28 求婚
「まあいい、とにかく、ひとつ相談したいことがあって。それというのも色々と俺の事情も変わってだな」
「どんなことでしょうか?」
「君の家族もちょっと関係あるんだが、まずは俺の気持ちというかな……」
ラミリオはなかなか本題を切り出そうとしない。
「わたくしでお役に立てることでしたら、何でもおっしゃってくださいませ」
ルクレツィアは人に頼られるのが大好きである。われながら生き生きしているなと思う声が出た。
「いや、その……」
しかしラミリオははっきりしない。
「……そういや、君の母親って、今どうしてるんだ?」
「亡くなりました」
「そうか、残念だな。義理の母親というのは?」
「後妻なのですわ。妹を産んで、他に男を作って出ていきました」
ラミリオのテンションが目に見えて下がっていく。きっとコメントに困っているのだろう。
「ラミリオ様のご両親は?」
「流行り病で親戚もろとも亡くなった」
「まあ……十年前の流行のときですわね?」
「そうだ。俺だけ山奥の修道院に入れられていたから無事だったんだ」
ルクレツィアはさみしそうなラミリオを見て、奇妙な親近感を覚えた。
「わたくしたち、似た者同士なのですわね」
「そうなのかもしれないな」
ラミリオがルクレツィアをまっすぐ見つめる。
金色の瞳は、日差しの中だと一層温かみのある黄味を増し、柔らかく見えた。
「君のことはずっと他人の気がしなかった。まだ手紙でしか存在を知らなかったころから、勝手に同情を寄せてたんだ」
「ラミリオ様……」
ルクレツィアは彼から目が離せなかった。ふいに強まる鼓動を無意識に手で押さえる。
「俺なんかのところに嫁げと言われて、君が味わった無念はよく分かる。俺もずっと修道院に追いやられていたからな。だから俺は、君に誰よりも幸せになってもらいたい。そのためなら、なんだってすると約束する。だから――」
ラミリオは言い淀んだ。
「……俺は、その」
何か言いたそうにしているが、もごもごとはっきりしない。
「……だから、つまり俺は」
ラミリオはそう言ったきり、完全に沈黙した。
視線はずっとテーブルを超えて足元の菓子くずにたかるアリの行列を見つめている。
ルクレツィアは十分に待った。
――相談って、そんなに言いづらいことのかしら? 今日のラミリオ様は変ね。
ずっとラミリオの顔が赤い。桃色を通り越して真紅に染まっている。
じれったくなり、まずは緊張を解いてあげたいと思い、口を開く。
「わたくし、ラミリオ様の噂が大げさだということは、来る前から存じておりました。ですから、ちっとも嫌だと思っておりませんでしたわ」
虚を衝かれた様子のラミリオに、ルクレツィアはにこりとする。
「新聞に『昆虫のような眼』と書かれているのを見た瞬間から、もしかして、治して差し上げられるのでは、と考えておりましたの」
「そ……それだけでか? ほかにも色々ひどいことが書いてあっただろう。少しくらいは嫌だと思ったんじゃないか?」
ルクレツィアはかすかに噴き出してしまった。
「ラミリオ様はお優しい方ですわね。見ず知らずのわたくしを心配して、いつも先回りして親切を施してくださって。でも、いけませんわ」
これはラミリオの悪癖だと、はっきり自覚してもらいたかったので、ルクレツィアはなるべくきっぱりと言った。
「わたくしは平気です、と何度申し上げてもご自身のご想像の方を信じてしまうのはよろしくありませんわ。それだけわたくしのことを案じてくださってるのだとしても。わたくしはいやいや嫁ぎにきたのではございませんし、無念なんてあるものですか」
ないのです、とルクレツィアは念を押した。
「お優しい方だから、考えすぎてしまうのですわよね? でも、わたくしなら平気ですわ。わたくしを信じて、何でもご相談になってくださいませ」
――これで少しは口が軽くなってくださるといいのだけれど。
ルクレツィアが期待を込めて見つめていると、ラミリオはぐっとテーブル越しに身を乗り出した。
ルクレツィアに向かって、何か大事なことを打ち明ける気になってくれたのだと期待させるのに十分な動作だ。
「分かった。君にそこまで言わせたのだから、俺が責任を取らないとな」
ラミリオはわざわざ席を立った。
どうしたのだろうと訝しむルクレツィアの足元に、ラミリオがさっと跪く。
驚きでドキリとしたルクレツィアの手を勝手に取ると、ぐっと強く握りしめた。
「どうか何も言わずに、今すぐ俺と結婚してくれ。明日には披露宴をして、完全に夫婦になっておきたい」
夫婦になるにあたって必要なことを、ルクレツィアは瞬間的にいろいろと思い出した。
ぼっと顔から火を噴く。
「……!?」
さすがのルクレツィアも、しばらく何も言えずに固まった。
ラミリオの真剣な目が、これは冗談事ではないと言っている。
「お待ちくださいませ、わたくしたち、先日婚約したばかりではございませんか」
「それでは足りないんだ。俺は……どうしても、今すぐ君と結婚したい。理由は色々あるが……とにかく、俺がそうしたいんだ。それが一番の理由だ」
ルクレツィアはほとんどパニックになりかけていた。
「ド、ドレス……宴会のお料理……そ、それに、大聖堂の予約も」
「また後日、必ず国を挙げての盛大なパレードをしてみせる。とりあえず、身内だけの式を挙げさせてくれ」
それはまずいと、元帥夫人になるための教育を施されたルクレツィアははっきり分かる。
しかし、理性とは裏腹に、なぜか心はドキドキが抑えられないでいた。おそらく、ルクレツィアは喜んでいる。自分で分かるだけに、断ろうとする理性がぐらついた。
――今日のラミリオはどうしてしまったのかしら?
まるで別人のようではないか。
直後に、先ほど自分が大いに焚きつけたのだということを思い出し、焦りを深める。
――た、確かに何でも相談してほしいとは申し上げましたけれど!
「な、なぜ、そんな」
「理由を知りたいだろう。今はまだ、俺を信じてくれとしか言えないんだ。でも、これだけは約束する。決して君を不幸にさせはしない」
ラミリオがずっとルクレツィアの手を握っている。まるで逃がさないとでもいうように。
触れられているところが熱くて、絹の手袋の裏で、汗をかいていた。
じっと見上げてくる金の瞳。
なんて素敵な男の人なのだろうと、場違いな感想が浮く。
「あ……あ……」
ルクレツィアはもはや頭が茹だってまともにものが考えられなくなっていた。
「お、お気持ちはとても、うれしいのですけれど、あの、でも、やっぱり、お式には、段取りが」
「嬉しいと思ってくれるのか?」
「そ、それは、もちろん、でも」
「なら、決まりだな」
「えぇっ……!?」
ラミリオのいつになく自信にあふれた身勝手な言動に――
ルクレツィアはなぜか胸が苦しくなるほどときめいてしまい、進退窮まった。
パニックの中で、一つだけ思いつく。
――ああ、そうだわ。淑女はこんなとき、こうするのよね。
ルクレツィアはその場をやりすごすため、ふっと気絶のふりをして、ラミリオに倒れ込んだ。
「お、おい! どうした、ルクレツィア、ルクレツィア!?」
急いで医者を呼ぼうとするラミリオの声を聴きながら、ルクレツィアは必死に気絶のふりを続ける。
お姫様のように横抱きにされて、悲鳴をあげかけたが、我慢した。
――ラミリオ様、力がおありなのね……わたくし、そんなに身軽ではないですのに。
くだらない詐病をしてしまった申し訳なさでいっぱいになる。しかし、下ろしてくださいとも言えない。
こうしてルクレツィアは、ラミリオの手によって自室のベッドに帰り着いたのだった。
彼が帰るまでじっとしていたが、室内から人がいなくなったとたん、がばりと跳ね起きる。
――日記に書くことが決まってしまったわ。早くしたためなくちゃ。
突然の求婚は、きっと将来の子孫の興味を大いに引くことだろう。
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