12 破滅への序曲
「あの方は、実は女性らしい華やかな装いの女性がとても好きなのです」
ルクレツィアは目をぱちくりさせた。先ほど言っていたことと全然違う。
「しかし、人に嫌われることも極度に恐れているのです。何しろ六度も婚約を破棄されているので。美しい女性は永遠の憧れ、手を伸ばしても触れられない蜃気楼とお考えなのですよ」
なるほど、とルクレツィアは思った。嫌われたくないから調子を合わせただけで、本音は違ったということなのだろう。
「旦那様は女性がお好きですが、極度に不慣れでいらっしゃいます。奥様が流行りを取り入れた女性らしい服で目の前に現れて、にこりと微笑みかけてくれたら、すぐに陥落して奥様の崇拝者になってしまうでしょう」
ルクレツィアは想像してみて、少し照れてしまった。
「……旦那様に気に入っていただけるかしら」
「それはもう。ぜひ、華やかなドレスをお召しになってください。お色はブルーグレーやピスタチオグリーン、淡い桃色など、柔らかいものを。フリルとレースで女性らしい曲線を強調なさるとよろしいでしょう」
「わ……分かったわ」
生まれたときから神の教えである清貧が身に染みついているルクレツィアには少し勇気のいることだったが、やはり嫁いできたからにはラミリオからもよく思われたい。
「では、モードを取り入れて、膨らんだシルエットのドレスにいたしましょう。色はこちらの方のおっしゃっていた三色で、一着ずつ手配して。それから……」
仕立て屋がカタログを見せながら、自身でも簡単に絵を描いてくれ、急いで仕上げると約束してくれた。
ふと振り返ると、もうラミリオの側近はいなかった。
「まあ、ほったらかしにしてしまって申し訳ないことをしたわ。あの方、お名前なんておっしゃるの?」
「ボスコです。父親の代から仕えている雑用係ですよ。奥様が特別に感謝するほどの者では」
「でも、とても役に立つアドバイスだったわ! もしも本当に旦那様に気に入っていただけたら、お礼をしなくては。もちろん、あなたにも」
「もったいないお言葉でございます」
柔和に笑ってくれる執事に、ルクレツィアの好感は上がりっぱなしだった。
――さて、服がそろったら、今度は小物ね。下着とコルセットと靴下は少し多めに持ってきてもらって……替えの帽子や靴も必要よね。
ルクレツィアは執事を仲介して、次々と予約を取りつけた。
***
セラヴァッレ公爵の家は一気に使用人が減った。
「ねえパパ、最近食事がすごく不味くなってない?」
ディナーのときにローザがそうこぼしたので、そばで聞いていた執事や給仕が顔を強張らせた。
「私もそう思っていた。おい、どうなってる?」
「は……それが、今日はたまたまコックが辞めたため……早急に代わりの者を探します」
そんなやりとりをしてからも、いっこうに食事事情は改善されなかった。
どうやら、金策に手間取っている間に、資金難という噂が屋敷に流れてしまったらしい。辞職するものがあとを絶たず、屋敷の中はいつの間にかガラガラになっていた。
セラヴァッレ公爵としても使用人が減ると体面にかかわるため、なんとか新たに人を入れたかったが、あいにくと手持ちがなかった。
――どいつもこいつも金を貸し渋りやがって。うちは公爵家だぞ。王家に金を貸す以上に有意義な金融などないだろうに。
セラヴァッレ公爵家はこれまで金に困ったことがなかった。欲しいものは言えばすぐに商人が手配してくれたし、使用人も向こうから雇ってくれと詰めかけてくるのが常だった。どんなに賃金が安くても、公爵家の使用人というだけで名誉だと感じる人間はそれなりにいるものなのだ。
手持ちが足りなくても、どこかの銀行が勝手に金を貸し付けてくれ、支払いもいつの間にかどうにかなっていた。
初めて直面する苦労に、セラヴァッレ公爵はすっかり苛立っていた。
いくつかのしつこい金の取り立てには、思い余ってルクレツィアに請求を回すように言ってしまった。即日代理人から却下の通知が来ていたため、醜悪公の方にも請求書を回してみたが、そちらはまだ届いていないのか、音沙汰がない。
とにかくセラヴァッレ公爵にとっては腹立たしい毎日だった。
「ルクレツィアお嬢様はいい方だったけど、公爵とローザお嬢様はなぁ……」
陰で使用人がそう言っているのを聞いてしまったときなど、ストレスから激昂して、血が出るまでその使用人を殴ってしまったほどだった。
その使用人はすっかり興奮して、さらに悪罵を重ねてきた。
「呪われろ、王家の威光を笠に着たクズ野郎が! お前がルクレツィアお嬢様に何をしたか知っているんだからな!」
頭に来た公爵は彼を牢に入れようとしたが、彼はその前に逃げおおせた。
以来、屋敷の使用人たちが何とはなしに公爵の悪い噂をしているような気がする。公爵は気づき次第まとめて解雇したが、おかげで屋敷はスカスカになってしまった。
悪いことは重なる。
セラヴァッレ公爵は使用人問題の他にも、さまざまな問題に直面する羽目になった。
手紙の処理もその一つだ。
セラヴァッレ公爵は山ほどの手紙を手に、悩んでいた。
これまではルクレツィアが勝手に処理していたが、公爵のところに回ってくるようになったのだ。
――ええい、なんと煩わしい。
特に多いのは晩餐会やお茶会の誘いで、しばらく家政から遠ざかっていた公爵には、どれが重要で、どれが無視していいものなのかがなかなか分からず、判断に困っていた。
――くそっ。ルクレツィアにやらせておけば楽だったんだが。
セラヴァッレ公爵は少々苦しい懐事情も考慮し、本当に必要だと判断した誘いを二通残して、あとは欠席することにした。
そのせいでローザの友人の誘いも知らぬ間に退けていたようだ。
「ねえパパ、最近全然お茶会に呼ばれないんだけど、どうなってるの?」
ローザが文句を言ってきたときにようやく発覚した。
「すまない、どれがお前の友人なんだ?」
公爵が欠席の方へとふるいにかけた手紙を見せると、ローザはある一通をじっと見つめた。
それはルクレツィア宛の手紙だった。
ライ国大使館のワジャ夫人――公爵には耳慣れない名前だが、ライ国が重要な大国だということは知っている。
文面には、今回の婚約破棄は青天の霹靂だった、今度ディナーに招くので何があったのか聞かせてほしいと綴られていた。
「……どうしてこの人、お姉ちゃんにだけ招待状を送るんだろう。新しい婚約者は私なんだから、私を誘うのが筋じゃないの?」
ローザが嫉妬をにじませて言う。
「婚約破棄が正式に済んでないからだろう。元帥夫妻が戻ればすぐにでもお前が新婚約者さ」
公爵がなだめてやると、ローザは少し励まされたようで、明るい笑顔になった。
「ねえ、パパ、この招待状の返事、私に書かせてくれない?」
「お前に? ……書けるのか?」
「馬鹿にしないでよ、手紙の書き方くらい知ってるもん」
公爵は少し考えた。
妹は正統な貴族の血筋で、母親は高位貴族だ。
本来なら、卑しい血の姉より出来がいいに決まっているのだ。
姉は賢しらな口を利いて自分を大きく見せようとするが、妹は謙虚なので、そのような振る舞いはしない。しかし、ひとたび仕事を任せてみれば、ローザだって立派にやりおおせるだろう。
「そうだな、お前が次の元帥夫人だ。ワジャ夫人も、手紙を見ればお前がルクレツィアよりはるかに常識的で思慮深い娘だと分かるだろう」
「やった!」
返事はすぐに来た。改めて新しい元帥夫人となるローザを晩餐会に誘いたい、ファルコも一緒に、とのことだった。
「パパ、行ってもいい?」
ローザはすでに社交界デビューも済ませ、ルクレツィアの後について様々な宮廷行事に顔を出している。きっと問題はないだろう、と公爵は考えた。
「もちろんだ。せいぜいお前の愛らしいところを見せつけてやりなさい。ただし、行く前にライ国のマナーはよく確認しておくんだよ」
ローザは調子よく、分かった、と返事した。
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