19 月のような女
「皇太子が笑い話にして流してくれたからよかったけど、周りの目がものすごく冷たかっただろ? もう少し考えて喋ってよ」
「か、考えてるよ! たまたま知らなかっただけだって! 笑って許してくれたんだから、大丈夫だよ」
「……まあ、ローザは可愛いから、皇太子も本気にして怒ったりはしないだろうけどさ」
どんな男も、ローザには甘い。悪気があってやったことではないのだから、皇太子も分かってくれたのだろう。
ファルコは、はぁ、とため息をついた。
「……皇太子はいい人そうだから、このまま皇太子のところで会話を続けよう。あっちの御婦人方はダメだな。ローザのことものすごく睨んでるし……」
ローザはファルコと連れ立って、また会話の輪に混ぜてもらった。
さすがにやらかした後なので、ローザもしばらくはおとなしく聞き役に徹することにする。
皇太子が話の途切れた拍子に、またローザに目をやった。
「そういえば、君には姉君がいたね」
ローザは、少しムッとした。
――その話題、今出す必要ある?
ローザにしてみれば、姉の名前なんて一番聞きたくないもののひとつだ。
「君から見たお姉さんはどんな人なんだい? 噂では、少し聞いたんだけど。何でもファルコ殿の取り合いに負けて、君に嫌味を言っていた……とか」
皇太子がにこやかに言うので、ローザはくすっと笑ってしまった。
「そうなんですよぉ。お姉ちゃんって、プライドの塊みたいな人で、ちょっとした作法なんかもすぐに私が教えてあげるって直しにくるんですよ。お姉ちゃんがやってるような作法、古くさくて誰もしないっていうのに」
ライシュはふっと笑う。
「太陽のように厳しい人だったんだな」
「太陽ぉ?」
人から『太陽のよう』と言われてきたのは、姉ではない。
ローザの方だ。
華やかな容姿に、人好きのする性格。
姉なんかが太陽だと評されるのはいただけない。
「あははは、全然ちがいますよぉ。お姉ちゃんは、暗くて、地味で、白いのだけが取り柄の、ぼーっとした月みたいな人だったんですから!」
ライシュは黙った。
周囲で聞いていた人間も、成り行きを見守るだけで、口を開こうとする者はいない。
――なに、何なの、この空気?
「……そうか。この国では、月に悪いイメージがついているんだな」
「えっ……?」
「わが国では逆だ。月のような人、というのは、最上級の褒め言葉となる。わが国の国章に、月が入っているだろう?」
ライシュが指し示した先に掲げられた垂れ幕には、確かに月の紋章が描かれていた。
ライシュはにっこり笑い、言う。
「なるほど。君はわが国の紋章すら見たことがなかったのか」
ローザは羞恥で真っ赤になった。
――見てた、見てたわ、知ってた! でも、月にそんな意味があるなんて思わないじゃない?
ローザだって王女の端くれだが、自分の国のシンボルが何であるかなど気にしたこともない。そんなことより大事なことがあると、ちゃんと知っているからだ。
「……シンボルよりも、大切なのは、相手と仲良くなりたいと思う『心』だと思っていますから」
「それはよくないな。そのように能天気な相手が交渉ごとを務めるかと思うと、頭が痛くなるよ。この分だと、今日のテーブルに出てきた料理の意味も理解できていないかな?」
ローザは驚いて、今日の料理を思い出してみた。しかし、普通だったとしか思えない。意味深だと感じるようなものは何もなかった。
ライシュがくすりと苦笑いをする。
「君の姉が、苦言を呈していた理由が分かる気がするよ」
ちくちくとした嫌味な言い方に、ローザは屈辱を覚えた。
「し……知らなかったことは、申し訳ありません。でも、私はまだ勉強中の身です。これから努力しますから、どうぞお許しください」
ライシュはローザの怒った顔を醒めた目つきで見ながら、
「君の姉だよ」
と、意味の分からないことを言った。
「……え?」
「私に鷹料理の古典を教えてくれたのは、君の姉君だった。この国でも、鷹は大切な友人になりうる存在として尊重されている。ファルコ殿の名前も鷹から取られているのだと教えてくれた。彼女はもちろん、私の一族がどんな歴史をたどって王となったのか、きちんと調べた上で宴席に来ていたんだよ。自国の古典を知っているのは当然のこととして、ね」
彼はすっと手を伸ばすと、ローザの身に着けている大粒ダイヤのイヤリングに触れた。
「ライでは女性が着飾ることをかなり厳しく律している。だからかどうかは知らないが姉君がわが国の宴席に来るときは、髪をまとめて覆い隠し、宝石などひとつも身に着けていなかった」
「……!」
ローザが今日、全身を宝石で飾り立てているのは、ルクレツィアから譲られたアクセサリーに浮かれてのことだ。
決してライに対して思うところがあっての行動ではなかった。
「私たちもイルミナティの文化がどのようなものかは知っているから、そこまでする必要があるとは思わないが、少なくとも彼女の行動には『心』を感じた」
ライシュは茶化すように、イヒッとやや愉快な笑みを浮かべた。
「はたして君もお姉さんのようになれるかな?」
「……っ!」
ローザが、姉よりも劣っているなどということがあるわけがない。
あんな頭でっかちで、知識をひけらかすだけが取り柄の女より、ローザの方がよほど賢いと、父もいつも褒めてくれていた。
「……姉はっ、私と違って、特別な教育を受けてましたから! 私はこれからですので!」
「ははははは、そうだったね。婚前の年若いお嬢さん相手に少し意地悪を言いすぎた。許してくれ」
皇太子の笑いっぷりがあんまりにも豪快だったので、ローザは毒気を抜かれてしまった。
怒っていた気持ちも癒され、穏やかになる。
「もう、しょうがないですね」
「ははは、私に向かってそんなことを言う子は初めて見たよ。面白い子だね」
笑いながら言われて、ローザは気を良くした。
――ほらね。気持ちがあれば、マナーなんて知らなくてもどうにでもなるんだから。
姉にそう言ってやりたい気分だった。
「君は姉を月のような人だと言ったが、私としては異議を申し立てたい。月のような美女といえば、わが妹を置いて他にはいないからな。君たちにも紹介しよう」
彼はそう言い残して、別室に消えていった。
とたんにあたりがざわざわとしだす。
ライ国の言葉が飛び交っているので、何をささやかれているのか、ローザとファルコには分からない。
困って、ファルコに話しかける。
「妹さんだって」
「別に興味はないんだけどなぁ。俺の好みは金髪とかだから」
「あのね……他国の貴賓だよ? 何言ってるの?」
「そうは言われても、可愛い女の子がいたら気になるのが男心だからねえ」
ローザは心配になった。
――ファルコ様って、女グセはあんまりよくないよね。
騒ぎにならなければいいけど、とローザは思った。
ほどなくして戻ってきたライシュは、よく似た面立ちの、はっとするような美人を連れていた。
「わが妹のライジャだ」
ライ国の美男美女には、それぞれの人種のいいとこどりをしたような、バランスのいい造形のものが多い。
ライシュの妹・ライジャは、イルミナティの民から見てもたぐいまれな美貌を誇っていた。
ローザの隣にいるファルコも言葉を失くして見惚れている。
ライジャと呼ばれた少女が何事かを兄に内緒でささやく。兄は大笑いをした。
「これは面白い。ファルコ殿の瞳の色が気に入ったので、もう少し近くで見てみたいそうだ。いかがかな?」
「はい……よろこんで」
――えっ、ダメでしょ、何考えてるの。
半ば夢見心地の表情で返事をするファルコをにらみつけると、今度はライシュがローザに声をかけた。
「ローザ嬢は、あちらの卓でカードゲームでもいかがかな。賭け金はいくらか私が貸そう」
するりとさりげなく肩に手を回され、ローザはドキリとする。
「勉強熱心な君に、大人の遊びを教えてあげよう」
ローザはライシュの色香に当てられてしまって、フラフラとついていった。
――二人は朝方まで大使館で楽しんだ。
この失態が後々の破滅の引き金となることを、ファルコとローザは予想すらしていなかったのであった。
***
ライシュは朝方、二人の乗った馬車を見送って、疲れたようにクッションに座り込んだ。
――やれやれ。馬鹿そうだなと思ってたけど、ここまでとはね。
思い通りにことが運びすぎて、拍子抜けだった。
ライシュはこの宴会で、いくつか罠をしかけていたのである。
食事のとき、乾杯を捧げる対象にイルミナティの王を選ばなかったり、さりげなく彼らの敵国と仲がいいことを窺わせるようなメニューを出したりと、実に巧妙でささいな罠だったが、賓客はすべてに無頓着だった。
これがルクレツィアであれば、一つ一つに注意を払い、メニューから意図を正確に読み取って、会話につなげてきただろう。
しかし、彼らはライ国に対してまったくの無知で、警戒心もまるで持っていないようだった。
――元帥夫妻も油断したものだな。あんな愚鈍な息子だけを残して国を留守にするとは。
ライシュは鷹の一族だ。獲物が無防備な姿を晒しているのなら、その隙は逃さない。
――食えたものではないと侮ったこと、後悔させてやる。
暗い情念を胸に秘め、ライシュは次なる手を打つことにした。
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