85 . 悪霊狩り〈十四〉
一斉に集まった視線には見向きもしない煉弥。
今の利己主義者たる千景の発言を聞いていただろうに、やはりこれといった感情は見られない。
殺伐とした空気になってもおかしくないこの状況で。
全くもって通常運転の煉弥はまっすぐ千景のところに向かい、一万円札10枚を手渡した。
こちらも通常運転すぎる千景はお札を指に挟んで枚数を数える。
最後にパチンと弾き、満足げに懐にしまいこんだ。
「ああそうだ。お前、このままじゃ殺されちゃうってさ」
「知ってる」
「ふーん。ならいいや」
「なに余裕かましてんのか知らねえが。たぶんお前も巻き添えを食うぞ」
「えっ、まじ?」
思いがけないとばっちり被害の宣告を受けた千景は大げさに目を丸くした。
もしも煉弥が本当に術師会を抜ける場合。
どんな情報を共有しているかわからない千景に対しても術師会は口封じの手を下すことになる。
「……わかってて首突っ込んだんだろうが」
「8:2くらいでお前に非があるよね? 無力な私のこと守ってくれるよね?」
「……………」
「そこは『命に代えても俺が守るぜ』とかなんとか歯が浮くようなキザったらしいセリフでも言って欲しかったね。まったく似合わないけど」
「うるせえ」
まさに危害を加えようとする側の筆頭を前にしてするような会話ではない。
さすが術師会に長く身を置いているだけあって、煉弥は自分たちの置かれた状況と今後の展開を正しく理解していた。
身勝手な脱退者に対する術師会のやり口は今までに何度も見てきた。実際に煉弥が手を下すこともあったのだからそれも当然だ。
報酬も手に入れ、さっさと帰ろうとする二人を巽は引き止めた。
「どこに行くつもりだ」
「…………」
「これ以上、お前の身勝手を許すわけがないだろう」
「……戻るつもりはねえよ」
「それを俺が許すとでも思っているのか?」
「さあな」
きっとこれ以上続けても煉弥の意思が変わることはない。
無意味な押し問答を繰り返すだけだということは巽もわかっていた。
だからこそ、千景という手札を手に入れておきたかったのだが。
どうやらこちらに関しても交渉は時間の無駄になりそうだった。
「お前もわかっているようだが、お前の身勝手が続けばそこの女にも危険が及ぶことになる。二人まとめて手を下したって俺は構わないがな」
だから、千景に人質としての効果を期待した。
これによりもしも煉弥が行動を躊躇するようなら、手に入れずとも千景は十分に使える手駒となる。
関係ないと切り捨てられるようならそれまでの価値しかなかったということだ。
術師ではないという千景を、巽はどこまでも煉弥に対する利用価値の有無でしか見ていなかった。
「こんなところに連れてくるくらいだ。どれ程使える女かと思ったが……どうやら術師ですらないらしいな」
「………」
「お前より先にその女を消せば、お前も少しは従順になるのか?」
暗に、千景を消されたくなければ命令を従え、という巽からの脅迫。
煉弥はちらりと千景を見た。その真意はわからない。
千景もただ笑みを返す。
誰もが知っている煉弥であれば間髪入れずに「好きにしろ」と切り捨てる。
それがない時点で、やはりいま目の前にいる煉弥は彼らの知る煉弥とは違っていた。
「こいつのことは好きにしろ」
「えぇー…」
「ただ、」
ぶつくさと不満を垂れる千景の腕を引いて、無用はないとばかりに煉弥は背を向けた。
最後に見せた青玉の瞳は相変わらず冷たい。
けれども微かな温度も混ざっていた。
「───そう容易く手を出せると思うなよ」
言うが早いか。
思ってもみなかった発言に一瞬呆然とする彼らを残して煉弥は場を後にした。
ただひとり、すぐ近くで煉弥の宣戦布告を聞いていた千景は、心底楽しげに肩を震わせていた。
残された彼らは遠ざかる二人の背中をただ見つめる。
煉弥から放たれた言葉を反芻し、目に焼き付いた表情を思い返して、更に驚きを深めていく。
最後に煉弥が見せた表情が忘れられない。
常に凪ぐ凍てついた青玉は挑発的に自分たちを映し。
クッと持ち上げられた口角はどこまでも綺麗に弧を描く。
目つきも、表情も、言葉に乗せられた声の一音一音に至るまで。
すべてに嗤笑が宿る。
同じだと思った。
ニコニコしながらもふとした拍子に見せた寒気がするような千景の表情と。
どちらがどちらにどういう影響を与えているのか。
ただ直感的に、引き合わせてはいけない邂逅だったのではないかと思わせた。
「上層部連中の面子も見れたし、お金も手に入ったし。結構楽しかったね」
「俺は自分のことを棚に上げたどこぞの利己主義者の発言のほうが見ものだったがな」
「……うっ」
「自分で蒔いた種は自分でなんとかしろ、だったか?」
「…ハハ、もう面白いくらいにブーメランだよね」
まさに今、呪術を使えない千景の現状こそが『自分で蒔いた種』でしかない。
しかも自分でやらかしたことにすでに煉弥を巻き込んでいる。
自分でなんとかしろだとか対価がどうだとか、半分本心半分その場のノリで選んだ言葉の数々は、ものの見事に自分に返ってくる。
術師会に関して煉弥が種を蒔いていることは事実だ。
だがその分、千景も人のことを言えないくらいには大きな種をそこら中に落としている。
自分でなんとかしろなどとどの口が言うのか。
まずは自らの行いを省みろという話だ。
「まあ、どっちもどっちでしょ。ていうかパパにあんなに啖呵切っちゃってよかったの?」
「問題ない。もともとああするつもりだった」
「ふーん」
「お前のほうこそいいのか?」
「何が」
「随分とバッサリ断ってただろ。たぶん、いろんな奴に目を付けられてるぞ」
「別にいいよ。刺激のない人生なんてつまんないじゃん」
良好な関係でも敵対関係でも、どんな形にせよ術師会には関わると決めていた。
千景本人と、それから煉弥もいることで、きっと今後は術師会に関わる機会は格段に増えるだろう。
今日はまだ一部の術師としか会っていないが、いずれは”あの家”とも接触することになる。
その時が来たら、自分は何を考えて、どういう選択をするのだろうか。
この世に生まれ落ちた時から決まっている自分の運命。
決して変えることのできない大きな呪縛。
抗って、受け入れて、共存して。
寄り道は許されど必ず決まった結末に辿り着くレールの上を、ただひたすらに走り続けるしかない人生。
ならばその先の結末を、無理やりにでも捻じ曲げてみようと。
そのために、今も千景は生きている。
(───…まだ、見つからない)
ほんの一瞬、伏せた瞼の隙間から揺れる双眸が覗く。
ゆらりゆらりと波打つ水面のように
持ち主の心情をそっくりそのまま写し出す。
本人に気づかれない程度に、煉弥はちらりと千景を見た。
時折、何気ない拍子に見せるその表情。
おそらく無自覚の憂いた顔。
普段ニコニコと愉快げに笑っている印象が強いだけに、目元に影を落とした横顔はひどく儚げに見えた。
ひとつ瞬きを挟めば、次の瞬間にはもういつも通りに戻っていた。
風に吹かれて気持ちよさそうに細められる双眸に、もう先ほどまでの揺れはない。
それを見てから、煉弥はそっと視線を外した。
「あー、さすがにお腹すいたね。なんか食べに行こっか」
「ああ」
「そのあとは観光だなー」
「俺は地元だが」
「いいじゃん。お前も付き合えよ」
「当たり前だ」
それぞれがそれぞれに、何かを腹の内に仕舞い込んでいる。
秘密と思惑が交錯すればやがては小さな渦となる。
呪術界に蔓延る小さな渦は衝突と融合を繰り返し、次第にその姿を変えていく。
誰にも手に負えない秘密を抱える千景がその渦に飲み込まれていくのはある意味必然で。
やがては渦中の中心となるのだが、それはもう少し先のこと───。
◇ ◇ ◇