第385話 余計な事
「なんじゃあ? 絶頂しそうなこの猛りを萎えさせようとするのは。のう? ピイトよ。こんな声に後ろ髪を引かれるなど、つまらんではないか?」
――――そう言わないで欲しいだっく。こっちも組織人として大変だっく。さっきから、地底世界の宮殿から君たちを見下ろしている『地底王ゴッドリラー』から、騒音について組織に苦情が入っているだっく
地底王? 俺たちが不意に宮殿を見上げるが、特に誰かが居るように見えない。
だが、居るのか? このデカイ建物の中に、この地底を統べる王が。
――――トゥインクル。一体何のためにお前を自由にさせていたと思っているだっく? こういう問題を起こさないためだっく
「ッ、本部長……」
――――ニート・ドロップを紋章眼試作品作成の被検体にし、成功すれば幹部に招き入れる。それが、どうして武神イーサムやらヴェルト・ジーハとのいざこざに発展しているだっく
「私は、ただ……ニート君を……」
――――もう少し、しっかりとして欲しいだっく。本来闇オークションに高値で売れる妖精族を乱獲しないでワザワザ保護しているだっく。売買するよりも組織に益を生み出してくれるほど優秀であると証明して欲しいだっく。
妖精フィアリは表情を俯かせている。
何やら、フィアリはフィアリでラブ・アンド・ピースに関わっていることに、それなりの事情がありそうだと感じた。
まあ、今の会話で大体分かったといえば、分かったんだが。
「おい、さっきから何をブツブツ言っておるのじゃ? だからどうした? 腹を空かした獣が、美味そうな肉を目の前にして逃すと思っておったか?」
しかし、イーサムにはそんなの関係ねえとばかりに、その足を一歩ずつピイトに近づける。
――――武神イーサムにそもそもの用事はないだっく。世界同盟にも加盟していないから、手出しする気はなかっただっく
「くわはははは。どの口がほざく。そもそも都合も用事も関係なしに、ハイエルフを始め、亜人大陸で笑えぬイタズラをしてきたのは、おぬしらの方ではないか」
――――そっちこそ、我らの主要拠点ではあったが、それでも全く無関係な人間も多数住んでいた、シロムを滅ぼしただっく
「滅ぼした? 取り返しただけじゃよ。多くの同胞たちをのう」
確かに、イーサムや俺たちには、地底族がどうとか、妖精がなんだなんて、そんな事情はまるで関係ねえ。
そもそも、地上に飛び出して俺たちに奇襲した挙句に、コスモスを攫ったクソ野郎ども。どうして遠慮する必要がある?
だが………
――――武神イーサムは、嫁を戦場に連れてこないで、家で帰りを待たせるタイプのようだっく
「むっ………」
――――嫁が何百人もいるだっく。何人か殺しても問題ないだっく。それにいま、亜人大陸の守りは手薄だっく。転移魔法で今すぐ嫁の首を刎ねてきてもいいだっく?
その脅しの言葉は、イーサムの表情を変え………
――――メルマ・チャーシ、ララーナ・チャーシ、ハナビ・チャーシ
「ッ!」
――――ヴェルト・ジーハ、君も状況は分かって欲しいだっく。子供も無事に返して欲しいだっく?
こいつ………………
「……おい……テメエ」
――――状況が分かっただっく? 大人しく、ニート・ドロップを引渡し、地底世界から立ち去るだっく
説明するまでもないこの感情。腹の底から湧き上がってくる激情。怒りだ!
「テメエ、コラァ! 先生を、カミさんを、ハナビを引き合いに出してんじゃねえぞ、コラァ!」
――――我々は戦争屋でもなければ、正々堂々を語る集団でもないだっく。戦い? 熱い? 魂? 信念? 反吐が出るだっく。やれることは全部やるのが、俺のポリシーだっく。
俺の意識はもはや完全に一つの感情に支配された。
人質とか腹の探りあいとか、そんなもんじゃねえ。
殺してやるという一つの………
「ぐわはははははははは、いや~はははははははは、ぐわはははははは」
というのに、家族をこよなく愛するはずのイーサムが愉快そうに笑った。
しかし、その笑いはいつもの豪快な笑いというよりも、どこか子供のような無邪気さだった。
「おい、ゴミ父! 何が、おかしい! 母に何かあったら、どうするのだ!」
ユズリハがそう言うのも無理はなかった。今は笑っている場合では……
「いや~、あまりにもおかし過ぎての~、いやはや、亜人族の間では絶対に誰もそれだけはやらなかったというのに、いや~、人間がそれをワシにするとは、こりゃ一本取られたわい。ぐわははははははははは!」
その時、ゾクッとした。口角が完全に壊れたように大口開けて笑うイーサムから、徐々に湧き上がってくるこの寒気は………
「バカなことを……無闇に獅子の尻尾を踏むからそうなるというのに」
ピイトが疲れたような溜息を吐いて、一歩後ろに下がった。その言葉は、イーサムにではない。このテレパシーを使っている声の主に言っているように聞こえる。
そんな中で……
「いや~、良かった良かった。このままピイト専務が本気で殺し合い始めたらどうしようかと思ったけど、これでこの戦いは中断だね~。イーサムさんも、そういうわけだから、家族が大事ならここは引いてくれるよね? しかし、何百人も家族が居るのに、全員大事とか、いや~、恐れ入るね~」
ここでイーサムの心のうちをまるで理解していないのか、陽気にグーファが声をかける。気軽にイーサムに近づき、肩をポンポンと叩いている。
だが、次の瞬間!
「ガッ!」
「……………へ?」
イーサムの顔が一瞬だけブレた。そして次の瞬間、何かを吐き出した。
その吐き出されたものはボトリと音を立て、やがて地面に夥しい血を……
「う……うぎゃあああああああああああああああああああ!」
それは、グーファの腕。
「ひゃああ!」
「うげっ……」
無闇に近づいたグーファの腕を一瞬で噛み切りやがった。
「バカが……グーファ……」
「うぎゃあああ、お、おお、俺の、俺の腕があああああ!」
肘より先を失ったグーファは、一瞬自分の身に何が起こったか理解できず、しかしその数秒後には全身を痙攣させならがら、地獄の苦しみのあまりにのた打ち回った。
「おい、さっきから、だっくだっく煩い男よ、聞いておるか?」
――――イーサム………貴様……やっただっくね。愚かな……明日にはもう、お前は家族と二度と会えないということを理解できていないようだっく………
「ぐわはははは、なんじゃ貴様。明日にはもうって、おぬし………明日まで無事でいられると思ったか?」
―――ッ!?
亜人族は、他の種族と違い、亜人同士の大陸内での争いも多いと聞く。
数多くの種族同士でのぶつかり合いが、いくつもの国や部族に分かれていると。
四獅天亜人のイーサムなど、その頂点に君臨し、誰よりも多くの争いを経験してきたであろう。
そのイーサムが、どうして何百人と居る家族を脅迫の材料にされなかったのか? 答えは簡単だ……
「ぐわははは、愉快すぎて……鼻がいつもより利くわい。おぬしが念話をどこから発しているのか、明確に分かるわい」
――――ッ!
「マニーラビットの転移魔法で逃げても無駄じゃ。どこまでも、地の果て、地の底、深海、天空だろうと………もう、に~が~さな~い~ぞ♪」
亜人どもは分かっていたんだ。イーサムの家族に手を出すと、どういうことになるか。
イーサムは、心の底からキレると怒鳴るんじゃない。笑っちゃうんだな……
「この、よくも、よくも、よくも俺の腕を! 知能の低い獣が、人間様に楯突きやがって!」
ちなみに、こっちもキレたようだ。
「よせ、グーファ、今ここでお前が暴走したら―――」
「うるせえ、ピイト! この獣野郎、ぶち殺してやる! 俺の必殺! トラ―――」
さっきまでの軽い口調のキャラクターは既に消え失せ、すっかりキレたチンピラになったグーファ。
しかし!
「てい」
イーサムが軽く手首のスナップを利かせて振り抜く。
次の瞬間、ボールのようなものが遠くに飛び、地面をコロコロ転がった。
目の前には、ビンタを振りぬいた態勢で固まっているイーサム。
そして……
「うっぷ!」
「い、い、い………いやああああああああああ!」
「ひっ、ゴ、ゴミ婿~!」
「ッ……は、速すぎますわ……」
ひねくれたニートも思わず吐き気を催すほど。
妖精とユズリハは悲鳴をあげ、フォルナも苦悶の表情を浮かべている。
「グーファ……バカが……よせと言うのに……」
そこには、直立したままの態勢で固まった、『頭部の無い胴体』だけ。
遠くに転がっているのは、犬の着ぐるみの頭部。
しかも、着ぐるみの頭部の『中身』も一緒のようだ………
――――……イーサム……貴様……
「……あ~、腹が減ったのう、あ~腹が減った。………ほんとは、ピイトを喰いたかったが、他に喰わねばならんやつができたの~……」
――――愚かな……俺を殺す気だっくか?
「殺す? 殺すなんて、そんな優しいマネをワシがすると思ったか? おぬしは、ほんとおもしろいの~♪」
俺の殺意すら一瞬で崩壊させるほどの恐怖。この世界で何が起ころうと、これだけはやってはいけないことを、どうやらこのテレパシーの男はやったようだ。
「やれやれ……余計なことをして現場を掻き乱して……これでは、地底世界もどうなるか分からんぞ?」
「ぐわはははは、ピイト~、ワシ~、ちょいと食べに行きたい奴が出たので、貴様も瞬殺してもいいかの~? まあ、後悔したくなければ、おぬしも肉体の力を抑えておる、その『封印』を解除してもよいが」
「……気づいていたか……恐ろしい野生のカンだ」
ニッコリと爽やかに提案するイーサムに、ピイトの声が若干上ずった。どうやら、ピイト自身も、このテレパシーの男の軽率な言葉に呆れたようだ。
「そうじゃろう? ちなみに、ワシの今の鼻なら分かる。この地底世界……どうやら道が通じておるな? 貴様らの本拠地と」
まあ、今のイーサムを目の当たりにしたら、そうなるわな。
「ちゅうわけじゃ、いくぞ~、ヴェルト、ぬしも子供を迎えに行かねばならんじゃろ? ちゃっちゃとここを平らげて、ゆくぞい」
「……………………はっ?」
「仲間と合流するのも面倒じゃ。ワシらだけでランドとやらに行くぞ。デートじゃデート、ぐわははははははは」
これまで、色々な女から過激で恐くなるスキンシップを受けてきた俺が、たかがデートの誘いだけでこれほど恐怖を感じることは無かった。
「まさか、このようなことになるとはな。おまけにこの世で最も怒らせてはならぬ者を怒らせて。これは明らかに失態だぞ、『ブラックダック本部長』。いくら、紋章眼の試作品がうまくいったとて、地底世界が滅ぶのはまずいのでは?」
――――黙るだっく、ピイト
「だが、失態は俺も同じ。裏社会で世界の裏側を全て知った気になっていた俺たちは、理由もない根拠に自惚れて、真の英雄の力を見余っていたのだからな」
――――……ッ……
「まあ、そうは言いつつも、どのような反吐が出る行いも、小物のような発想も、それを躊躇いなく実行できるような存在が一人でも居るからこそ、組織は成り立っているのも事実だがな。だからこそ、社長も……聖騎士もお前を採用したのだ」
ピイトは再び溜息。何だか、上司が余計な茶々を入れて、返って迷惑を被ってしまったサラリーマンのような溜息に見える。
だが、そんなピイトの心境など関係ないとばかりに、イーサムは指の関節を鳴らした。
「『ブラックダック』……じゃと? ほうほう、それはそれは、なおのこと早く喰らわねばならぬ理由ができたのう。さあ、さあ! さあっ! 食事をゆっくり楽しむのはやめじゃ! 今すぐガッツリ勢いよくかき込むことで満足することにしよう!」
味わって食べるのではなく、とにかく勢いよく食べる。それは比喩ではなく、イーサムは本気で喰らおうとしているように見える。
正に、捕食者そのものだ。
一方で、同僚に余計な迷惑を掛けられたピイトは、まだ静かなままだ。
ゆっくりと、乱れた着ぐるみを整えだしだ。
「仕方ないな………」
イーサムは家族のことでキレてはいるものの、我を忘れているわけではない。
瞬殺宣言をしたものの、侮れないピイトの挙動にはしっかりと目を見張っている。
「ふっ、本気の一瞬に懸ける気かのう? なら、後悔せぬよう、さっさと見せてみい。おぬしの全てをのう」
イーサムはもはや出し惜しみをする気はない。
ほどよい怒りと熱さで闘志を燃やし、一瞬で終わらせようというのだ。
だが、こうしている間に襲いかかればいいものの、イーサムは自ら動こうとはしない。
それは、先ほどサラッと言っていた「ピイトの力を抑える封印」というものが関わっているのかもしれない。
イーサムの態度はまるで、「封印解く時間くれてやるからさっさと解け」と言っているように見える。
例え戦いは一瞬で終わろうとも、全力を出させて後悔がないように終わらせてやる。そんなイーサムの気持ちが伺える。
それが、イーサムなりのポリシーなのかもしれない。
だが…………
「俺は、巻き込まれる前に帰らせてもらおう」
「…………………………………………はっ?」
ピイトはアッサリとイーサムの気持ちを無視し、上空へ飛び、壁を殴って穴を開けた。




