第38話 プリンセシュラバ
お、重い。
すっかり早起きが習慣になってしまった。
ラーメン屋は開店時間でなくても、スープの仕込みとか掃除とかやることが色々ある。
だが、今日だけはなかなか体が起きあがらない。
昨日まで命をすり減らす戦いをして、身も心も疲れ切っていたというのもあるが、それ以外にも体が物理的に重くて起きあがれなかった。
「ありゃ?」
なんか、腹の上に何か乗っている。何かにしがみつかれている。
そう思って薄く目を開けると、目の前でグッスリ眠っているお姫様が居た。
「あ、あ~、そういや、昨日は一緒に寝てやったんだっけ?」
ウラはよく寝ている。ただ、顔を見ると目元が赤い。涙の痕だ。
だが、それでもこうしてグッスリ眠っている姿を見ると、俺には気を許してくれているんだろうと感じることが出来た。
しかし、こ~、ベッタリしがみつかれたまま寝られると身動きが取れねえ。
「ったく。つーか、こらこら、白と水色のパンツ見えてるぞ。お姫様がはしたないんじゃね?」
捲れ上がっていたワンピースの裾を伸ばしてやり、俺はゆっくりと体だけ起こす。
絡まった紐をほどいていくように、丁寧に、そして起こさないようにゆっくりと手足を抜け出そうと……
「ッ、ヴェ、ヴェルト!」
「うお、起きた!」
ビックリした。
俺が僅かに動いただけで、グッスリ眠っていたはずのウラが急に起きた。
酷く慌てたように、いや、悪夢を見ていたかのような表情で俺を見て、そして何度か瞬きをした後に、心の底から安堵したような表情を見せた。
「よ、よかった……」
「お、おお?」
「夢でヴェルトが私を置いてどこかへ行ってしまって……」
そんな夢を見たのか? にしても慌て過ぎというか……
「ヴェルト、その……おはよう」
「……お、おはよう」
「ぷっ、ふふふふふ」
今度は何だか嬉しそうに笑い出した。
何なんだ?
「不思議な感じだ」
「はっ?」
「これまで、朝起きたら、城の女官が扉のところに立っていた。でも、同じシーツに誰かとくるまって寝て、こんなに間近で挨拶したのは初めてだ」
「おお、そうかそうか。さすがお姫様はちげーな。俺なんて最初は先生に、お玉で殴られて起こされたのによ」
ウラは俺をじっと見て、頷く。
「でも、いいな、こういうの。うん、何かいい」
「はは、そーか。そういや、親父とは一緒に寝てなかったのか?」
「何を言う。私はもう十歳だぞ? そんな幼い子供のようなことするはずがないだろ」
……これはツッコミを入れた方がいいんだろうか?
十歳ってまだガキだろうがよ。
いや、ツッコミを入れるなら、今の言動にじゃなくて……自分の唇に指を当てて、トロンとした上目遣いで俺を見てることにか?
「ヴェルト……ん」
「……」
「ほら、お、おお、おは、おはようのアレだ。昨日は、おやすみなさいで私から、から、その、し、しただろ?」
「………」
「こ、ここ、今度から、朝はヴェルトからだ。ほら、ん~!」
ウラは自分の唇を人差し指でさしながら、しきりに俺に何かを求めるように唇をつきだしている。
「……ヴェルト、ん~、ん! ほら、ん!」
鮫島。お前の娘はおはようのキスをするのが日課なのか?
だとしたら誰としてたんだ? お前か? 世界に恐れられた魔王のお前なのか?
で、お前じゃそんな娘を俺に託したのか?
しかも、頬やおでこへのチューで誤魔化す選択肢はねえ。唇同士の一選択だけ?
さっきは気を許してくれたと安心したが、これは許しすぎだ。
やっぱりこいつも、フォルナと同じでマセガキ……
「こら」
俺は、ウラの鼻をつまんで捻ってやった。
「ふぎゃ! いたあ! な、何をする!」
そんな恨めしそうに睨んでもダメだ。
ガキのキャッキャウフフにまで付き合ってらんねー。
「ヴェルト~、お前は~、わ、私とシたくないのか!」
「くはははは、残念でした」
「う~、おのれ~、私が、私がこんなに~」
「ふん、バーカ。十年はえーよ」
「この照れ屋め! そんなに恥ずかしいのか!」
あ?
「いや、お前、何をうぬぼれたことを……別に恥ずかしいとかじゃなくて……」
「お前は意気地のない奴だ。まったく、情けないぞ!」
「うるせーよ。大きなお世話だ」
「仕方ない。お前は本当に仕方のない奴だから……私からしてやるんだからな」
「はっ?」
しまった、この流れは……
「ん」
「つ!」
完全に油断して隙をつかれてしまった。
一瞬のうちにウラの両手が俺の後頭部を完全ロックして、身動き取れなかった。
鮫島………見てるか? 俺はちゃんと拒否ったよな? 悪くねーよな?
「ちゅっ、にへへ~……ど、どうだ? う、嬉しいだろ!」
「お、おま……お前ってやつは……」
「んふふふ~……もう一回」
「……え?」
「今度はもっと……んちゅ♥」
「んぐっ?!」
だからさ………
「朝早く失礼しますわ! ヴェルト、起きていますか? 昨日は、あの女とあれ以上何もなかっッッ………!?」
だから………
「お~い、ヴェルト、起きてるか~? スープの仕込みをするから顔洗って………」
だからさ、頼むから俺の代わりにこいつらに言ってくれ。
俺は何も悪くないって。
「う、あ、わ、あ、ッ、この浮気者おおおおおおおおおおおおお! そして泥棒魔族うううう!」
「おめええらああああああああああ!」
フォルナと先生が同時に叫ぶ。フォルナはそのままウラにダイブ。
やべえ、なんかもー、すげえ色々とめんどくせえ。
しっかし、ウラとフォルナ、そのうちモメると思っていたが、早速かよ。
姫が二人揃って取っ組みあいしてんじゃねーかよ。もっと貞淑さってのは、ねーのか?
「あ、あなた、あなた、あなた! ヴェヴェ、ヴェルトに何をしていますの!」
「べ、別に何でも、ただ『おはよう』の挨拶をしただけだ。人の部屋に無断で入るなど、姫にしては礼儀に欠けるのではないか?」
「は? 何を言いまして? おはようの挨拶? 礼儀に欠ける? 人のヴェルトに手を出しておいて、あなた一体何を言ってますの!?」
「違う、昨日からヴェルトは私のものになったんだ!」
おいおい……
「何を仰るのです! ヴェルトはもう五年も前からワタクシのものですわ!」
「でも、私は、もうキスしたぞ!」
「残念でした! そんなもの、ワタクシはもう大昔に済ませてますわ!」
頼むから喧嘩はやめろ。朝っぱらから、つうか、うるせえし。
「ヴェルト~、お前な~、ウラちゃんがよ~、クラスメートの娘だと分かってんのか?」
先生も頼むから落ち着いてくれ。
「あ~もう、メンドクセ。殴れ殴れ、もう、反論するのもかったりぃ」
「ならば遠慮しねえ!」
「いって! マジで殴った! マジで殴った!」
「おお? なら、どうすんだ、このロリコンのクソガキ! 訴えるか? 『体罰だ』って国王に訴えるか!?」
「普通に考えろっての。ただガキが戯れてるだけだろうが!」
なんだ? 俺はロリコンなんかじゃねーっての。
てか、先生だって知ってるだろ?
「ったく、大体、先生だってよ~、よ~く知ってんだろ? 俺が惚れてんのは~」
そう、こんな十歳のガキ共にベタベタされようと、俺にとってはただのマセガキ。
俺が惚れてるのは……
「ああ~、ほら、俺には……神乃が居るし……」
やべ。なんか自分で言ってて恥ずかしくなってきた。
今の俺は恐らくスゲー情けない顔をして………
「ヴェルト! 誰ですの、そのカミノとは! 以前も言ってましたわね!」
「ヴェルト! カミノとは一体どこのどいつだ! 昨日も父上と話してたな!」
そういいながら詰め寄ってきた二人のパンチが、同時に俺の顎を打った。
お前ら、こんな時だけ何でスゲー息が合う?
打ち上げられて、今度は天井とキスした俺の意識は遠ざかり、先生の家に厄介になって初めての二度寝を、俺は経験した。