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21 真実の姿


 次の日、治療を終えて包帯を巻き直したあと。


 ルクレツィアは少しの間ラミリオから目を離して、薬を片付けていた。どれも劇薬なので、間違ってラミリオが触れたりしないよう、きちんと管理する必要がある。


 それがよくなかったのだと思う。


「ルクレツィア? もう帰ったのか?」


 ラミリオが何の気なしに伸ばした腕が、ルクレツィアに当たった。


 ――!!


 ラミリオの手のひらがルクレツィアの胸の上に落ちる。


 ちょうどむき出しのデコルテに触れて、ラミリオは火傷したようにすばやく手をひっこめた。


「す……すまん。当たってしまった」

「い、いえ……」


 ルクレツィアは恥ずかしいなどというものではなかったが、ラミリオには何も見えていないのだ。触れたのがどこかも分かっていないだろう。


「薬を片づけておりました。もう少しで終わりますから、お待ちくださいまし。終わったら、本を読んでさしあげます」


 平静を装ってラミリオに優しく声をかけ、ふと視線を感じて振り返ると、手燭を顔の真下に掲げて手術を手伝ってくれていたボスコが、面白くなさそうな顔でじっと見ていた。


「……おふたりの婚約はいつごろになりそうでしょうか?」


 ボスコの質問に、ラミリオは声を裏返して反論する。


「予定はない! 昨日も言っただろうが!」

「ですから、なぜそう茨の道を行きたがるんですか。早めに決めていただかないと、こちらにも段取りというものが」

「しつこい!」


 ルクレツィアはのけ者にされた気分で、むーっと唇を曲げた。


 ――わたくしもボスコさんのように、楽しくお話をしてほしいですのに。


 ルクレツィアはその日いちにち、ちょっとだけ機嫌が悪かった。


***


 ルクレツィアはマメに礼拝堂へと顔を出している。


 そうラミリオに教えてくれたのは、司祭だった。


 パストーレ宮殿の礼拝堂付きの専任司祭は、ラミリオが生まれる前からそこに務めている。超高齢の彼にしてみれば、ラミリオなどまだまだ洟垂れのガキにすぎないようだ。


 司祭は療養中のラミリオのベッドサイドまで出張してくると、よたよたとした口ぶりで、長話を始めた。


「いやしかし、彼女は感心なお嬢さんですね。よく祈りを捧げにきていますが、近頃は、人に嫉妬して仕方ない、と。はっきりとは言いませんでしたが、どなたか高位の方と仲良くなりたいのに、その男性はいつも側近の男性と仲良さそうにしていて、間に入れないのだとこぼしていました」


 ラミリオは、聞かなければよかった、と思った。


 ――いやもう、可愛すぎないか?


 ボスコに嫉妬してどうするというのだろう。あんなのはラミリオにしてみれば腐れ縁である。


 司祭は真面目くさった調子で説教を続ける。いわく、『通常、人から聞いた秘密はペラペラしゃべるものではない。しかし、それが高貴なご令嬢のことで、色恋沙汰であるならば、大変な間違いを犯す前に、何としてもラミリオが止めてあげるべきだ。それがこの家の当主として、よそから預かった娘に果たすべき責任なのだ』と。


 要するに司祭は、足しげく通い詰める可憐な令嬢に、ほだされてしまったのだろう、とラミリオは見当をつけた。それで、軽率にご令嬢に無体を働かないよう、釘を刺しに来たのだろう。


 ラミリオは天に向かって宣誓するように、軽く右手を挙げた。


「誓って言うが、俺はやましいことなど一切していない。もちろん、少しばかり罪深い思いは抱えている。しかし、それは美しい娘を見たら誰もが反射的に抱いてしまうような感情で、俺には理性があり、その力でもって完全に制御している」


 ラミリオの熱弁は無事に司祭へと届き、彼は満足そうに立ち去っていった。


 ――そうだ。俺は紳士なんだ。誘惑になんか負けてたまるか。


 そうは思いつつ、ラミリオはその夜も可愛らしいルクレツィアのことが頭をちらついて、眠れなかったのだった。


***


 ルクレツィアの介護は涙ぐましいまでに献身的だった。


 ときには杖の代わりとなって手をつないで先を歩いてくれ、ときには召使いのように汚してしまったテーブルや床を掃除してくれた。


 そこには何の下心も感じられない。ひたすらな、胸を打つ優しい母性だけがルクレツィアの心に宿っていることを、しだいにラミリオも認めざるを得なくなった。


 ――こんなに健気でいい娘に、俺は……


 手が触れるたびに、密かにドキドキしてしまっている。


 彼女にとってはただの介護なのに。


 もしも彼女にバレたらと思うと気が気ではない。


 きっと彼女はラミリオを軽蔑するだろう。


 彼女の親切心につけこんで、おのれの劣情を満たすようなみっともない真似だけは、死んでもしたくない。


 ラミリオはできる限りルクレツィアを避け、そばに使用人を増やして、じかに触れる介護はさせないように徹底した。


「……閣下は本当に不器用ですね。普通そこは、『俺の財産がほしければ言うことを聞くんだな』とか何とか言いながらおいしい思いをする場面ですよ」

「悪役じゃないか」

「彼女が内心で期待していれば、その限りではありません。どう見ても彼女はラミリオ様に惚れているでしょう。好きな相手に言われるのならば、それもまた楽しい恋のエッセンスです」

「お前は何を言っているんだ……」


 馬鹿げた空想を語るボスコに、ラミリオは軽蔑して、言い返す。


「さてはお前、俺の介護にうんざりしてるんだろう」

「分かりますか? ラミリオ様がルクレツィア様を妻として迎えていただければ解決する話なんですよ。私をこの苦行から解放してください」

「アホ」


 ラミリオは一蹴して、ボスコの空想を頭から追い払った。本当に馬鹿げている。


***


 ルクレツィアは毎日経過観察をしながら、ラミリオの世話をした。


「よくなってきておりますわ、ラミリオ様」


 治療は目覚ましい効果をあげ、目に見えて斑点が薄くなってきた。


「あと少し我慢したら、治療はもうおしまいです。がんばりましょうね」


 そうして、一か月の治療期間はあっという間に過ぎた。


 一か月後、ルクレツィアは包帯を解いて、彼の目が完全によくなっていることを確信した。


「ラミリオ様、おめでとうございます! すっかりよくおなりですわ! さあ、どうぞご自分の目でもお確かめになって!」


 ルクレツィアは嬉々として部屋の窓に走っていき、暗幕を引き下ろした。


 部屋に黄金色の光が差し込み、埃っぽい室内をまぶしく照らし出す。


 ラミリオは目をぱちぱちさせた。


 手元にある鏡を覗き込む。


 ぼんやりとした金属鏡を近づけ、瞳をアップで映し出すと――


 薬のせいで色素が抜け、金色になってしまった瞳が映った。


 ラミリオは絶句して、鏡に魅入られてしまった。


 ルクレツィアの存在など忘れ果てたかのように、まぶたをむき、白目の具合を確かめ、右に左に視線を動かしている。そのどこにも、斑点は残っていない。


「……いかが?」


 ルクレツィアがそっと声をかけると、ラミリオはつと目線を上げた。


「……まあ!」


 治療中は、わずかなろうそくの明かりを頼りに瞳ばかり覗き込んでいたルクレツィアである。


 正面きって彼の顔を見たのは、これが初めてだった。


 鋭い金の目をした男性だった。飢えたワシを思わせるぎらついた目つき。気難しく引き結ばれた口元。


 それらの欠点を差し引いても、彼は十分に美男だった。


 そばで控えていたボスコでさえも「ほぉ……」と感嘆の声を漏らすほど。


 長い引きこもり生活のせいで顔色は悪く、やつれていたが、青白い顔にふっくらとした肉づきと血色が戻れば、目元の鋭すぎる印象もまた変わってくるだろう。


 ルクレツィアは彼の肩に手を置いた。


「とても素敵ですわ」


 小さく、しかし力強くささやいて、彼の快気を祝う。


 ラミリオの目には涙が薄く盛り上がっていた。


「……泣いている場合ではありませんわ、ラミリオ様。さっそく快気祝いのパーティをしなくては。娯楽がなくて退屈しているパストーレの皆さんに、一面の新聞記事で楽しい話題を提供して差し上げましょう?」

「ああ、……ああ、そうだな……っ」


 彼の泣き顔を眺めながら、ルクレツィアは、謝ってもらうのはまた後でいいかな、と思っていた。


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