77 . 悪霊狩り〈六〉
* * *
煉弥と別れた千景は促されるまま、屋敷の裏へと通されていた。
正門のあった塀の向こうからではわからなかったが、こうして内側に入ってみるとかなりの広さがある。
正面から見たぶんには普通の日本屋敷にしか見えないのに、その実屋敷の裏には開けた大きな庭があったようだ。
木々や池があるような観賞用のものではなく、どちらかといえば大きな公園などにある広場に近い。
そこそこの人数で走り回ったとしても狭さは感じないだろうし、弓道や遊び程度のサッカーくらいは余裕でできそうだ。
庭は人が多かった。
こちらは和装が多い。きっとそのほとんどが術師会の人間なのだろう。
ちらちらと好奇の視線は感じるが、ひとまず千景は人のいない縁側に腰掛けて様子を窺うことにした。
《ほんまによかったん? こないな場所に来たりなんかしてぇ》
「ちょうどいい機会じゃん。いつかは関わらざるを得ないんだから、それが今ってだけの話だよ」
《そらそうやけどなぁ。わてらがおるぶん、余計に注目集まってもうてますけど》
「お前らだってどうせいつかは知られるんだから早めにバラしといた方が好都合でしょ。今後は隠す必要もなくなるわけだし」
《結局は早いか遅いかの違いっちゅうことやねぇ》
「そゆこと」
声の届く範囲に誰もいないのをいいことに、銀が少しの小言を垂れる。
それもこれもすべては千景を気遣ったが故の苦言だ。
言われた千景としてはただひたすらに愛おしさが増していく。
千景は今まで徹底して術師会との接触を避けてきた。
術師会の人間と同じ空気を吸うこと自体ありえないレベルで近寄ろうとはしなかった。
ここ最近でいうと、霊物解封の一件だけは自らの意思で出向いたが、それ以外はほとんど不本意な接触や遭遇だ。
千景がここまで術師会を避けるのにもそれなりの理由があってのことだが、それも今日までにしようと頭をよぎったのは、煉弥から今日の話を持ちかけられた時のこと。
いくら術師会を避け続けたとしても、いずれ必ず関わる時が来る。
これは予想でも推測でもなんでもなく、千景が生を受けた時から決まっていることだ。
遅かれ早かれその時が来るのなら、そのタイミングくらいは自分で決めたい。
この件においてだけは邂逅なんて言葉に干渉されたくない。
最近術師会との接触が増えてきたこともあってか、そんなことを考えていたタイミングで丁度よく煉弥が術師会に行くというのだから、それに便乗したまでのこと。
目的は煉弥と似たようなものだ。
自身に対する術師会の反応を見るため。
そしてもうひとつ、現在の術師会という組織の術師の水準を知るため。
聞けば今回の催しは術師会上層部も数人来ているという。
今はまだ会いたくないというか会うわけにはいかない人間もいるが、その人物がこのような場に出てこないだろうという確信もあった。
当主レベルの実力と自身への反応を探るにはこの機会はうってつけで、煉弥という絶好の口実も用意されていた。
だからこの場は千景にとっても好都合だったのだ。
《まさか、そのまま術師会入ったりしよなんて考えてはります?》
「寝言は寝てから言ってほしいね。今も昔もこの先も、私は術師会が嫌いだよ」
《クク、知ってますわ。堪忍なぁ》
澄み渡る秋空に固定されていた視線を庭に戻す。
びっくりするほどいろんな視線と目が合った。合った瞬間にパッと逸らされた。
注目が集まっていることは知っていたが、まさかずっと見られてたとは。
それらの視線にはわかりやすく好奇の色が含まれていたのだが、それ以上に見間違いでなければ「大丈夫かコイツ…」みたいな不審が宿っていた。
(…あー……ね。私って端から見たら独り言のヤベー奴だよね)
千景も銀も声を聞き取らせるような失態はしない。
ここが術師の巣窟であるため朱殷や銀が視えていることは大前提として、それでもまさか蛇や狐が喋るとは誰も思わないだろう。
空を見上げながらまるで一人で喋っているように映ったであろう自分の姿。
もしも自分が周囲の立場なら、絶対に関わりたくないタイプだ。
口の動きは最小限に声も抑えてはいるが、読唇術の使い手でもいたらもろバレだなあ、と自分のことながらケラケラと笑いが出た。
それから数分と待たずして『秋の悪霊狩り』は始まった。
狩りの仕組みとしてはいたってシンプルだ。
術師会が一旦封じた悪霊をこの庭で解き放ち、それを参加者が祓う。
悪霊にはそれぞれS、A、B、C、Dの五段階のランクが割り振られ、一体あたりの報酬金額も10万円、2万円、1万円、5000円、1000円と強さに比例している。
悪霊のランクは祓った際に現れるビー玉サイズの球体に刻まれているため、それを見るまではわからないらしい。
つまるところ、悪霊の霊力や様子から強さを見抜く心眼も試されているということだ。
報酬はランクの刻まれた球体との交換となる。
祓うごとにそれを集め、最終的に換金する。
悪霊の強さや解き放つタイミングはランダムで、目当てのランクが来るまで待つもよし、片っ端から祓うもよし。
守らなければならないルールとしては、ランクの刻まれた球体の横取り厳禁くらいだろうか。
あとは祓う前もしくはその最中の悪霊は横取り自由らしい。
いつまでももたもたやっていると獲物を取られる可能性もある。他の参加者への最低限の注意も求められる。
各々の力量が有利不利に直接響くようなルール設定が実に弱肉強食の呪術業界らしい。
参加経験のある者は知った要領ですでに狩りを始めていた。
初参加であろう者たちは、配布された資料を読み込んだり運営に話を聞いたりと行動は様々だ。
千景も手元の資料からざっと要点だけを拾って、あとは眼の前で繰り広げられている参加者たちの戦いっぷりを見物する。
ちなみに資料の最後には『「悪霊狩り」を通じてどんな霊障を受けようとも術師会は一切の責任を負いません。個人で対処して下さい』という脅しじみた文言が控えめに記載されていた。
すでに数人が悪霊と対峙している。
悪霊を前にしての立ち振る舞いと繰り出される呪術から、大体の力量と呪術の系統は把握できる。
「へえ、あれでDか」
たった今倒された悪霊から現れた球体に刻まれたランクは『D』。
術師の力量は可もなく不可もない普通の術師といった感じで、それなりに頑張って倒した印象だ。
つまりランク付けの基準としては、中の中程度の術師で最低ランクの悪霊を倒せるレベル。
思っていた以上に悪霊の強さは易しくない。A、Sともなれば相当な悪霊が用意されていることだろう。
術師会も報酬を支払う以上、誰にでも荒稼ぎできるような設定にはしていない。当然と言えば当然だ。
どうやら出費は控えめに、本気で参加者の力の上限を見極めるつもりらしい。
千景が呑気に情報分析している間にも悪霊は次々に祓われていく。
今は低ランクの悪霊が中心に解き放たれているようなので、まだ余裕を残す術師もいる。
千景としては別に荒稼ぎを狙っているわけではない。だから誰にどれだけ祓われようともまったく構わない。
わふ、と心地よい風につられて欠伸まで零れてくる始末だ。
(さてさて、煉は無事かなあ……)
面倒そうに屋敷に入っていった美丈夫の後ろ姿を思い出す。
別に大した心配はしていない。
父親がいると言っていたので親子喧嘩にでも発展していたら面白いなとは思う。
(……てか、そもそもあいつが戻って来ないと私なんにもできないんだけどね)
術師として申請を済ませたはいいが、今の千景は術師でもなんでもない。
ただの視えるだけの人間だ。
自分のことを棚に上げて、他の参加者を平凡だとか評価を下してはみたが。
実際のところ、今の千景は強いとか弱いとかそれ以前の問題なのである。
とくにすることもなく、できることもなく、膝上に移動してきた銀を撫でながら大人しく煉弥を待つ。
せっかく天気もいいのだから東京観光でもしたいなあ、なんてこんな場所にも関わらず脳内お花畑になりかけていたところで、不意に近くで人の気配を感じた。
「なにかお困りごとかァ? オジョーサン」
振り返ると、そこにはニヤリと笑うスーツの男が立っていた。




