2 妹との確執
ルクレツィアは父親が新たな嫁ぎ先を探してくれているのを待つ間、妹に礼儀作法の指導をすることにした。
彼女は社交界デビューこそしたものの、まだまだ遊びたい盛りの十六歳。中身はほとんど子どもと言っても差し支えない。
しかも彼女は父親が甘やかしていたので、淑女教育もさぼってばかり。マナーにも、会話にも、直さなければならない悪癖が無数に残っている。厳しい教育を受けたルクレツィアから見ると、余計にあらが目立って、だらしのない子に映っていた。
――ファルコ様と婚約するからには、せめて恥をかかないように躾けてあげなければ。
それはルクレツィアの姉心だったが、妹にはまったく伝わらないようだった。
「……ローザ。お話をするときに、なんでも『ヤバい』で片づけるようではダメよ。『素敵』とか、『素晴らしい』と言うの」
知人の家に一家でお邪魔してのティータイムの最中に、横からそっと正しい言葉遣いを耳打ちされたローザが、可憐な容貌を歪めて、迷惑そうな渋面を作る。
あたりを憚りながら、ローザは挑戦的にルクレツィアをせせら笑った。
「お姉ちゃん、ファルコ様を取られて悔しいんじゃない? だから私の礼儀作法にケチをつけて溜飲を下げているんでしょ? そんなの、可愛げがあって性格がよかったらちょっとくらい間違えたって誰も気にしないのに!」
得意げに妹がうそぶくので、ルクレツィアは困ってしまった。
「そうじゃないわ。わたくしはあなたを心配しているの」
「お姉ちゃんに心配されるようなことなんて、何もないよ!」
この調子で、ルクレツィアが何かを言えばすぐに反論し、自身を顧みようとしない。
父がなにかと「妹はすばらしい、ルクレツィアはダメだ」と比較しては妹を褒めそやしていたので、今ではすっかり「姉よりも自分の方が出来がいいに決まっている」と勘違いしてしまっているのだ。
――昔は『お姉ちゃん、お姉ちゃん』と懐いてくれて、あんなに可愛らしかったのに。
ルクレツィアは悲しみに胸を傷めた。
「私の言葉遣いに文句をつける前に、お姉ちゃんは自分の心配したらどうなの? お姉ちゃんだってよく間違えてるじゃん!」
おまけに重箱の隅をつついて、ひとつの間違いを何日も、何か月もあげつらって反論する始末だ。
「わたくしが一度間違う間に、あなたは百度言い間違えているわ」
「そんなわけない! 私、これでも月に五冊は本を読んで勉強しているんだからね!」
ルクレツィアはよく妹から『どんよりしている』と笑われる目を向ける。
「……どうせ、ちまたで流行っているロマンス小説でしょう?」
「うっ……」
どうやら当たっていたらしい。
ルクレツィアは根気よく妹を教育せんと、説諭を開始する。
「ロマンス小説には貴族がたくさん出てくるけれど、小説の作者は庶民なのよ。本物の貴族なんて見たこともない人たちばかりなの。王族のあなたが、庶民に礼儀作法を教わってどうするの?」
「よ、読んだこともないくせに、偉そうに知った風な口を利かないで! それに、オペラだってよく見ているし!」
「あなたが好きなオペラの脚本家だって、貴族の出ではないのよ。『町人貴族』のようになってもいいの?」
成金が貴族ぶる様を嘲笑う滑稽劇の名前を挙げて、ルクレツィアは嘆息した。
妹は口だけは一人前なので、すぐに屁理屈を並べて、なかなかルクレツィアの話を聞こうとしない。
生意気な様子の妹に、なんとか話を聞かせようと、向き直る。
「いいこと、ローザ。ロマンス小説の内容なんて鵜呑みにしてはダメ。元帥夫人になることを視野に入れて教育されてきたわたくしの言うことだけが本当だと思ってちょうだい」
「な、なによ! お姉ちゃんがやってるみたいな堅苦しくてカビの生えたような作法、宮廷では誰もしてないってファルコ様だって言ってたんだから!」
「『言ってた』じゃないわ、『おっしゃっていた』よ。ファルコ様はまだ公式のレセプションに参加する資格をお持ちではないのよ。あなたと同様に、まだまだ発展途上のお方だから。さも見てきたかのように嘘をつくファルコ様のおっしゃることを真に受けてはダメ」
「なんでよ!? たとえ間違ってても、公爵令嬢には皆が従うに決まってるじゃん!」
ローザはとうとうヒステリーを爆発させて、テーブルを荒々しく叩いた。周囲の注目が不自然に集まる。
「まあ、うっかり手をぶつけてしまったのね。痛くはなかった?」
ローザの手を取り、具合を診てやるふりをしながら、ルクレツィアは必死にひそひそと耳打ちする。
「……ローザ、淑女はどんなに腹を立てていても物に当たってはいけないわ。どんな噂を立てられるか」
ローザはますます激昂するばかりで、耳を貸そうとしない。
「お姉ちゃんに言われたくないんだけど!? お父さんだっていっつも言ってるもん! お姉ちゃんは欠陥品だからファルコ様の婚約者にしておくのが恥ずかしいって! 私に代わって安心したとも言ってた! どう!? これでもお姉ちゃんは私の礼儀作法に何か言えるの!?」
ルクレツィアは困りつつも、なるべくローザの気を静めようと、穏やかに笑ってみせた。
「……あなたの気持ちは分かるけれど、それでも教育を施すのが、本当の愛だと思うわ。これこそ試練ね」
「知らないってば、お姉ちゃんなんて嫌い! どっかに行ってよ!」
まるで八歳の子どものように喚くローザ。とても社交界デビューを済ませた淑女とは思えない振る舞いに、ルクレツィアの胸は痛んだ。
お茶会に来ている貴婦人方も、何事かと物見高く扇子の陰からこちらの様子を窺っている。
なんとか教育を続けたかったが、妹が完全にへそを曲げてしまったので、その日は諦めることになった。
2021.11.29追記
王族のあなたが~
公爵令嬢なのに王族?
その僭称はヤバめの反乱分子に当たるのでは?
と疑問をお持ちの方がいらっしゃったので追記します
臣籍降下は日本の皇族だけに存在する法律であり、
『西洋の王族は臣籍に下りません』
詳しくはWikipediaでもご覧ください
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A3%E7%B1%8D%E9%99%8D%E4%B8%8B
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5