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怨みつらみの愉快日録  作者: 夏風邪
第二章
87/103

86 . 罅




 ◇ ◇ ◇




 とある日曜日。


 いつものサボりとは違い、日本中すべてが休みを推奨されている日。

 それに合わせて金縷梅堂(まんさくどう)も休みにしている。だから今日は正真正銘朝から晩まで休日だ。


 ということで千景は朝から書斎に籠り、分厚い呪術専門書を読み漁っていた。



 四方形の書斎。

 その二面には床から天井までの大きな本棚が取り付けられ、その中にはぎっしりと書物が収められている。

 活字ばかりの本もあれば絵図だけの本もあったり。

 バラエティに富んだそれらは、そのほとんどが呪術に関連した専門書だ。


 千景も幼少期から読んでいるためすでに頭に入っている内容も多いが、さすがに忘れたものもある。

 だからこうして時々読み返しては知識の定着を図っているのだ。



 術師はどんな呪術を扱えるかも大事な論点だが、呪術知識がどれだけ蓄えられているかによっても使える術師と使えない術師に分別できる。


 例えばなにか問題に直面したとき。

 知識さえ豊富であればその場での選択肢が増え、適切な行動が取れるようになる。

 例えば未知の出来事に遭遇したとき。

 持ち得る豊富な知識から物事を読み解き、確実性の高い推測をすることができる。


 呪術業界は実力主義だとよく言われるが、知識も立派な実力だ。

 実技ばかりを磨いて蓄積をおろそかにするような術師にそれ以上は望めない。


 けれども知識ばかりに重点を置くのも愚の骨頂。

 基本的に術師とは、精度の高い呪術を使えて初めて評価される職業なのだから。

 



「うわ、懐かしー…これ小学生のときに読んでまったく理解できなかったやつだ……」


 パラパラとめくってみると、呪文の羅列と呪符の模様図が隔ページで記載された実用書だった。


 今でこそ呪文と呪符の系統からこれが陰陽道系の呪術書であることは容易に理解できるが、当時小学生だった自分に、これらの難しい漢字や熟語が理解できなかったのも頷ける。


 時々メモを取りながらただひたすら本に目を通していく。

 

 朱殷は千景の手元を覗き込みながら同じく呪術書を読み漁り、銀は窓辺で気持ちよさそうに日向ぼっこ中だ。



 どれほど時間が過ぎただろう。

 それぞれが思い思いに時間を過ごすなか、静寂を破るように電子音が響いた。


 読書に耽っていた千景の意識は急激に浮上する。


 一瞬で現実世界に引き戻された感覚で、自分がかなりの集中力を発揮していたことがわかる。


「………あー、携帯。…どこ……」


 鳴り続ける電子音は明らかに通話を所望だ。

 

 いつの間にかそこら中に散乱していた書物類をどかしながら、どこかに埋まっているであろう携帯を探す。

 眼精疲労を訴えるしょぼしょぼした目と集中力の切れた頭ではなかなか見つけられない。


 朱殷は呆れたように書物の山に潜り込む。

 数秒も経たぬうちに、携帯を持って出てきた。


「さんきゅ」


 携帯の画面に表示された名前。

 たった数ヶ月会っていないだけなのになんだか無性に懐かしさがこみ上げてきた。

 

 そういえば今朝画面を開いたときに同じ人物からの着信履歴があった。

 出れなかったのは申し訳なく思うが、履歴の時間が『3:18』であったことから自分は悪くないと思う。


 

 緑の受話器アイコンをタップする。


「もしもーし」


『あ、やっと出た。忙しかった?』


「んーん大丈夫。電話折り返さなくて悪かったね」


『ああ、それはいいよ。こっちが日中だったから僕もうっかりしてたし』


「……あ、そう」


 久しぶりに聴いたその声に、懐かしさよりも先にしっくり感がきた。

 そして、お前ほんとどこにいるんだよ、という呟きは寸前で呑み込んだ。


 こっちがまだ日の出前だった時間に、向こうは日中だったという。

 つまりは時差が発生しているということで。

 とりあえず通話相手が日本付近にいないことだけはわかった。


『それはそうと、この前送ったのちゃんと届いた?』


「届いたよ。てっきりお前が来んのかと思ってたんだけど」


『僕も帰ろうと思ってたんだけどね。なんかいろいろあって……結局帰国は見送ったんだ』


「いろいろねぇ」


『あれ、聞かないんだ』


「お前の行動理由をいちいち気に留めてたらきりないんでね。菊籬(きくり)と違ってこっちは忙しいんだよ」


『結構な言い方じゃん』


 クスクスと笑う声が電話口から聞こえてくる。

 奇怪な人間に笑われるのはなんだか複雑だが、今さらそれを気にする気にもなれない。


 話題に上がった通話相手からの貰いものを思い出し、手首に巻かれたブレスレットに触れる。


「もしまた行くんだったらマカダミアナッツチョコ買ってきてよ」


『気に入ったんだ。千景甘いの好きだもんね。他の感想は?』


「魔除けとか私に必要ないって知ってて買っただろ。まあ、あの時は実際そんなのよりもお前が来てくれてた方が何十倍もありがたかったけど」


『あれ珍しい。なんかあった?』


 千景の口ぶりからこちらが呪術関連の問題を抱えていると悟ったらしい通話相手。

 これまで呪術において、あまり人を頼ってこなかった千景を知っているだけに、今の発言は物珍しく聞こえたらしい。


「……まあね。でももう解決したから大丈夫」


『ふーん。僕は基本的にお前の言う”大丈夫”はあんま信じてないけど』


「えっ、待ってなんの暴露?」


『声を聞く限りだと本当に大丈夫そうだね』


「だからそう言ってんじゃん」


 通話相手の聞き捨てならない本心が聞こえた気がするが、問い返したところで意味はない。

 向こうに答える気がないとわかった以上、無駄な時間を重ねる気はなかった。



 しゃらりと揺れるブレスレットを光に翳す。

 ターコイズの間にはめられた水晶だけがキラキラと光を反射する。


(……ほんと、なんのために買ったんだか…)


 なにを隠そう、電話口の相手もまた術師だ。

 意味がありそうでまったくないこんな石っころ、ただの一般人相手ならまだしも、術師が術師にあげるにしては些か意味不明が過ぎる。


 ただ、相手の人間性から考えるにただのジョーク、目について面白そうだったから買っただけ、という可能性がまったく否定できない。

 それをわかっていながら身につけてしまう自分もなんなんだろうと思う。


「……んで、用件は」


『用がないと僕は電話かけちゃダメなの?』


「いつから子犬系男子になったんだよ。ペットは間に合ってますー」


『一匹くらい増えても変わんないでしょ。そのうち帰るよ。千景も僕がいなくて寂しいだろうし』

 

「人を勝手に健気な乙女扱いしないでくんない?」


『ああ、確かに。お前ほど乙女って言葉が似合わないコもそういないからね』


 ふふ、と笑う至極愉快げな声のせいで、相変わらず本心と言葉遊びの境界が曖昧だ。


 電話の向こうでは、きっと猫のように双眸を細めて笑っている。

 墨をこぼした漆黒の中に、しろがねの穂先で気まぐれに染筆したような髪を揺らして。くすくすと綺麗に笑っているのだろう。


『千景』


「んー」


『無理、してないよな?』

 

 ああ、これが本題か、と。

 いろいろ前置きを並べてはいたが、きっとこれを訊きたくて電話してきたのだろう。


 ここ数年、この時期になると決まって問われる一言。

 対面でも電話でもなんでも、必ず声で確認してくるその一言。


 千景は堪らず苦笑した。


「菊籬に無理を隠し通せた試しがないんだけど?」


『どうだか。お前はムカつくほど隠すのが上手いから』


「うん、ありがとう。大丈夫だよ」


『そ。じゃあ僕そろそろお眠の時間だから』


「あーはいはい、おやすみ。そっちが何時かは知らないけどね」


『ん』


 互いになんの引き留めもなくプツリと切れた通話。

 決して言葉数多くは尋ねず、けれども確かに千景の中に残していく声の響き。



(…無理、か……)



 手足も携帯も投げ出して床に寝転がる。

 見上げた天井はいつもと何も変わらない。


 千景の機微に鋭すぎる通話相手の顔を思い浮かべて、再び苦笑が漏れた。

 

 自分の精神状態にヒビが入っている。

 そのことに、電話を受けてやっと気づいた。


 

 ゆっくり息を吸って、ゆっくり吐き出す。

 ひび割れた箇所がこれ以上広がらないように、ゆっくりゆっくり補修していく。



 ──コンコン。


 不意にノックされた書斎の扉は返事も聞かずに開かれた。

 反転した視界のまま見上げた先、漆黒の美丈夫が逆さに映る。


 千景を見るや否や、形のいい眉が少しだけ寄ったような気がした。


(ああ、ここにもいた……鋭いやつ……)


 今日も今日とて冷たい青玉は美しい。

 その瞳には一体何が映っていることやら。


「飯」


「食べる」


 ぴょんっと跳ね起きた千景は散乱した書物を軽く片付けて、いい匂いが漂うリビングに降りた。



 こうして今日も、一日は過ぎていく───。

 


 



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