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怨みつらみの愉快日録  作者: 夏風邪
第三章
98/103

96 . 何度目かの東京旅



 ◇ ◇ ◇



 ここ最近、東京に行く機会が増えたような気がする。

 そして今後も増え続けるような気がする。

 なんなら東京に限らず、全国各地に行く機会が。



「じゃあ私、久瀬さんと行ってくるから。お前らはその辺で待っててよ」


「ああ」


「行ってらー」


 都会の雑踏の中でもやたらと目を惹く二人を残し、千景は久瀬とともにビルに入った。


 受付嬢と二言三言やり取りをしてエレベーターに向かった久瀬の背を千景も追う。


 押されたボタンは三十八階。

 なかなかの高層階だ。


「ごめんね千景ちゃん。東京にまで付き合わせちゃって」


「いえいえ大丈夫ですよ。それにしても、久瀬さんも大変そうですね」


「ある程度は慣れたんだけどね。今回のはそろそろ危ない気がして…」


 前回の経験から、久瀬の言う”危ない”はわりと本気で危ない。

 どうやらまた変なことに巻き込まれているようだ。



 今回、千景が東京に来たのはれっきとした仕事だ。


 数日前に金縷梅堂にやって来た久瀬から持ちかけられたのは『一緒に東京に行ってほしい』という依頼だった。


 なんでも久瀬の会社の取引先が東京にあるらしい。

 年に数回、そこに商談に行くというのだが、その会社のオフィスが入っているビルがやばい(・・・)らしい。


 久瀬曰く、


『あれはやばいと思うんだ。もはや観葉植物と同じ位置付けだよね。一種のデザインみたいなものかな。もう、そこら中にね、お化け屋敷かってレベルで霊がいるんだよ。しかも行く度に危なそうな雰囲気増してるし、そろそろ呪われそうで僕も怖かったんだよね』


 だそうだ。


 本人はニコニコと笑い話にしていたが、話を聞く限りでも不穏な空気に塗れていて仕方ない。

 ということで、そのとき話を聞いていた志摩と煉弥と、もちろんペットたちも連れて東京まで来たわけだが。



 実際に件のビルを見て。


 ……うわ、やばいな、と。


 千景と煉弥の声が被った。



 もしそこに引き寄せ体質の志摩を投入しようものなら一瞬で護符が黒く染まりそうだったので、煉弥を残して外に置いてきたというわけだ。


 黎は都会のカラスよろしく上空を自由に飛び回っている。


 気配を悟らせないことを条件に、基本黎は放し飼いだ。

 呼べばすぐに戻ってくるし問題はない。


 朱殷と銀が離れなさすぎるだけであって、基本人間を見下すスタンスの悪魔が一日一回は必ず姿を見せるだけでも十分な帰属意識と言えよう。


 

「久瀬さん、今日もこれから商談ですか?」


「そうだよ」


「三十八階ってそのオフィスが入ってるとこですか?」


「うん。このビル全体をなんとかしてくれとは言わないから、せめて僕が行くところは対処してくれると助かるな」


「ふふ、わかりました」


 すべてを救おうとしないあたり、さすがだと思った。


 久瀬も長らく危険と隣り合わせの世界を生きてきただけある。

 目に見えるものすべてを気にしていたらきりがないことをよく分かっていた。


 自分に害が及ばない範囲のことは関係ないと割り切る。

 下手に首を突っ込んで逆に被害を被っては目も当てられない。


 霊と共存する上で適度に周りに無関心でいることは、実は結構大事なことだったりするのだ。


 対処する術を持たない人間であれば、なおさら。


「てか私、まったくの部外者ですけど。こんなとこに入っちゃって大丈夫ですか?」


 見た感じ、立ち並ぶ建物の中でもかなり上等なビルだ。


 相変わらず全身に黒を纏い、どちらかといえば渋谷が似合いそうな千景がいていい場所ではない。

 せめてスーツでも着ていれば少しはキャリアウーマンに擬態できていたのだろうか。我ながらそんな自分の姿など微塵も想像できなかった。


「たぶんあんまりよくないね。だからなるべく人目につかないよう、手早く片付けてもらえると助かるかな」


「ですよね。了解です」


「ごめんね。頼んだのは僕の方なのに」


「気にしないでください。そういうの慣れてるんで」


 チン、と軽快な音とともに止まったエレベーター。


 開いた扉の向こうを見て、思わず溜め息を吐かずにはいられなかった。


 霊、霊、霊。いたるところに霊がいる。

 エントランスにもちらほらと霊はいたが、この階はその比ではない。

 視える一般人が毎日これらに囲まれていたら確実に精神がやられるレベルだ。


「…どう?」


「そうですね……ほとんどはただの死霊なので、ほっといても害はないと思いますけど。ちらほら悪霊もいますね」


「やっぱり…」


「力が弱いのが多いけど……ああ、結構ヤバいのもいますね。普通の死霊の方も、もしかしたらいずれは瘴気を帯びるかもしれません」


 久瀬の言う通り、これは早急に対処しておいたほうがよさそうだ。


「なんとかなりそうかい?」


「ええ、問題なく。とりあえず全部祓っちゃいますね」


「さすが。頼むよ」


 人が来そうなエレベーター前は避け、人目につかない物陰に入る。


 フロア全体に感覚を研ぎ澄ませれば、続々と霊の気配が入ってきた。

 除霊を行う場合、基本的には祓う対象となる霊を視界に入れておく必要がある。

 そうしなければ上手く呪術がかからず、中途半端、あるいは不発に終わることも少なくないからだ。


 ただ、千景の場合は。

 対象を見るまでもなく、気配さえ掴めれば確実に除霊ができる。


(……十三…十四……十八体か…意外と少なかった)


 右手の人差し指と中指を立て、刀印を結ぶ。

 

 そのまま四縦五横の九字を切る。



「──東方千陀羅道、南方千陀羅道、西方千陀羅道、北方千陀羅道」






 その除霊の様子を、久瀬は息を飲んで見守っていた。


 この前も感じたことだが、呪術を使うときの千景は纏う空気が冷たくなる。そして、いつも以上に綺麗だと感じる。


 軽く目を伏せ、小さく動く唇からは常人にはわからない言葉が紡がれる。

 普段ニコニコしているだけに、こうして表情を消した顔には余計に魅入ってしまうのだろう。


 その間、当たり前のように傍にいる二匹の存在。

 彼らが、千景が醸すどこか不気味で霊妙な雰囲気を助長させるのだ。


 呪術を扱うときの彼女に安易に近づいてはならない。 

 隠し持った刃で、毒を帯びた牙で、簡単に喉元を掻っ切られてしまう。人間の命などあっという間に絶やしてしまう。


 術師ではない久瀬でさえ、それは本能で感じ取っていた。




「霊は見つ、主は誰とも知らねども。結び止めつ、下前の妻──」


 千景がそう唱えた直後。

 フロアにいた霊は、ふっとその姿を消したのだった。

 



  

 

「はい、終了」


 コキコキと首を鳴らす千景に疲れはない。

 多少の呪力の消費はあれど、それも本人にとっては瑣末なものだ。

 

「ありがとう。お疲れ様」


 なぜか割り増しで笑顔が眩しい久瀬から労りの言葉を受け取る。

 これにて依頼は完了だ。


「依頼料はまた口座に振り込んでおくね」


「ありがとうございます」


「君たちはもう帰るのかな?」


「そうですね。ぶらっとしてから適当に帰ります。久瀬さんはしばらくこっちにいるんでしたっけ?」


「そう。こっちでの仕事がいくつか重なっているからね」


 この後も取引先との商談があると言っていた。経営者の立場である久瀬は何かと忙しいようだ。


「じゃあ、私はこれで。もう少しは東京にいると思うんで、何かあれば連絡ください」


「うん。いろいろありがとう。気をつけてね」


 ひらひら手を振る久瀬に見送られ。

 ものの数分の滞在となった三十八階を後にした。




 揺れもないエレベーターは静かに下降する。


 千景は壁に背を預け、パネルに表示される数字をなんとなく眺めていた。

 階数が多いだけあって下に着くまでにはまだ結構時間がかかりそうだ。


「どうすっかなぁ……」


 口からは迷いの念が漏れ出るが、すでに千景の答えは決まっていた。


「銀」


《任せときぃ》



 直後、肩に乗る銀からビル全体の霊の気配が流れ込んできた。


 普段は自分で得るものだけでも処理する情報が多いため、銀が感知したものと合わせることはしない。

 だが、こういう一気に全てを片付けたい場合には、千景には少々負担だが、こうして銀の感知能力を借りたほうが手っ取り早いのだ。


「朱殷」


《ああ》



 呼びかけに呼応し、ぶわりと朱殷から禍々しい霊力が溢れ出た。


 それもほんの一瞬のこと。

 これ以上は近くに術師がいた場合に感じ取られてしまいそうなのでやめておく。


 それでもこのわずかな霊力だけで、人間より何倍も感知に優れた霊は朱殷の存在を感じ取ってくれることだろう。


 怨念に満ちた朱殷の霊力は何かと使える。

 そこらの霊を牽制するにはちょうどいい。



「───死霊を切りて放てよ梓弓、引き取り給え経の文字」





 チン。


 タイミングよくエレベーターが一階に着いた。

 さっきも通ったエントランスはなんら変わりない。


 ただ。


 ちらほらといた霊だけが綺麗さっぱり消えているというだけで。

 それはエントランスに限らず、この建物全体から。


「ま、久瀬さんのためだしね。たまにはボランティアも悪くないか」


 ふっ、と笑う千景は実に満足げだ。


 なぜこのビルにああも大量に霊がいたのかなんて知らない。

 なぜ彼らは成仏せずに死霊となっていたのかなんて興味はない。


 千景はただ、思うがままに祓うだけなのだから。




「あー、お腹すいた」


 まずはご飯だな、と、二人が待っているであろう街路樹近くのベンチに行ってみたのだが。


 やはりこういうときでさえも千景は天に嫌われているらしい。

 次から次へと問題が舞い込んでくる。


「……いやいや、あいつらどこ行った?」


 別れる前、確かに彼らはここにいたはずだ。

 なのに付近を見回してもその姿はどこにもない。


 暇を持て余してどこかの店に入っただけかもしれないが、それは違うと千景の直感が言う。


 何か問題が起きた予感しかしない。


 さて、どうしたものかと、しばし頭をひねっていた千景だったが。



「よ、オジョーサン。久しぶり」


「あれ、お前…」


 不意に感じた気配に後ろを振り向けば、そこにはどこかで見覚えのある男が立っていた。




 ◇ ◇ ◇



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