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怨みつらみの愉快日録  作者: 夏風邪
第三章
92/103

90 . 片鱗



 

 多くの人間は寝静まり、人ならざる者たちが活発に動き出す深夜。



 ───…ガタッ。



 階下から聞こえた物音で、煉弥の意識は浮上した。


 畳に敷いた布団から上体を起こす。

 闇に寄り添う青玉はゆっくりと室内を見回した。


 煉弥が此処に住み始めて三ヶ月と少し。

 家主である千景から借りた部屋は三階にある客室。純和風の和室だ。

 幼少より日本家屋で過ごしてきた煉弥にとっては畳と襖の空間はなんとも心地の良いものだった。


 手ぶらで実家を出たために、室内はほとんどやって来た当初のままだ。

 それでもすっかり慣れ親しみ私物化した部屋は、淡白な男の分かりにくい人間味を表していた。


(……誰かいるのか?)


 一度気になってしまえば確かめるほかはない。


 この家にいる人間は彼と家主の二人だけ。

 時折金縷梅堂にやってくる家主の顔馴染みは複数人いるが、自宅に上がることはない。


 例外として結構な頻度でやってくる金髪の青年はどの階にも自由に出入りしているが、それでもこんな夜更けに来ることはない。


 この家は霊に対しては並みの要塞では比べものにならない程にそれらの侵入を阻んでいるが、生身の人間を想定した場合は常識レベルだ。


 ただ家主が起きているだけかもしれないが、万が一ということも考えられる。

 ひとまず羽織を肩に掛けた煉弥は階下へ降りることにした。


 この季節、この辺りでは夜になると気温も下がる。

 寒いとまではいかないまでも、昼間に比べればひんやりと涼しくなる。

 東京育ちの煉弥にとってはこの季節にこの気温と湿度は過ごしやすいと感じていた。



 階下に明かりはなかった。

 小さく開いたリビングの扉から漏れる光はない。


 夜目が利く煉弥はこれまで培ってきた経験を存分に活かして気配を消し、音も立てぬまま扉を開けた。


 月明かりに照らされたリビングは薄暗い。

 荒らされた様子はなく、見知らぬ霊がいる気配もない。


 ただひとつ。

 ソファの影に人影があるだけだった。


「……っ、…はっ……」


 喉の奥から絞り出されたような苦しげな声。

 それを聞いて、訝しむ前に煉弥はその影に駆け寄った。


「おい、大丈夫か」

 

 床に倒れていたのが千景だということはすぐに気付いた。


 頭を抱えて蹲り、苦しそうに浅い呼吸を繰り返す。

 うまく酸素を取り込めていないのか、短く吐き出した息は過呼吸気味だ。


「…ぅ…、…はぁ…っ…」


 その姿は普段見慣れている余裕そうな姿からはかけ離れていてさすがに驚く。


 煉弥は千景の体に手を回して抱き起こし、顔を覗き込んだ。


 ぐっと眉間に皺を寄せ、いつも楽しげに笑みを浮かべている双眸も今は悩ましげに歪んでいた。

 薄い長袖シャツ一枚の格好にもかかわらず、千景の顳顬からはたらりと一筋の汗が流れる。


 眼は開いているが焦点が定まっていない。

 おそらく意識が朦朧としている。


 軽く肩を揺すり、目に掛かる髪をさらりとはらった。


「おい千景。しっかりしろ」


「……っ…、…れ…ん……?」


「ああ。とりあえずゆっくり呼吸しろ」


「……は、……はぁ…」


 とんとん、と一定のリズムで背中を叩く。


 しばらくは呼吸が乱れていたが、やがて落ち着きを取り戻していく。

 そのタイミングで千景をソファに寝かせた。


 煉弥もその傍らに座り、一呼吸おく。


 そこでようやく気付いた。

 いつも千景と共にいる二匹はやはり今もその側にいることに。


 それに今まで気づかなかったということは、煉弥も思っていた以上にこの状況に動揺していたのかもしれない。


 朱殷はだらりと下ろした千景の片腕に半身を絡ませる。

 銀はソファの背に座っている。

 動物姿の彼らからは表情は読み取れない。しかしどちらも心配そうに千景の様子を窺っていた。


 千景の呼吸がだいぶ整ってきた。

 その体を苛む苦痛は幾分か和らいだようだ。


「…………煉…」


「ああ」


 いつになく弱々しい声音。

 あれほど苦しんでいたのだ。気力も体力も相当すり減らされているのだろう。


「……机の上の呪符…とって……」


 煉弥はローテーブルの上に無造作に置かれた呪符を手に取る。


「…目元覆って、呪力流して……」


 言われるがまま千景の目元に呪符を乗せ、その上から手で覆って呪力を流す。


 これにどういった意味があるのか。

 説明せずともだいたいを悟ってすぐに行動に移してくれる煉弥に、千景は満足げに笑った。




 ───チク、タク。



 時計が時を刻む音だけが小さく響く。

 しばらくはそうしたまま、どちらも口を開かない。


 千景からはもう苦しそうな息遣いは聞こえない。

 何度か大きく深呼吸をして、正常なリズムを繰り返している。


「……ねえ」


 おもむろに千景が口を開いた。


「……聞きたい?」


 自分からそう言っておきながら、その言葉には微かな擯斥も含まれていた。


 煉弥にこんな場面を見られてそのうえ手まで借りているのだから、事情を、現状を、言わなければならない。教えなければならない。

 その反面、誰にも知られたくはないという、ある意味秘密主義の上位互換的性格を有する千景らしい言い方だ。


「別に。お前の好きにしたらいい」


 こんな時でも変わらない淡々とした口調。

 いつも通りすぎる煉弥に、千景は、ふ、と小さく息をこぼした。


「………半年から年一回くらいのペースかな……定期的にさ、体調崩すんだよ。症状は頭痛、咳、目眩、吐き気、呼吸障害。他にもいろいろあるし、その時によってまちまちだけど。今回はとくに頭痛が酷かったかな…」


「病院は」


「そういうのじゃないんだ。原因もわかってるし」


 そういうのじゃない。


 つまり、医者に診せて薬を処方されて良くなるような類の体調不良ではなく、もっと別の理由からくる体調不良。


 今、煉弥が流し続けている呪力の媒介となっている呪符。

 ちらりと見ただけだったが、それはこれまで見たこともないような絵柄のものだった。


 煉弥は持ち得る知識と照らし合わせて様々な考察をしてみたが、呪いに特化したものでも、身を守るためのものでもないように思えた。


 それでも、これに呪力を与えることで千景の容態は安定してきた。

 治癒系統の呪符ともまた違うのだろうけれど、現状において、最も効果的な治療法のようだ。


「呪術関係の障碍か」


「……まあ、そんなかんじ。周期的にはまだなんだけど、呪力がなくなってたからいろいろ狂っただろうし。たぶん、一気に呪力が戻ったから、その反動できた…」


「これで落ち着くのか」


「…たぶん……いつもは数時間で治るから」


「この呪符は」


「私が作ったやつ。これ用に配合に配合を重ねたから効果はあるんだけど、この状態じゃうまく呪力扱えないからさ。霊体の朱殷と銀も適応外だし。誰かにやってもらうしかなくて……」


「いつもはどうしてた」


「知り合いに頼んでた。けど、今こっちにいなくて……ほんと、お前がいてくれて助かったわー…」


 本人は呑気に笑っているが、もしもこの場に煉弥がいなければ。

 襲い来る痛みと苦しみに、ひたすら耐えていたのだろう。


 そして誰にも気づかせることなく、弱音も苦しみも全て笑みの裏に仕舞い込んで、朝になればケロリとした顔でいつも通りを振る舞う。


 その根底にあるのは、確かな決意と覚悟。



 煉弥自身、その半生を振り返れば、到底並の人間には推し量れないほどの濃密な時間を生きてきた。

 それは術師として大きな力を持って生まれてきた者の(しがらみ)であり、宿命。


 そしておそらく、千景もまた。

 その身を数奇な運命に捧げてきたのかもしれない。

 

 悪戯に与えられた天命と重責は、ずしりと重く、その身体にのし掛かる。

 比べるようなものではないかもしれないが、その重さを、厄介さを、煉弥は知っている。


 千景が何か大きな事情を背負っていることは煉弥も薄々気づいていた。

 しかし、それに安易に触れてはならない。容易く暴いてはならない。


 へらりとした掴みどころのない顔の裏の、その片鱗に、少しでも気づいてしまったのなら。


 それは、千景の覚悟を踏み躙るに等しい愚行で───。



「ねえ、煉。いま何考えてた?」


「……何も」


「ふふ、あっそ。……あ、そういえば、なんだかんだ私の名前呼んでくれたの初めて?」


「さあな」


 意味深に笑う千景はもうすっかりいつも通りだ。憎らしいほどに。


 目元を覆っているから煉弥の表情は見えていない。

 そもそも表情に出るほど感情の起伏はないというのに。


「……大人しく寝てろ」


「はぁい」


 少し黙ってろという意を込めて、煉弥はぐっと手に力を加え、ささやかに流す呪力量を増やしたのだった。

 

 

 

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