84 . 悪霊狩り〈十三〉
ふよふよと視線を彷徨わせる千景。
その顔つきから前向きな意思が感じられないことだけは確かだ。
「逆に、何がそんなに不満なのでしょうか」
「不満ねえ……」
「私たちとしても、貴女がそこまで拒否する理由を教えていただけると助かります」
困り顔を見せる東雲は苦笑した。
これまでも術師会への所属を断る術師は複数いたが、例えば術師を本職とする気がなかったり、個人で自由にやっていたかったりなど、それぞれ明確な理由があった。
千景の場合はどちらの理由も当てはまりそうな気はする。
しかし完全拒否の姿勢からは、それ以上に、もっと深いところで別の理由があるように見えた。
その理由を知りたい。
もっと言葉を引き出して千景の核心を掴みたい。
そうすれば、何かしらの説得の余地を見出せるはずだ。
そういう思いから千景に訳を問うてみたのだが。
「理由っていうかさぁ」
しかし千景からの返答は想像の遥か遠くにあったもので。
これ以上の勧誘は無意味だと思い知らされるものだった。
「私、術師だなんて一言も言ってないよね?」
まさに核心を突く、その一言。
術師会所属云々だとか。
彼女がそのスタートラインにすら立っていない人間であるならば、術師会とも無縁の人間ということになる。
周囲が勝手に理想論を抱いていただけで、それを成り立たせるそもそもの前提が崩れる。
この場にいる時点で彼女は術師だと誰もが思い込んでいただけのことであって、確かにそうだという言質を取った覚えはない。
驚きと困惑が走るなか、ただひとり、千景に一切の呪力がないことを感じ取っていた西園寺だけが納得した面持ちで笑った。
先ほど千景は呪符で悪霊を祓っていたが、そもそも呪符というのは使用者本人の呪力に関わらず効力を発揮するものだ。
あれは煉弥が所有していたもの。煉弥が呪力を込めて作ったもの。千景はそれを悪霊に押し当てただけだ。
千景が呪術を使ったわけでもなければ、呪力を持っているという証明でもない。
真偽の不明な本人の言葉を鵜呑みにすることはできない。
しかしこの場には彼女が呪術を扱っている場面を見たことがある者もいない。
つまり、千景が術師であると証明できる人間は誰一人としていないのだ。
「………それは本当か?」
「ふふ、嘘ついてどうすんだよ」
「その割には悪霊にも呪術にも慣れているように見えたが」
「術師じゃなくても呪術に詳しい人はいるって知ってるよね? 呪術を扱うのは術師だけど、その知識は術師だけのものじゃないんだよ」
肩を竦める千景の言動に嘘偽りが含まれているようには見えない。
だが、彼女の言葉が全て真実だとも思えない。
しかしながら現状としてそれを確かめることは誰にもできないのだから、ここは引き下がるしかなかった。
「……では、一応確認しておきますが、霊力はお持ちだと考えてもよろしいのでしょうか?」
「あー、霊は視えてるから」
「そうでしたか……理由はわかりました。早合点してしまい申し訳ありません」
「別にいいよ」
本当に千景が術師でないとするならば、これ以上の勧誘は時間の無駄だ。
だが、そう簡単に引き下がるほど巽も余裕をかましてはいない。
偶然見つけた煉弥の抑止力になるやもしれない人間。
あれほど他人に無関心な煉弥が果たしこの先、彼女のような存在を他に作ることがあるのだろうか。
この機を逃して限りなく低い可能性をあてにするより、今目の前に転がっている好機を確実に掴んでおくことの方が得策ではないのか。
この際、術師かどうかなんて関係ない。
千景という存在が手中にあることに意味があるのだ。
「先程、バカ息子が術師会を抜けると言い出した。個人の生き方は個人の自由だが、あいつは術師会について深いところまで知りすぎている。当然二つ返事で了承はできない。かといってあいつが説得に耳を傾けるとも思えない。もし今後もあいつが断固とした姿勢を貫くのであれば、俺としてはもう煉弥の口を封じるしかないと考えている。不確定要素は確実に消しておきたいからな」
ヒュ、と誰かが息を飲んだ。
「消す」という実父からの強い言葉。
たとえわざとその言葉を持ち出したのだとしても、それは紛れもない巽の本心なのだろう。
できるかできないかは別として、巽は実の息子を野放しにするくらいなら屠ることも辞さないという。
「お前が術師会について何を知っているのかは知らないが、あいつを消すことくらい、やろうと思えばいくらでもできる」
「へえ。実の息子なのに?」
「その必要があるのなら。躊躇なく」
「怖い父親だなぁ。でもそれは勘弁してほしいね。あいつがいないと私が困るんだよ」
煉弥がいないと困る。
千景からその言葉を引き出せれば十分だった。
「ならば俺に下れ。そうすれば煉弥の身は保証しよう」
「……はあ?」
パチパチと千景は目を瞬かせる。
巽に言われた言葉を耳で拾って、意味を噛み砕いて、理解して。
不愉快げに寄った眉根とは裏腹に、口角はゆっくり持ち上がる。
「あー…これってあれかな……取引っつうか、脅し?」
煉弥を殺されたくないのなら手駒になれ、と。
それは紛れもない脅迫だった。それを言うのが煉弥の父親だというのもおかしな話だが。
煉弥と千景の様子を見るに、二人は決して浅い仲ではないように思えた。
少なくとも互いに友人のような位置付けにはあるはずだ。ならばその関係を利用しない手はない。
煉弥の身を賭ければ喜んで従属してくれる女はこれまでも掃いて捨てるほど居たが、如何せんその逆が成り立たない。
本当であれば煉弥が頷くしかない状況を手に入れたかったのだが、そんなありえない話があるはずもなく、これまでは使えぬ手としていたのだが。
(……まさに今、必要な状況で、丁度良く現れてくれたものだな)
これほど都合のいい人間はそういない。
ならば手早く手の内に収めておくに越したことはないだろう。
好都合なことに、千景の方も煉弥がいなければ困るのだと言っている。互いが互いに良い具合に作用してくれそうだ。
「あのさぁ」
内心ほくそ笑む巽の心境を知ってか知らずか、千景は見せつけるかのように溜め息を吐いた。
「なんか、勘違いしてない?」
「勘違いだと?」
千景はゆっくり言い聞かせるように、両者の認識の齟齬を解いていく。
「確かにあいつがいないと私は困るよ。死なれても困る。ただね、私たちは仲良しこよしのトモダチごっこをしてるわけじゃねえんだよ」
「……どういう意味だ」
「私たちは利害の上で成り立ってんの。あいつのことは好きだし情もあるよ。でも術師会から逃げてんのもあんたたちと対立してんのもぜーんぶあいつの意思。あいつの招いた結果。自分で蒔いた種は自分でなんとかしろって話だよね」
底冷えするような微笑で千景は淡々とそう語る。
冷たいと、そう思わずにはいられない。
表情も声音も、人間性も。
仮にも仲良さげに接していた相手をこうもバッサリと切り捨てるとは。
千景のイメージは言葉を交わせば交わすほど面白いくらいに異なっていく。
「ならばお前は、煉弥がどうなろうと知ったことではないということか」
「私を冷酷人間にしたいわけ? 何も見捨てるなんて一言も言ってないじゃん。それ相応の対価をくれればいくらでも手を貸すよ。あの冷淡男のカオも中身も、私は好きだからね」
それはつまり見返りがなかったら何もしないということ。
冷酷人間と何が違うんだと、きっと誰もが思ったことだろう。
どうやら千景に対する認識を改める必要がありそうだ。
他人に過度に干渉せず適度に無関心。
なるほど確かに、どこか煉弥と似た空気を感じる人間だった。
「とは言ってみたものの。それもこれも全部、あんたたちがあいつをどうこう出来たらって話なんだけどさ。───ね? 煉」
巽らを通り越して廊下の奥へ投げられた千景の声は、いつの間にかそこにいた煉弥に向けられたものだった。




