第239話 おかえり
「朝倉くん…………うん、ここはアレね……ブツブツ。恋人として本妻として、今の朝倉くんの気持ちを察して……私がずっと傍に居ると、教えてあげるのよ……ブツブツ……行くのよ、アルーシャ。ゴーよ」
その時、なんかブツブツ言ってる綾瀬が顔を上げた瞬間、俺の肩を強くミルコとジャックポットが組んできた。
「へい、リューマ。顔バレがないとすると、ユーは気楽でいいじゃないか。バット、ミーはお尋ね者ゆえ、顔バレしたら、即アレスト!」
「なんやよーわからんが、うまそな店いっぱいあるやないか~! なあ、あんちゃん、おすすめどこなんか教えて欲しいわ~!」
ったく、人がしんみりしたいときに空気読まずにズケズケと……ほんと、救われるぜ。
「ったく、おいおい、あつっくるしいよ。テメェらガタイのいいゴツイのに挟まれたら、俺が死ぬ!」
「HAHAHAHAHAHA!」
「えーやん、えーやん、はよ、そのラーメンゆうの食わして~な」
そーいや、高校時代も街のど真ん中で、喧嘩で腫らした顔のまま三人で肩組んで爆笑しながら歩いたこともあったっけな。
かつては、可愛らしいお姫様二人と手をつないで歩いたこの道を、まさかこんなムサイ二人に囲まれて歩くとは、俺の青春も分からんもんだな。
「ん? おい、どーした、綾瀬?」
「…………なんでもないわよ………………」
なんか、ムスっとした綾瀬に、その後ろでニヤニヤしまくってる加賀美も気になるところだが、俺たちはそのまま、まずは例の目的地へと行くことにした。
「おっ、どんどんそそられる匂いがしてきたで?」
「クンクン、おい、ゴミ! この匂いの発生源はどこだ! 嗅いだだけで腹が減るぞ!」
ああ、油まみれのギトギトなスープの匂いが、ダクトを通して充満している。
俺が過去、一番慣れ親しんだ通りを、昔と同じように通ると、そこにはデカデカとした看板を構えた店があった。
普通の一軒家の三倍の大きさもある飲食店。
「ああ……変わってね」
変わってない。それだけで目元が少し熱くなる。
「とん……ことぅらめーん……とんこつラーメン! ね……」
「はははは、赤ちょうちん。パナイパナイ」
「ヒュー!」
綾瀬たちも、俺から話を聞いてはいるものの、実際に来たのは初めてだ。
その目はやはり色々な思い出が胸に来たんだろうなと感じさせられた。
そして、俺にはその気持ちが痛いほどに理解出来た。
「す~、はー」
一度深呼吸。昔は当たり前のように出たり入ったりしたこの扉すら、今の俺には僅かな恐れを感じさせる。
見た目は変わっていないのに、すっかり俺のいた国ではなくなったエルファーシア王国を目の当たりにしたからだ。
だが、それでも俺はここに来た。確かめに来た。
ここを。そして、あの人を。
だから俺は、意を決して扉を開けた。
「あっ、いらっしゃいませーーーーー!」
扉を開けたと同時に聞こえてきたのは、元気活発な声。
「何名様ですか~?」
そして駆け寄ってくる小さな、だけど昔とは見違えて大きくなった子供。
「あら、可愛らしい店員さんね」
「にししし~、ありがと! お姉さんたち、初めてのお客さん?」
「ええ、とっても美味しいって噂だったから、どうしても来たかったの」
「そうなの! うん、とーちゃんのラメーンは美味しいんだから!」
昔と変わらないクリクリの瞳に髪をキュッと結んだ半袖短パン、子供用のエプロン。
健康的で元気な女の子という言葉がよく似合う、俺の家族。
「はい、お姉さんと、お兄さんね、テーブル空いてるからそっちに座ってね」
「なははは、パナイ可愛い可愛い♪」
「うん、キュートなガールだ」
俺を見ても顔色ひとつ変えないことに、やはり寂しさはある。
それでも、抱きしめて、頭を撫でて、そして言ってやりたい。「大きくなったな」と。
すると、皆が席に案内される中、少しボーッと立っていた俺の手を少女が掴んだ。
「ほら、兄ちゃんも早く!」
「ッ!」
「……って、あれ? ゴメンなさい、お兄さんだったね。う~、言葉遣い気をつけろって、いつも父ちゃんに言われてるんだけど、難しいよ~」
気づけば、俺の手は少女の頭に伸びていた。
「いいよ、それで」
「ん? ふぇ?」
「兄ちゃんで、俺は構わねえよ。むしろ、そう言えって言われたって、父ちゃんに言っときな」
俺がそう言って軽くウインクすると、何だか少女も納得したのか、実に晴れやかな表情を見せた。
「うん、じゃあ、兄ちゃん!」
それでいい。自然と俺も笑っていた。
「朝倉くん……?」
俺の見せる態度や表情に、何かを察したのか、綾瀬たちがジッと見ている。
まあ、俺がこんなニコニコしてんのも珍しいだろうからな。つか、恥ずかしい。
すると、その時だった。
「おい、ハナビ! なーに、くっちゃべってやがる! さっさとお客様に注文取れ!」
厨房の奥から、一人の男が出てきた。
その男は、油まみれの真っ白い服に身を包み、手ぬぐいを頭に巻いて、中々の強面。
その声は力強く店内に響いてる。
「あっ、とーちゃん! あのね、この兄ちゃんたち、初めてのお客さんなんだって!」
「なに~? おっ、らっしゃい! 娘がとんだ粗相を…………ッ!」
その時、その人と俺は目が合い、あの人は、しばらく目を見開いて呆然としていた。
だが、その全身はどこか震えているように見えた。
「あっ……」
「ッ!」
「ワオ……」
気づけば、綾瀬、ミルコも、そして加賀美ですら自然と椅子から立ち上がっていた。
三人とも気づいたんだろう。
この人が、一体誰なのかを。
しばらく沈黙が流れ、少女が俺たちをキョロキョロ見渡していると、あの人は唇をグッと噛み締めながら、俺たちに近づいてきた。
「初めての、客……か」
「ああ、ヴェルト・ジーハだ」
俺がそう言うと、あの人は小さく笑い、まずはテーブルに座るみんなに声をかけていく。
「らっしゃい!」
「は、あ、あの、はい!」
ビクッとなる綾瀬。
「らっしゃい!」
「あ、や、あの、ど、ど、ども」
俺たちには見せたことがないほどメチャクチャビクビクする加賀美。
「らっしゃい!」
「……ハロー……」
微笑むミルコ。
「らっしゃい!」
「あ、ウ、ウス」
なんか不思議そうな顔をするジャックポット。
「らっしゃい!」
「ウム」
普通に受け答えするカー君。
「らっしゃい!」
「このトンコトゥとかいうのくれ」
普通に注文したユズリハ。
そして……
「……………………………………」
最後に俺の目の前に無言で立ち、そして俺の肩を力強く掴んだ。
「その……なんだ……言いたいこと、殴りたいこと、聞きたいこと、色々あるが…………」
そして、あの人は俺に温かい笑顔で、言ってくれた。
「おかえり。ヴェルト」
「……ッ、せ…………せんせー………」
「よく帰ってきたな」
エルファーシア王国は変わった。俺の存在が消え去った。
でも、それでもこの国には、俺の帰る場所がまだあった。
俺に、「おかえり」と言ってくれる人がいた。
「………ッ、た、………ただいま!」
それが何よりも嬉しくて、俺は、ただただ膝から崩れ落ちて、涙を流した。




