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1 妹と婚約者の裏切り


 イルミナティ王国の元帥子息ファルコには婚約者がいた。ヴェールをつけた白銀の髪がまるで老婆のように見えることから、『白髪令嬢』と陰であだ名されている令嬢・ルクレツィア。彼女は慎み深く謙虚な性格でも知られており、遊興などの付き合いを避け、地味な服を身にまとい、本物の老婆のような生活を送っていた。


 ルクレツィアの禁欲的な態度は、ファルコには少々物足りなく、退屈に感じられたようだ。『それが原因だったのだろう』と、後から『事件』の顛末を知った人たちは訳知り顔で言った。


 ことの起こりはファルコがルクレツィアの妹と出会ってしまったことだった。ふたりは出会った瞬間から運命のようなものを感じ、惹かれ合ったのだという。


 ファルコが夏季休暇の避暑に、ルクレツィアの実家・セラヴァッレ公爵領の別荘へ滞在を希望したとき、一番喜んだのは、ルクレツィアではなく、妹のローザの方だった。


「今年の夏はファルコ様と過ごせるんだ……やば、どうしよう」


 うっとりと素敵な恋の予感に思いをはせる妹の様子を、ルクレツィアは、茫洋とした、感情の読めない瞳で見つめる。


 妹・ローザは非常に愛らしい少女だった。赤毛まじりの美しいストロベリーブロンドに、若芽を思わせるエメラルドの明るい瞳。幼げな美貌は薔薇のつぼみにたとえられるほど。咲けば艶やかな華となることがあらかじめ約束されたような、開花前夜の危うい美しさは、男性を強く惹きつけた。


 ファルコはルクレツィアの婚約者だ。避暑にやってくることが許可されたのも、ルクレツィアとともに過ごすためのはずだった。


 しかし、ルクレツィアはもはや諦めに似た境地で、ファルコと妹の秘密の恋を見守っていた。


 ――よりによって、姉の婚約者と浮気したがるなんて、罰当たりね。


 幼いころから熱心に修道院や孤児院への奉仕活動を続けてきて、自身も敬虔なディヴィーナ教の信者であるルクレツィアは、常に批判的な目で二人の関係を見ていた。


 しかし、聖典がいかに禁じようと、人間は罪を犯すもの。


 二人の道ならぬ恋は、宮廷ではさほど問題視されないだろうことも、ルクレツィアにはよく分かっていた。


 そして、ファルコとローザもずる賢くそのことをわきまえているから、ルクレツィアを無視して大胆に愛を囁き合えるのだ。


 その程度のことならルクレツィアにとっては問題とならない。勝手にすればいい、とも思う。どうせ最後に選ばれるのはルクレツィアだからだ。


 彼女が困惑したのは、誰あろう、彼女の父、アントニオ・セラヴァッレ公爵が二人の浮気に協力的なことだった。


「ファルコくん、我が別荘にようこそ。ファルコくんは狩りが好きだったね。ローザも興味が出てきたようなんだ。さっそくで悪いが、教えてやってくれないか?」

「狩りなら、わたくしも同伴を――」

「ルクレツィア、お前は家で勉強しなさい。元帥夫人になろうという人間が遊びほうけていてどうする」


 ――お父様は一体何をお考えなのかしら。


 ルクレツィアは不安になって、服の下に隠して身に着けているペンダントをぎゅっと握る。それはルクレツィアが、唯一父からもらった品物だった。


 父親はルクレツィアを甘やかすのをよしとせず、しばしば不可解なしごきを行う。始めはまったく理由が分からないので、ルクレツィアも傷つき、涙を流していたが、あるとき聖典の教えに出会ってから、父の観方が変わった。


 聖典によれば、神は愛し子に試練を与えるのだという。


 これはという見込みのある人間にだけ、耐えられる量の試練を課して、見事クリアできれば大きな祝福を与えてくれる、らしい。


 きっと父が厳しいのも、ルクレツィアの素質を見抜いたからで、彼女のためを思って試練を与えてくれているのだろうと考えるようになってから、ルクレツィアは泣かなくなった。


 ――わたくしには不可解だけれど……きっと今回のことも、お父様にはお考えがあってのことなのね。


 ルクレツィアは楽観的に考え、父の言う通りにすることにした。


 ルクレツィアが何も言わないのをいいことに、二人の恋はすぐに増長していった。ルクレツィアも同席している雑談の場でキスを交わすのは日常茶飯事で、ひどいときはルクレツィアにまで聞こえるような声で愛をささやき、じゃれ合っていた。彼らは一応ルクレツィアが見ていないすきにこっそりと行っているつもりだったようだが、彼女は知っていて、あえてそうした場面になったら視線を外し、何気なく手元の本や刺繍に集中しているようなふりをしていた。


 夏季休暇は、そうした不道徳な『素知らぬふり』の連続だった。ルクレツィアは試練に耐えて嫌な顔のひとつもしなかったが、早く休暇が終わらないかなと思う彼女を裏切って、時間は地獄のようにゆっくりと進んでいった。


「三人でかくれんぼをしようよ」


 ファルコが急に言い出した。


 もちろん彼は本当にそんな子どもじみた遊びをしたいわけではない。これはファルコと妹がふたりで示し合わせて、ルクレツィアとはぐれるための言い訳だ。


 ルクレツィアをまいたあとは、二人で……という魂胆なのだろう。


 ルクレツィアは意思の弱そうなどんよりとした瞳で鬼の役を引き受け、そのあと二人を探さずにさっさと自室へ引き返した。


 二人は午後いっぱい秘密の逢瀬を楽しんで大満足したらしく、次の日からずっとかくれんぼを希望するようになった。


 ファルコと妹の距離は夏の間に、物理的にどんどん縮まっていった。始めはまだ遠慮がちに、手も触れないような距離で長椅子に並んで座っていたのが、少しずつ近づき、ふと目を離したすきに腰を抱き寄せ、肩に手をかけていたりすることが多くなった。


 そして妹は、露骨にルクレツィアを見下すような言動が増えていった。


「お姉ちゃんってほんとダメ。ねえパパ、アドバイスをちょうだい? どうしたらお姉ちゃんとうまく付き合えるのかしら」

「パパから言えることなど何もないよ。どうしようもないさ」


 セラヴァッレ公爵がルクレツィアに厳しいのはいつものことだが、妹がそれに同調してからかうことが多くなったのだ。


「ねえ、ファルコ様って優しいんだね。私、こないだ雨に降られたとき、抱きしめて温めてもらっちゃった。お姉ちゃんにもこういうことするの? って聞いたら、一度もしたことないって。どうしてなんだろうね?」

「それはわたくしが、天気の崩れそうな日には傘を差しかけてくれる従僕を忘れないからよ」


 たまにルクレツィアが反論すると、ローザは怒って何倍も言い返してきた。


「お姉ちゃんってほんと浮世離れしてるっていうか、現実が見えてないっていうか。そんなことで元帥夫人が務まるの?」


 おそらく裏にファルコを寝取られた間抜けな姉への蔑みがあるのだろう。可愛かった妹が、そんな風に人を蔑む人間になってしまったことを何より悲しく思いながら、ルクレツィアは、『不気味だ』と言われがちな、感情のこもらぬまなざしで沈黙を守っていた。


 ――お父様はこれでご満足なのかしら。


 やがてルクレツィアの中から、ファルコを好きだと言う気持ちがすべて消え失せた。何の痛痒も感じずにふたりの熱愛ぶりを看過するようになってからというもの、勉強はそれまで以上にはかどるようになった。


 あるときなど、ルクレツィアは難解な数式に熱中し、数日がかりで解き明かすことができた。誰かに見てもらいたいと思い、ふと周囲を見渡すと、ファルコはローザの衣服に手を差し入れていちゃいちゃしているところだった。


 まったく傷つかない自分自身を発見し、ルクレツィアはあっと息を呑んだ。


 ――これだったのね。お父様の試練は。


 おそらく父は、ルクレツィアに感情の制御を学ばせたかったのだろう。権力者は私情で采配を誤ってはならない。何があっても動じない心は不可欠だ。


 ――だってわたくしは、元帥夫人になるのですもの。


 もはやファルコとの結婚に夢も希望も感じなくなっていたが、代わりにルクレツィアは、いずれ彼女が元帥夫人として国民に奉仕するのを楽しみにするようになっていた。


 だから、ファルコから婚約破棄を告げられたときは、さすがのルクレツィアも、頭が真っ白になってしまったのである。


「俺はローザを愛してしまった。だから、君とは結婚できない」


 貴族の結婚に必要なのは愛ではない、とルクレツィアは反論しようとしたが、続く言葉ですべてが打ち砕かれた。


「セラヴァッレ公爵も、もう了承してくれているんだ。君にはすまないが、俺はローザと婚約をし直すよ」


 ――お父様が……なぜ……?


 父はルクレツィアを愛してくれていたのではないか。だからこその試練だったのではないか。元帥夫人になれるのはルクレツィアだけだと期待をかけてくれていたからこその、非情な仕打ちだったのではないか――!?


 ルクレツィアは、混乱したまま、「はい」とうなずいた。父親がいいと言っているのだ。ルクレツィアには逆らえない。


「ありがとう。婚約はし直すけど、俺は君のことが嫌いなわけではないんだ。だから、これまで通り付き合ってくれたら嬉しい」


 ルクレツィアはショックで頭がはっきりせず、その後ファルコの言うことをすべて聞き流した。

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