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11 旦那様と呼ばれて


「これまではお嬢様が工面してくださっていましたが、すでにこの地を発っておられますので」


 セラヴァッレ公爵はますます青ざめる。使用人の賃金まで娘が払っていたなどとは露ほども知らなかったのである。


「な……なら、ひとまずどこかから借りてこい。王家だと言えば、いくらでも貸すだろう」

「かしこまりました」


 執事が引き下がったので、公爵はホッとした。


 ――そうだ、うちは腐っても傍系王家。いくらツケにしようとも、庶民は喜んでいくらでも払うはずだ。


 そう思いつつ、公爵は遠い日のことをじわじわと思い出していた。


 先代セラヴァッレ公爵――当代にとっては父に当たる人物が、遊び人だったこと。彼の作った莫大な借金を埋め合わせるために、息子の彼が資産家の娘であるルクレツィアの母と結婚するはめになったことなどを。


 セラヴァッレ公爵がこれまで煩わしい金の計算とは無縁でやってこれたのは、父のおかげと、父が亡くなってからはルクレツィアがうまくやっているからだということは知っていた。


 しかし、まさか使用人の雇用費までルクレツィアにかかりきりだとは知らなかったのである。


 ――どこにそんな金があったんだ?


 セラヴァッレ公爵は嫌悪感が止められなかった。


 ――薄気味の悪い娘だ。


 やはり得体の知れない庶民の血など、公爵家に入れるべきではなかったのだ。


 彼は先妻の血筋を、心底嫌い抜いていた。結婚を命じられたときは、吐き気がした。


 なぜ王族である彼が、たったの二代前まで銀行家をしていた娘を娶らねばならないのか。青い血は三代続いて本物となる。彼に言わせれば、妻は侯爵家の娘と言っても、庶民も同然だった。


 しかし彼女の持参金でセラヴァッレ公爵家が持ち直したことも事実。その点だけには感謝したが、彼女が産褥熱で死んだときには、分相応の罰、天罰だと思ったのを覚えている。庶民の分際で、王家の血に混ざろうとするなど度し難い傲慢だ。


 ルクレツィアがセラヴァッレ公爵家の娘を名乗ることすらおこがましいと考えた彼は、生まれたばかりの赤子を山に捨ててきた。


 この国の慣習で、子どもは自分の手で育てず、生まれたらすぐに乳母に出す決まりだ。そして、乳母に預けた子どもの何割かは死ぬ。それだけ乳幼児が無事に成長するのは難しいのだ。


 セラヴァッレ公爵はこれで厄介払いができたと思い込んでいたが、八年後、時期を見て、『子どもは死んだ』と亡き妻の侯爵家に報告しようとした矢先にそれは起こった。


 ルクレツィアがひょっこり帰ってきたのである。


 ニセモノだと主張しようにも、母親そっくりの美貌にセラヴァッレ公爵と同じ銀髪、金の目では、誰がどう見ても血がつながっていると思うだろう。


 ――なぜだ。私は確かにあのとき、山に置いてきたはず。誰にも見られていなかった。私との繋がりなど絶対に分かるはずもないのに……


 こうして、セラヴァッレ公爵は薄気味の悪い娘を育てる羽目になった。


「いつまで私を煩わせるんだ。はやく消えてくれ……!」


 頭を抱えてひとりごちる。彼の目には隠し切れない憎悪がにじんでいた。


***


 銀行から現金を引き出したルクレツィアは、さっそく服を揃えることにした。いくら旦那様がいいと言っても、着の身着のままの一張羅はやはりみっともない。


「旦那様はどういう服がお好みでいらっしゃるのかしら」


 仕立て屋に服のデザインを指示している最中にルクレツィアが尋ねると、老境の執事は素敵な笑顔を見せてくれた。


「どのような格好でも、ルクレツィア様が笑顔で過ごしていただける御召し物であればお喜びになるでしょう」

「まあ、うれしいわ。でも、わたくし、とりたてて服にこだわりがないの。わたくしの趣味で作ると地味になりすぎてしまうかもしれないわ」


 ルクレツィアはそれがラミリオにどう見られるのかが気になっていた。


 ――旦那様は、地味な女がお嫌いだったりしないかしら? お好きな服を着たら、喜んで婚約も考えてくださるかしら?


「清貧の教えとも反するから、少し抵抗はあるけれど、旦那様のお好みに合わせてなら、おしゃれしてみてもいいかなと思っているの」

「とても可愛らしいお心がけでございますね。ぜひとも今のお言葉を、直接旦那様におかけしてさしあげてください。きっとどんな服よりもお喜びになることでしょう」

「そ、そうかしら」


 ルクレツィアは照れてしまって、そんな大胆なこと質問できるかしら、と思った。


「旦那様でしたら今は執務室でのんびりなさっていることでしょう。ぜひお訪ねになってください」


 執事に勧められるまま、ルクレツィアは仕立て屋を連れて、階下に降りていった。


 ラミリオは執務室の机で、ぼんやりと何かを眺めている様子だった。かたわらに紅茶のセットが置いてあるので、休憩中には違いない。


「旦那様――」


 ラミリオに向かってルクレツィアが呼びかけると、彼は声を裏返した。


「だ、旦那様!? え――お、俺?」

「結婚していただくので、旦那様で間違いないと思うのですけれど……」

「お、俺のこと、旦那様って呼ぶつもりなの!?」


 そんなに驚くほどのことだろうかと思っていると、ラミリオはなんだかぎくしゃくした動きで手に持っていた書類を置いた。


「い、いや、君がいいならいいけど……な、何の用?」


 ルクレツィアは先ほど執事にした質問を繰り返す。


「旦那様の服のお好みを教えていただこうと思いまして。わたくしの趣味だと、少し地味すぎるかもしれないので、旦那様のお好きなイメージで仕立ててみようかな、って」

「こ、好み!? 好みなんてないよ!? あ、ああいや、べ、別に、君が――君が着てくれるなら、何だって……そう、君の好きな服を着ればいいんじゃないか!?」


 やたらと慌てた様子のラミリオ。


「君が着ている服もなかなかいいと思うよ、さっぱりしていて、素材のよさが引き立つっていうか……素材って言い方もどうかと思うけど。まあ、君なら何でも似合うんじゃないか」

「まあ、嬉しい。わたくしも、こういう地味なものが好きなのでございます。好みが同じなんて、気が合いそうですわね」

「あ……そうだな。ははは……」


 思いがけず温かい返事をもらって、ルクレツィアはすっかりうれしくなって部屋に戻った。


「では、ドレスはグレーとブラウンのものをお願い。できるだけ落ち着いた色合いで、フリルやレースなどは取り除いて、大きなスカートのふくらみもできるだけ省略を……」


 ルクレツィアが仕立て屋に指示を始めたところに、誰かが部屋をノックした。


 来客は、ラミリオのそばにいた、若い男性だった。おそらく近い用向きをしている人間なのだろう。


「失礼いたします、奥様。少し伝言をと思いまして」


 奥様、と呼ばれて、ルクレツィアは頬を染めた。


 ――人に言われるとなんだかくすぐったいものね。


「いかがなさいました?」

「先ほどの、旦那様のお好みについてなのですが、実は私が少しばかり詳しくご助言さしあげられるかと思いまして、さしでがましく参りました」

「まあ、仲がよろしいのね?」


 側近は「ええ」とうなずいた。


「子どものころからの付き合いですから、何から何までよく存じております」


 ルクレツィアは少し身を乗り出した。


「……聞かせていただけるかしら?」

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