第27話 悪意無き恐怖
洞窟内に、何かが破壊される音と、爆音が響いた。
「うおっ、な、なんだ!」
「何事だ!」
慌てて天幕から飛び出す俺たちの目に映ったのは、トンネルの前で構えるとてつもない数の武装した人間の兵だった。
「やはり、こんなところに居たのか、魔族!」
「ようやく見つけたぞ! もう、逃げられると思うなよな!」
いくつもある穴からどんどん出てくる兵士たち。
その鎧は一つの国だけではない。
銀、赤、青など様々だが、その胸元には同じエンブレムが刻まれていた。
太陽の紋章。
「希望の太陽……こいつら、『人類大連合軍』か!」
「あれが……初めて見たぜ……んで、どーすんだよ、鮫島」
数多の国から選りすぐられた、魔族、亜人と戦い続ける軍、『人類大連合軍』。
勇者、そして英雄たちの名の下に集った正義を掲げた戦士たちだ。
「や、やべえ、見つかったぞ!」
「くそ、どうすんだよ、奴らスゲー数だぞ!」
魔族は怪我人も多いし、準備も出来ていない。ハッキリ言って勝ち目はない。
だからこそ、既に成すべきことを決めた鮫島は、高々と宣言する。
「我が名は、七大魔王の一人、シャークリュウである! 此度の戦は我々の負けだ。我らは全面降伏する!」
洞窟内に衝撃が走った。
魔王のその宣言に、魔族も人間も戸惑いを隠せずにどよめきが走った。
「我が同胞よ、武器を捨てよ! この戦、我らの負けだ。これ以上の争いは無益である」
妥当なところだ。
「ち、父上……」
「ウラ様、残念ですがここは……」
「くっ……」
今、この洞窟内に居る魔族は百人程度。
人類連合軍はその倍……いや三倍? それい以上で取り囲んでいる。
その覆しようのない現実に、多くの魔族が武器を落とし、膝から崩れ落ちながら涙を流している。
ウラやルウガの表情にも無念さが感じられた。
「まっ、妥当なところだよな」
仕方がない。
俺は当然、そう思った。
この状況で抵抗したところでどうなるものでもないことは、素人の俺にでも分かった。
潔くすることは間違っていない。俺もそう思っていた。
だが、俺は分かっていなかった。
戦争がいかに人を残酷にするのかを。
「あなたの苦渋の決断。果たして真実かどうか……」
それは戸惑っている人類大連合軍の中から聞こえた声だった。
すると、陣形を取っていた人類大連合軍が道を空け、トンネルの奥から一人の『女』が出てきた。
「ギャンザ将軍!」
将軍。
そう呼ばれた女を見た瞬間、俺は全身が凍り付いた。
「な、なんだ、あいつは? ……ッ!」
鎧ではなく黒いコートを纏い、頭には兜ではなく戦場には似つかわしくないつばの広い黒い帽子。
髪は玉虫色のふわふわロング。体のラインは細く、そして何より……
何よりも美しかった。
一切の汚れを感じさせない神秘的なオーラを醸し出している。
口に出したら笑われるかもしれないが、「天女」「女神」と思わず呟いてしまいそうになる。
およそ、戦争とは程遠い存在に見える。
だが、
「ッ、汗が……止まらねえ……震えが……なんだっつーんだよ!」
その姿を見た瞬間、俺は魔王を見たとき以上の死のイメージに襲われた。
恐怖? 寒気? 絶望? いや、そんな程度ではない。
底知れない闇に満ちた「何か」に、心が折れそうになる。
狙われたら、絶対に殺される。
そう確信できるほどの恐ろしさだった。
「ふっ、よりによって追っ手がお前とはな。帝国最凶・微笑みのギャンザ」
魔王と呼ばれた鮫島も、その表情が引きつっている。
一体、この女は何者だ? っていうか、本当に同じ人間か?
だいぶ若いぞ。二十……十代……十四~五?
すると、
「あっ、あれが!」
「ぎゃぎゃぎゃ、ギャン……ザ、ギャンザだって!」
俺と同様、ギャンザという女に見惚れていた魔族たちの顔つきが一斉に変わった。
恐怖で引きつった顔。
その中には憎しみの感情も含まれているように見えた。
「あ、あれが……キサマガアアアアアアアア!」
突如、ウラが感情のままに怒声を上げた。
深い深い憎しみの篭った形相で、ギャンザを睨んだ。
だが、ギャンザは一切動じない。それどころか、思わず心臓が高鳴りそうな慈愛に満ちた微笑みを見せた。
「あなたが、ウラ姫様ですね。はじめまして」
威圧はない。だが、逆にそれがウラの神経を逆撫でていた。
そして、俺は同時に改めて怖くなった。ギャンザの振る舞い一つ一つが、どうしても恐ろしいと感じた。
「七大魔王・シャークリュウ。我ら人類大連合軍は正義の名のもとに馳せ参じました。しかし、意外なことにあなたは既に降伏の意思を示しているようですが、その真意は?」
「真意もなにも、そのままだ。他意などない。この戦は既に詰んでいる。我も勇者に敗れ、この戦況は覆せぬ。我らの負けだ」
魔王として、軍の、そして国の代表として鮫島はありのままを述べた。
魔王の全面降伏宣言に、改めて人類大連合軍の兵たちも意外そうな顔を浮かべて驚いている。
「そうですか」
ギャンザも少し驚いた顔をしている。だが、スグに笑顔を見せて返す。
「とても賢明なご判断。シャークリュウ。誇り高き魔王の決断、種族は違えど感服します」
「そうか…………」
「ふふふ。他の魔王様や四獅天亜人の方たちも見習って欲しいですね。無益な争いで余計な血を流すことほど、上に立つものにとって苦しいものはありませんから」
随分とすんなりと話が進みそうだ。
だが、どうもおかしいと思った。
見た限り、優しそうで話が分かりそうな女じゃないか。
何で、鮫島も、ウラも、そして他の魔族たちも表情が強張っているんだ?
そして、俺自身もおかしいと思った。
何でこの女はこんなに美しく優しそうな笑顔を見せるのに、こんなに恐ろしいと思ってしまうのか……
「うっ、うう……だからこそ、私は悲しいです、シャークリュウ」
その時だった。
ギャンザの瞳から涙が溢れていた。
それは、悲しそうで、複雑そうで、苦しんでいるようにも見えた。
何故?
すると、
「シャークリュウ……なぜ、そんな嘘をつくんですか?」
俺は、耳を疑った。
「敵であれ、味方であれ、降伏の宣言は互の犠牲をこれ以上増やさない……辛く悲しい戦争の終結を告げる言葉……それを、どうして相手を騙すために使うのですか?」
おかしいと思うのは、俺だけか?
いや、違う。
「嘘なわけがあるか! ギャンザよ、我らの軍は既に壊滅状態! 戦意も既にない! 我の降伏が奸計などと申すとは、無礼にもほどがあるぞ!」
鮫島もすかさず言い返すが、その表情は、まるでこうなることが分かっていたかのようにも見えた。
いや、他の魔族やウラの表情もそうだ。
「やめてください、もう、嘘であなた自身を汚すのは。誇り高き魔王をこれ以上、壊さないでください」
いや、つか、この女、話を聞いてるのか?
「ふざけるな! 武器も捨てた、魔力も尽きた、伏兵など存在しないことなど既に承知しているだろう!」
「それは、あなたが魔王だからです」
「な、なに!」
「あなたは、魔王。そう、私などの頭では決して想像もつかない逆転の一手を隠していることぐらい分かっています」
一応、俺は鮫島をチラ見した。「逆転の一手? んなもん、ねーよ」と全面に顔に出ていた。
なのに、何故、この女はこんなことを言うんだ?
「シャークリュウ……あなたの奥方もそうでした」
「ッ!!」
「人と魔の調和のため……戦争を終わらせるため……異種族間での友好条約を結びたい。そう言って、魔族の大使として帝国へと……」
鮫島の奥さん? この世界の……
そして、ウラの母親か?
「でも、私には分かっていました。友好条約など嘘偽り。本当は帝国に進撃するつもりなのだと、私は分かってしまいました。だから……だから……」
涙を流しながら語る、ギャンザ。
その瞬間、何かが弾けたようにウラが叫んだ。
「ふざけるなあ! 母上は、母上は、永きに渡る戦乱の世を憂い、民のため、世界のため、嘘偽りなく貴様らと友好を結ぶために行かれたのだ! なんで、なんでなんの根拠もない貴様の思い込みで、母上を……母上を殺した!」
ウラの言葉に同調するように、魔族たちが悔しさで唇を噛み締めてギャンザを睨んでいる。
俺も、鮫島やウラの人間に対するわだかまりは何となく理解できた。
だが、この女だけは別だ。同じ人間なのに、まるで言動や思考が理解できない。
「ウラ姫様、残念ですが、私に分かるのです。嘘をついているかどうかを。あれは、私にとってもとても悲しい戦でした」
「嘘だ! 話も聞かないで、どうして分かる! 貴様は母上と話もしないで、会談に向かう母上を襲撃したんだ!」
ああ、そうか……
思考が理解できない。それが、全ての答えでもあった。
「いいえ、私はあなたのお母様とお話しました。ですが、あなたの母上は罪深い………いくら拷問しても、友好を結びたいなどと嘘しか言わないのですから! 最後の最後の事切れるその瞬間まで、嘘しか言い続けませんでした」
俺はようやく理解した。
この女を理解できないことを理解した。
「この女、会話がまるで成立しねえ」
この女は、狂ってるんじゃない。
悪意を持っているわけではない。
純粋に思い込んで、良かれと思って行動している。
つまり、バカなんだ。
「しょ、将軍、勇者様も抵抗の無いものは手厚く保護しろと……どうか御一考を」
「彼らが嘘をついているようにも……み、見えないと……思いますが」
「その、まだ十五歳とはいえ、将軍がいかに天才であり、偉大かは承知しておりますが、戦経験は我々がまだ……我々から見ても彼らは……」
良かった。側近はまともな思考をしていそうだ。
てか、どんだけ天才か知らねえけど、十五歳って……
そもそも将軍になるのに、面接試験はやらねーのか?
側近はもっと言ってや……
「嘘をついているようには見えないと『思う』? 何を愚かなことを! あなたの思い込みの行動で、世界を破滅に導く覚悟はあるのですか! 思い込みで行動することが、戦場でどれほどの危険を生むかわからないのですか!」
側近の首が……斬り飛ばされた……
思わず目を疑い、しかしそれが現実に起こったことだと気づいた瞬間、猛烈な吐き気が俺を襲うが、今はそんな場合ではない。
涙とともに、決意を秘めたギャンザは、腰元からサーベルを抜き出して高く掲げる。
「人類大連合軍・ギャンザ軍本隊に告げます! 敵は、ヴェスパーダ魔王国軍! 敵の策が何かは分からぬ以上、容赦は無用! 即座に、殲滅せよ!」
「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
揺るぎない正義が、悪しき魔族を殲滅せんと駆け出した。