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怨みつらみの愉快日録  作者: 夏風邪
第三章
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87 . 雨と傘とお嬢様






『──…今日は局地的に激しい雨が降る模様です。晴れているからと油断せず、外出の際は雨具を持って出かけましょう。それではみなさん、今日も一日、いってらっしゃい!』




 今朝、適当に流していた情報番組にて。

 眩しい笑顔で手を振るお天気お姉さんがそういえばそんなアドバイスをしていたのを思い出した。



 地面に打ち付ける大粒の雨はあっという間に全身を濡らす。

 上着のフードは被っているが頬を伝う雫が鬱陶しい。

 水分を含んだ服が重くて動きづらい。


 ああ、こんなことなら、お天気お姉さんの言うことを聞いておけばよかった。



 今さら水が跳ねることなんて気にもせず、千景はバシャバシャと水溜りの上を走って近くのバス停の屋根下に駆け込んだ。


 すでに手遅れな服の雫を気休め程度にパッパッとはらう。

 余計に染み込んだだけだったが。


「……はぁ…参ったね…」


 九月の後半ともなると冷たい雨に濡れればさすがに体が冷える。

 ぶるりと体を震わせる千景に、思ってもみない方向から声がかけられた。


「あら、大丈夫? 随分派手に濡れてしまったようね」


「……おあ?」


 どうやらバス停には先客がいたようだ。

 目深に被っていたフードを上げれば、そこにはにこりと笑う女性がいた。


 いかにも上質そうなワンピースとゆるく巻いた髪がふわりと揺れる。

 周囲は次から次へと雨に打たれているというのに、彼女の周りだけ雨の気配がまるでない。

 全身適度に濡れた千景とはまるで正反対だった。



 千景の頭に柔らかな感触が触れる。

 石鹸のような薔薇のような、ほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐった。


「よかったらお使いになって。そのままでは風邪をひいてしまうわ」


「あ、どーも」


 彼女の厚意をありがたく受け取り、手触りの良いタオルで遠慮なく髪の水滴を拭う。

 ふと、彼女から視線を感じた。


「……貴女、面白いものを連れているのね」


 あ、視えてたんだ。

 気づけば思ったことがそのまま口をついていた。



 今日も今日とて千景の首元には朱殷がいる。

 銀は色々とやることがあると今朝方出掛けて行ったため今は不在だ。


「その子、霊体よね?」


 朱殷の姿が見えているらしい彼女は、まじまじと朱殷を視る。

 上品な風貌からして勝手に虫類や爬虫類が苦手そうな印象を持っていたが、そういうわけでもないらしい。


「へえ、わかるんだ」


「生きた動物と霊体の見分けくらいつくわ。それを連れているということは、貴女も同業者かしら?」


 霊体。

 同業者。


 この場合、霊媒師や占い師という可能性も考えられなくはないが、ここまではっきりと霊を認識している彼女が言う”同業者”とは。

 霊が視えることで成り立っている職業。

 それはもう、ひとつしか思い浮かばなかった。


「…あー……もしかしてあんた、術師?」


「そんな嫌そうな顔をなさらないで。術師はお嫌いかしら?」


「時と場合によるね」


「ふふ、何よそれ」


 願わくば術師会の人間ではないことを。

 千景が住んでいる地域で、しかもずぶ濡れの状態で術師会に遭遇なんて御免だ。


「何を懸念しているのかは知らないけれど、安心なさって。私の場合は単なるお小遣い稼ぎ。片手間にそういうことをしているだけよ。術師とも呼べないわ」


「お小遣い稼げてる時点で十分術師じゃん」


「ふふ、それもそうね」


 先に『術師』という言葉を出した千景は自らも術師だと認めているようなものだが、これで彼女も術師であるという言質は取れた。


 彼女の言葉をそのまま信じるのであれば、どうやら術師を生業としているわけではなさそうだ。

 おのずと本職の集まりである術師会の人間ではないこともわかる。


「それで、貴女も術師ってことでいいのかしら?」


「…あー……うん…まあ……そんな感じ?」


「なんで疑問系なのよ」


「…なんとなく?」


「そう。変な人ね」


 なんとなく一般人ではなさそうな口調や容姿から大人びた印象を受けていたが、柔らかく笑った顔は少女のような雰囲気も残す。

 案外千景とは歳が近いのかもしれない。



 術師といえど皆が皆、術師会の存在を知り、呪術に詳しいわけではない。

 なんとなく感覚で呪術を使っているアマチュアもいるくらいだ。

 安易に深掘りして、わざわざこちらから術師会の名を出す必要もない。


 と、思っていたのだが。


「ところで、貴女は術師会の人間かしら?」


 まさか向こうからそのワードに触れてくるとは。


 心外すぎる結びつけに思わず眉根が寄った。

 そのわかりやすい否定に、彼女は安堵したように息を吐く。


「そう。良かったわ」


「よかった?」


「私、術師会という組織が心底嫌いですの」


「……おやま」


 口調は丁寧なまま。

 表情もにこりと柔らかいまま。

 なのに、声だけが忌々しげに言葉を紡ぐ。


(…ああ、これ……結構なやつだ…)


 千景が言えたことではないが彼女もまた、相当に術師会を嫌っている。

 それが十分すぎるほどに伝わってきた。


「…ふ、…くく…」


 そんな中で込み上げる笑いは、まさしく今の千景を正しく表している。


「あら、そんなに笑われるとは思わなかったわ」


「…いや、…ふふ…ごめん……いったい何されたらそんなに嫌悪が先立つのかなって思ってね」


「特に何かをされた記憶はないけれど……そうね。強いて言うなら、何もかも。とにかくすべてが気に食わないわ」


「ふふ、あははっ…」


 今まで千景の周りには心底術師会を嫌う人間があまりいなかった。

 というか術師を避け続けて生きてきたために、術師会への想いを共有できる人が少なすぎたのだ。


 もちろん紫門を筆頭に叶堂一門には術師会を嫌う人間が多い。

 だが、千景が知っている術師会反対派はそんな彼らと、あとはほんの一握りの術師の知り合いだけだ。

 煉弥も同じように術師会を嫌っているが、あれは所属している人間だからこその反抗と嫌悪と拒絶だ。


 だからこうして術師会未所属の術師で、面白いくらいに毛嫌いする人間に会うのは久々だった。


「うん。いいね。けっこう気が合いそうだ」


「あら、貴女もなの? それは嬉しいわ」


 柔らかく笑う彼女はなんとも楽しげだ。 

 きっと自分も同じような顔をしているのだろうと思いながら、千景もへらりと笑みを浮かべた。



 テレビでしか見たことがない金持ち御用達の車が目の前に止まったのは、それからまもなくのことだった。

 雨が降るなか、運転席から降りてきた燕尾服の男は恭しく一礼する。


「大変遅くなってしまい申し訳ございません。お迎えにあがりました」


「構わないわ」


 ドアまでの間、傘をさしてエスコートする男。

 あれはいわゆる執事というやつだろうか。

 およそ一般人ではないとは思っていたが、やはり彼女は結構な上流階級の人間だったらしい。


 まるでドラマでも見ているかのように、非日常の光景を千景はただぼーと眺めていた。

 すると突然、彼女はくるりと振り返った。


「………貴女、私が術師だと訊いて曖昧にしか答えていなかったのって……もしかして、呪力がなかったから……ではなくって?」


「え、すごいね。なんでわかったの?」


 まさにその通り。

 長い目で見れば千景は術師であることに変わりない。


 だが、現時点では術師とは言えない。

 初対面の人間にそんな事情まで律儀に考慮する必要はないのだが、なんとなく断言もしづらかった。

 だからさっきは曖昧に濁しておいたのだが。


「私、人の呪力や霊力に敏感な体質なの」


「わあ、重宝されそう」


「だから、わかるのよ。───貴女、呪力戻ったみたいよ」


「……………へ?」


 青天の霹靂。

 思ってもみなかった事実の発覚。

 

「…………まじで?」


 意味もなく手のひらを見つめ、握っては開いてを繰り返す。

 もうしばらくは呪力は戻らないものだと思っていただけに、最近ではそのチェックも疎かにしていた。


 身の内を探れば確かに存在するソレ。

 もはや懐かしいとも思える感覚だ。


「案外自分ではわからないものなのね」


「うん、まあ…」


 いくら気にしていなかったとはいえ、千景が己の変化に長らく気づかないなてことはあり得ない。

 ということは、彼女の言い方からも察するに、どうやら呪力が戻ったのはたった今のことのようだ。


「貴女の事情はわからないけれどとりあえずよかったわね。ああ、それと、そのタオルは差し上げるわ。風邪をひかないよう気をつけなさい」


 そう言ってこちらに近づいてきた彼女は持っていた傘を千景に握らせた。


「私、市松(いちまつ)真耶(まや)と申しますの。貴女には名前を覚えておいて欲しいから教えるわ」


「…え、ああ……あー…私は、」


 その先を遮るように、彼女の指が千景の唇をかすめた。


「同じ術師だもの。事情がありそうな貴女は無理に名乗らなくていいわ」


「……そりゃどーも」


「またどこかで会いましょう。御機嫌よう」


 最後にふわりとつくった彼女の笑みは、ドラマのワンシーンのように洗練されていた。



 

 どこか呆然としたまま、千景は颯爽と走り去る車を見つめる。


(……まや…市松真耶……覚えとこ……)


 それから数秒間を置いて、ハッと我に返った。


「……えっ、まじで戻ったの?」


 己の体から呪力は感じる。

 けれどもしばらくご無沙汰だったからか、どうしても半信半疑になる。


 試しにと通りかかった死霊を成仏させるべく呪文を唱える。


 するとどうだろう。

 死霊の体は次第に半透明になり、その魂は天に召されていくではないか。


 パッと勢いよく首を捻る。

 すぐさま真紅の双眸と目があった。


「……まじだった…」


 

 『なんとなく不便な一般人生活』は、こうして唐突に終わりを迎えたのだった…──。






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