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怨みつらみの愉快日録  作者: 夏風邪
第二章
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80 . 悪霊狩り〈九〉



 Sランクの悪霊相手に勇猛果敢に立ち向かっていく参加者たちだったが、結果は火を見るより明らかだった。

 

 まったく歯が立たない。

 ただ徒らに呪力を浪費し、悪霊の狂気を煽るだけ。


 側から観察していて気づいたが、おそらく悪霊には理性がある。人間の言葉を理解している。

 成仏せず未だ現世に顕現しているのはやはり大きな憎悪や悔恨が理由だろうが、それを上手くコントロールするだけの理性を持っている。


 こういう自我のある悪霊は厄介だ。

 瘴気を撒き散らして暴走するだけでなく、生前と同じように理性も知性も残る頭で物事を考えることができる。


 今のままではただの霊体でしかないが、生きた人間に取り憑いて身体を乗っ取れば、あたかも普通の人間であるかのように現世に存在し続けられる。


 知恵のある頭で思い描いたものと同じように。

 復讐でも犯罪でも、思いのままに生きた人間に危害を加えることができる。


 だから悪霊が真っ先に欲しがるのは憑代(よりしろ)となる人間の体だ。


 それは誰でもいいというわけではなく、己の力を存分に振るうためには己の霊力に見合った身体が望ましい。

 つまりは霊力も呪力も併せ持つ術師の体を欲する。



 今回のような強い霊力を持つ悪霊となると、術師の中でもそれなりの力を持つ者がちょうどいい。


 だから奴は探しているのだ。

 この場にいる人間の中から己の憑代に相応しい身体を。


 襲いかかってくる雑魚には目もくれず、より強い身体を探している。

 天敵である術師に囲まれてなお、余裕を貫くその態度はどこまでも人間を見下していることの表れ。


 なんとも悪霊らしく。

 ただひたすらに愚かで傲慢だ。


 その欲深さが身を滅ぼすとも知らずに。


「…馬鹿だなぁ。誰でもいいからさっさと取り憑いちゃえばいいものを」


 誰も手を出さなくなったことを確認してから、千景は庭に降りた。


 首元に絡まる朱殷が緩慢に身動いだ。

 

 千景の歩みに合わせて周囲の視線も動く。

 煉弥の隣にいる時も常に突き刺さるほど浴びていたそれらは、今はすべてが千景に向いている。



 口元には薄く笑みを刻み。 

 両手は無防備にもポケットに突っ込んだまま。


 いつかと同じように、ふらりと悪霊に歩み寄る。



 一歩。


 二歩。


 三歩。



 千景の接近に気づいた悪霊がこちらを振り向いた。


 互いの視線がかち合って、そして悪霊は嗤った。

 ニタァとそれはもう薄気味悪く。まるで標的を定めたかのように。



 千景も笑う。


 にこやかに。人畜無害に。

 あくまでも|相手の力量すら見極められ《・・・・・・・・・・・・》ない愚かな人間(・・・・・・・)を装って。



 二メートルほどの距離まで近づいたところで千景は止まる。

 人間のリーチでは届かないが、霊体である悪霊にとっては無いに等しい距離で、千景は立ち止まった。


「こんにちは」


 凛とした声は思いのほかよく響いた。


 この悪霊以外にも解き放たれている悪霊はいる。

 それと対峙する参加者もいる。

 運営に動き回っている術師会の人間もいる。


 しかし、それらとは隔絶された世界にいるかのように、向き合う両者の間には無音が広がる。


 ゆっくりと唇を動かす千景だけが至極愉しげに目元を緩めた。



 ────おいで。



 悪意に満ちたてのひらが素早い動作で伸びてきたことを認めて。


 ドンッ、と体に強い衝撃が走った。


 視界がぶれて、気づけば澄み切った青空が視界いっぱいに映り込む。

 太陽の眩しさに目を細めているうちにも体はゆっくりと後方に倒れていく。


 このままでは軽い全身打撲は避けられない。

 明日か明後日か、遅れてやってくるであろう鈍い痛みに数日苛まれる未来を想像して、それでもまあいいかと、どこか他人事のように楽観視する。


 やがて微かな芝と土の匂いがして。

 襲い来る悪霊にのし掛かられた千景はそのまま地面に倒れ込んだ。



 空を映していたはずの視界が翳る。

 代わりに、ニヤリと笑う悪霊の顔がほど近いところに見えた。


 腹部に感じる重みと、それとはまた別にぞわりとした悪寒と気怠さが体の動きを鈍らせる。

 こんなにも近い距離で直接悪霊に触れているせいで、生身の体が悪霊の邪気に当てられているのだ。

 

「ふふ、お前に襲われても嬉しくないなぁ」


 四方に投げ出した手足は鉛のように重い。

 試しに指先を動かしてみても、金縛りのように意思と動きが上手く連動しない。


 さて、困った。

 体の不具合もそうなのだが、それ以上にこの状況においても全く危機感が湧いてこない自分自身に一番困る。


 

 千景の体の下でもぞりと何かが動く。

 主に背中と後頭部によく知った気配と感触がある。


 千景が倒れるのと同時に、さも当たり前のように地面との間に細長い体を滑り込ませた朱殷が、直接的な衝撃を和らげてくれていた。

 絶対にそうしてくれると疑うことのない信頼があったからこそ、千景も加えられた衝撃に身を任せて受け身を取らなかった。


 白い胴は千景の肩から首にかけて巻きつかせたまま。

 尻尾は別の生き物のように左腕を這う。


 まるで氷が溶けていくかのように。

 朱殷が体を這わせたところから順に、硬直が解けていく。



《……よこせ、……オマエのソノカラダ……寄越せェ…》



 伸びてきた悪霊の手はまっすぐ千景の心臓へと向かう。

 触れられたら最後、体の髄まで悪霊に乗っ取られてしまうことだろう。


 それをわかっていながらも、千景はなんら抵抗をしない。

 ともすれば恐怖で身体が竦んでしまっているようにも見えるが、実際はただ悪霊の狂気を間近で眺めているだけのこと。



 この霊はどんな感情に取り憑かれて悪霊となったのだろうか。


 憎悪と復讐の念に苛まれているのか。

 飲み下すことのできない大きな後悔を抱えているのか。

 それとも、もっと人を苦しめたいという途方もない欲求と未練が先だったのか。


 コレが生前どのような人間だったのかなど、今は知る由もない。


 もっと深く事情を掘り下げて境遇を知れば、あるいはこの悪霊も千景の憐情の対象となったのだろうか。

 否、たとえどんな事情があれど、悪霊に対し千景が救いの手を差し伸べる対象範囲は狭く限定的だ。


 ごくたまに、悪霊への同情と救済の念を見せることがある。

 その反面、対象から漏れた存在に対しては、ひどく無情で、無関心だ。



 悪霊の指先が千景の心臓に触れる。

 とてつもない不快感が一気に流れ込んでくるような、そんな感覚が全身を駆ける。


 今まさに自身の身体が乗っ取られているというのに、こんな時でさえ他人事のように、千景はただ薄く笑って状況を観察する。


 いたって冷静な脳内には周囲の喧騒が流れ込んでくる。


 ルールブックには『「悪霊狩り」を通じてどんな霊障を受けようとも術師会は一切の責任を負いません。個人で対処して下さい』との記載もあったが。

 いざ目の前で悪霊に取り憑かれそうな者がいれば、さすがに術師会も見過ごすことはできないらしい。


 ああ、それとも。


 七々扇煉弥と関わりのある人間が使い物にならなくなったら困るとでも思われているのだろうか。



 すっかり自由になった指先をわずかに持ち上げて。

 しかし、すぐにまた地面に放り投げた。


 近くで芝を踏みしめる足音と、どこか甘さを残す香の匂いが鼻腔をくすぐったから。



「どけよ。雑魚が」



 温度のない冷たすぎる声が落とされた。


 悪霊が瞬時に表情を変えたのを、ごく近距離にいた千景だけが見ていた。

 


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