27 急展開
ファルコを追い払った後、手紙を受け取ったラミリオはうめいた。
「……今度はルクレツィアの父親か」
紋章入りの封蝋は見覚えのあるものだ。字も本人からのもので間違いない。
そして中には、くだらないことが書いてあった。
『状況が変わったので、ルクレツィアを嫁がせるのをやめる』
『娘を引き取りに、近々そちらの領地まで行く』
――ろくに婚約の取り決めもせず、身一つで追放同然に送り出してきたくせに、今更止めるとはなんだ。
それはラミリオも、当初は彼女の境遇に同情し、療養だけで帰してやろうと思っていた。
しかし、彼女が断片的に語る父親のことを聞けば聞くほど、ろくな親ではないのではないか、という想像が頭を占めるようになっていたのである。
今回急に『やめる』と言い出したのも、何か理由があってのことに違いないとラミリオは睨んでいた。たとえば、金に困って、別の男に娘をやる口約束をしてしまった、とか。あるいはラミリオをゆすろうという魂胆なのかもしれない。
「……ふざけるな、と送り返してもいいだろうか」
「おやめになった方がよろしいかと」
「なぜだ。一度は『娘をやる』と言ったんだぞ。証拠の手紙だってある。裁判だろうと何だろうとやってやるが」
「イルミナティの法では、三十歳未満の貴族子女は、親の同意なくして結婚できません。婚姻の事実がなければ、争っても無効にされるだけです」
諭されても、納得できない。
ラミリオは頭に来ていた。
――どいつもこいつも、ルクレツィアのことをなんだと思っているんだ。
利用することしか考えていない輩に囲まれている彼女が、不憫でならなかった。
「分かった。婚姻の事実があればいいんだな?」
ボスコがぎょっとした。
「それはそうですが、何をなさるおつもりで……?」
「彼女の親が来る前に、とっとと結婚する。司祭の前で誓いを立てて、軽く披露宴でもすればいいんだろう? すぐできる」
ボスコが蒼白になって首を振る。
「いけません! 女性が披露宴にどれほどこだわりを持っているかよくお考えを! 決して簡単に済ませていいものではありません!」
「豪華なパーティなんか後でいくらでもできるだろう」
ボスコは処置ナシとでもいうように、目を陰険に細めた。
「……知りませんよ、振られても」
ラミリオはぐっと言葉に詰まる。確かに、ちょっと彼女が可哀想かな、という気持ちがどこかにあった。
「振られなきゃいいんだろ。納得してもらえばいいんだ。父親が押しかけてきそうなことも説明して……」
そこまで言って、ラミリオはまた黙った。
――そんなことしたら、彼女、すごすごと帰るんじゃないか?
脂汗が浮く。
実の父親に『結婚は中止だ。帰ってこい』と言われたら、ごくまっとうな淑女教育を受けた人間は、まず言う通りにする。それだけ父親の意見は絶対的だ。娘とは、父親の保護下にあるべきもの、というのがディヴィーナ教の教えだからである。
いくらラミリオが『君の父親は酷いと思う』などと言っても、理解してもらえるかどうか。そういうものだと強く刷り込まれたら、なかなか覆らないのが人間である。
醜悪公のもとに嫁げという命令にもめげず、大人しくやってきた彼女なのだから、『お父様のお役に立てるのなら喜んで』などと言って自分を借金のカタにしかねない。
ラミリオは計画を少々修正することにした。
――父親のことは伏せて、とにかく結婚を急がせよう。
騙すような真似をするのは気が引けるが、それが彼女のためなのだ。
ラミリオは鬼になることに決めた。
――先触れがついているということは、本人も数日以内に到着するはず。
なんとか誤魔化して、父親への引き渡しを遅らせつつ、ルクレツィアに了承させねばならない。
――そうと決まれば、さっそく彼女に結婚の申し込みを……
そこまで考えて、ラミリオは固まった。
――結婚の申し込みって……つまり……あれだよな?
結婚してください、と彼が膝をついて頼まないとならないのだ。
それも、数日以内に。
ラミリオは生まれてこのかた、女性に対して強引なアプローチなどしたことがない。理由は単純そのもので、嫌われるのが怖いのだ。
婚約をするときも、『どうかうちの娘を』と言われるまで待っていた。自分から申し込んで断られるのが嫌だったからだ。
そのラミリオに、いきなりのプロポーズは少々難易度が高すぎた。
彼はどうしていいのか分からなくなった。
無意味に風呂に入り直し、ヒゲを剃り直して、ちょっと失敗して頬に傷をつけた。
着ずにとっておいた新品の服を下ろして、髪を夜会のときのように丁寧になでつけてみた。……やりすぎて、髪が艶だしのハニーワックスでテカテカになった。
そわそわと落ち着かないラミリオが、視線を感じて振り返ってみても、熱心に書き物をしているボスコがいるだけで、誰も彼を見ていない。
――くそっ。俺はなんでこんなにうろたえてるんだ。
「……ちょっとルクレツィアのところに行ってくる。あとは頼んだ」
「承知いたしました。ごゆっくりどうぞ」
ボスコがやけに優しく送り出してくれた。ありがたいが、腹が立つ。
***
屋敷のテラスで。
ルクレツィアは新しい日記帳を手に、じっと考え込んでいた。
真新しい革の装丁で、すべすべの白い紙がたくさん挟まっている。手触りがいいのと作りが美しいのとでずっと眺めていた。
――何を書こうかしら?
昨日買った雑貨のことを書こうとして、思いとどまる。
最初のページに記すのがお小遣いの使い道だなんて、いかにも味気ない。後年になって誰かが日記帳を見つけたとしても、読まずに素通りしてしまうかもしれない。
――最初のページを飾るにふさわしいできごとは……
ラミリオが顔を出したのはちょうどそのときだった。
日記帳に影が差し、顔をあげた先に、オールバックのラミリオがいた。
「やあ、ルクレツィア。少しいいかい?」
「まあ、旦那様」
ラミリオがぎくしゃくした様子で言うので、ルクレツィアも、どんよりした目つきでニマッと微笑んだ。彼女のこの目つきはいつものことだったが、ラミリオは固まってしまった。
――旦那様を怯えさせるなんて、わたくしはどうしようもない女ね。
悲しい気持ちで、笑顔をもっと深くする。
ラミリオは顔を背けたが、恐怖のためか、頬は桃色に染まっていた。薬の副作用で肌の色も薄くなっているから、ささいな顔色の変化が如実に表れる。
「誤解しないでくださいませ、旦那様。わたくしのこの顔は、生まれつきなのです」
「ああ……まあ、生まれつき可愛いんだろうな、と思うよ」
「え? いえ、そうではなく、わたくしの目は死んだ魚のようでしょう?」
「え?」
「いつもこうなのですわ。子どもの頃から表情に乏しくて、楽しいことがあっても、顔色が悪いと言われるのでございます」
「そうか……?」
ラミリオは遠慮がちにルクレツィアの顔を見て、またすぐに視線を外した。
「……俺はいつも、ユノみたいだと思っていた」
「ユノ。……?」
はて、何のことだったろうとルクレツィアは思案し、それが美しく貞淑な家庭生活の守護神であることを思い出して、すぐさま忘れた。
――女神がこんなどんよりした目つきなわけがないわ。
そこでふいに、ラミリオが変な顔をした。
「……いや、待ってくれ。君に顔色が悪いだなんて、誰が言っていたんだ?」
「お父様ですわ」
「……」
ラミリオがスッと目を細めた。
どうしたのだろうと思いつつ、ルクレツィアは続ける。
「あと、義理のお母様と、妹にも。わたくしは目つきが悪いから、一緒にいても気分が悪くなる……とか、あとは、顔色が悪いときは無理してパーティには出てこず、すぐに帰るように、とよく言われておりました」
「君の家族って……」
ラミリオはつぶやいて、それきり黙ってしまった。
――わたくしの家族がどうしたのかしら。
きょとんとして、ラミリオの端整な顔立ちを見つめる。
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