な残虐事件が多発しているそうだ! 醜悪公の仕業なんじゃないかという噂まである!」
セラヴァッレ公爵はルクレツィアの頬に、新聞を叩きつけた。
ルクレツィアは反射的に新聞を受け取ってしまい、自分の手で広げてみることになった。
記事には醜悪公の外見が、十行詩でつづられている。
――昆虫のような目を持つ男、舌の先は割れて蛇のごとく、歯はふぞろいな鋸。体毛は狐のよう。
ルクレツィアはすぐに「ん?」と思った。
――挿絵と文章が違うわ。
くちばしに歯は生えていないだろうし、舌も同様だろう。
――だいぶ誇張されているみたいね。どこまで本当なのかしら。
三面記事にはいい加減な与太話がよく載っている。醜悪公の記事も眉唾物だと見てよさそうだ。
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