74 . 悪霊狩り〈三〉
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屋敷の奥に位置する一室にて。
現在、術師会九家の当主たちによる『秋の悪霊狩り』の打ち合わせが行われていた。
とはいえ実際に場を運営して参加者たちの対応に当たるのは彼らの部下であるため、当日においての当主たちはあくまでも監督するだけの立場となる。
今回の主催家のひとつである東雲家当主・東雲美鈴が一通りの説明を終え、異を唱える者がいないことを確認すれば打ち合わせは終了する。
事前準備の段階で彼らが穴のある企画を立てるはずもなく、当日にこれといった話し合いが為されないのはいつものことだった。
「どうやら、今回も結構集まったみたいですね」
パラパラと手元の資料をめくりながら西園寺閑はそう呟く。
見ているのは現時点で申請を済ませた者たちの参加者リストだ。
『悪霊狩り』では申請さえ済ませれば、基本出入り自由である。
各々好きな時間に参加し、満足すれば自由に引き上げる。
今後も少しずつ参加者は増えるだろうが、例年通りであればこの段階で大体の参加者が出揃うはずだ。
すでに術師会で把握している者については氏名欄に名が記されているが、その他は空欄となっている。
術師会とて初見の者に本名を聞くような真似はしない。それが術師の暗黙のマナーだ。それでも性別、年代、人数くらいは資料から読み取れる。
術師会に所属しておらず、且つ、どこの家にも属していない野良術師というのがそもそも少数なのだが、今年も例年通り十数人が参加しているようだ。
分母の数を考えれば上々の集客率と言えよう。
「ええ。初参加の方も数人いらっしゃるようですし、良い情報を集められることを期待しています」
「今年は悪霊のランクをちと上げたらしいが。そのあたりはどうなったんだ」
「問題ない。年々参加者も力をつけてきている傾向にある。総数は変えず上位ランクを増やしたまでだ」
「そうかよ」
口端を持ち上げて薄く笑う三廻祇禅の視線を受けた七々扇巽は淡々とそう答えた。
同じ九家。同等程度の立場にある者同士。
両者の間に特別大きな蟠りはなくとも、決して良好な関係とは言えなかった。
それはこの二人に限った話ではなく、すべての九家当主に当てはまることではあるけれど。
「失礼します」
その直後、閉め切られた障子の向こうから声がかけられた。
「入れ」
巽の許可を得て開かれた障子の向こうでは、緊張した面持ちの青年が床に膝をつき、深々と頭を下げた。
「…あの、七々扇さん」
「なんだ」
「…えっと…」
相手の反応を伺うように口をまごつかせる青年。
幾ばくか言葉を選んだのち、控えめに口を開いた。
「……煉弥さんが、いらっしゃってます」
「───は?」
その瞬間、ある者は憤りを含ませて、ある者は楽しげに、それぞれの反応を見せた。
鋭さを増した巽の視線を真っ向から受けた青年は、ひくりと顔を引きつらせる。
自分はただ報告に来ただけだというのに、彼の怒りを一身に受ける羽目になった現状に理不尽を感じつつも、やはり九家の当主は怖いと青年は再確認した。
「おい」
「…、はいっ」
地を這う低い声に、青年はビクリと体を震わせた。
その様子に三廻祇と西園寺は同情の欠片もない笑みを浮かべ、東雲はこの状況に、というよりは怒りを滲ませた巽の様子にひっそりと苦笑した。
「さっさとクソガキを連れてこい」
「……あ、はいっ! えっと…いま、佐伯さんが対応に当たっています。もう少しでお見えになるかと……」
「なんでもいい。とにかく俺の前に引き摺り出せ」
「承知しました!」
全力のお辞儀を残した青年は、そのまま障子を閉めて急ぎ足で去っていった。
巽の静かな怒気を流れ弾の如く浴びてしまった青年に、東雲は同情せずにはいられなかった。
だが巽の気持ちもよく理解できるため擁護はしない。
九家の中で最も七々扇と関わりの強い東雲は知っていた。
彼の息子が何も言わずに姿を消してからの二ヶ月の間。
巽は決してわかりやすく感情を見せはしなかったが、確実に身の内に怒りを溜めていたことを。
いつ強硬手段に出るかとヒヤヒヤしていたものの、彼の息子の帰還を知ったいま、その怒りが爆発しかねないことを。
七々扇の当主たる巽が、そう簡単に感情をさらけ出すほど理性に欠けた人間でないことは百も承知だが、今回の息子の身勝手な行動はさすがに腹に据えかねていることだろう。
今日に限って屋敷には多くの部外者がいる。
そんな中で、怒りとともに七々扇家当主の呪力でも撒き散らされようものならたまらない。
そうなる可能性は限りなく低いが、もしもの時に備え、東雲は心の準備だけはしておいた。
「失礼致します」
音もなく開いた障子から二人の男が入ってきた。
ひとりは七々扇家の術師である佐伯。
そしてもうひとりは。
怒り心頭であろう七々扇家当主の息子。
この場にいる全員がよく知りながらも会話らしい会話をした試しがない、感情の欠片もない無表情の男。
久方ぶりの七々扇煉弥の姿に、息を飲んだのは誰であっただろうか。
世にも美しい青玉は、一通り室内の人間を視界に入れはするが、認識までには至らない。
まるで気に留めることなくそのまま伏せた瞼の下に隠された。
「よお、愚息。暫くぶりだな」
威圧的な実父の呼びかけにすら凍てついた表情が動くことはない。
場の注目を一身に浴びてなお、それらすべてを黙殺する漆黒の青年は促されるまま座す。
「なあ、おい。どのツラ下げて帰って来やがった?」
巽の一言一言に乗せられた重圧で空気が張り詰める。
微かな呼吸音だけが無音の空間で繰り返される。
睨み合いにも似た父子の対面に水を差す者はいない。
下手に触れて大火傷を負うことが目に見えている案件に、誰が好き好んで口を挟もうと思うのか。
静まり返った室内。
それはまるで部屋主の許可なく口を開くことが禁じられているようだ。
時間とともに緊張ばかりが増していく。
圧倒的権力者が醸す重圧。
並の人間であればとっくに窒息死している頃だ。
「勘違いするな」
ようやく放たれた冷たい声音は、張り詰めた空気によく馴染む。
バチッ、と両者の視線がかち合った。
「帰って来るわけねえだろ」
「あ?」
巽の眼光がより一層鋭さを増した。
すべてを放棄して無断で姿を消しておきながら、謝罪どころか家に戻るつもりはないと、煉弥は言う。
巽とて煉弥が謝罪を口にするなど初めから思ってはいなかった。
だが、本人の意思に反しようとも仕事を与えれば文句も言わず淡々とこなしていた煉弥が、まさかここまで身勝手な言動をとるとは些か予想外であったのだ。
「ならば、何をしに来た?」
「お前には関係ない」
「関係ないだと? ここまでのことを仕出かしておいて勝手が許されるとでも思っているのか」
「さあな」
七々扇煉弥という男は何を考えているのかわからない。
それは彼と関わりのある人間なら誰しも持っている共通認識だ。
表情に出ない。態度に出ない。当然口にも出さない。
身の内を探らせる要素が一切オモテに出てこない彼は、ただひたすらに難解な人間で、周囲から見ればなんとも得体の知れない男だった。
そう思うのは何も赤の他人だけではない。
実の父親である巽もまた、血を分けた息子の機微を読み取るのは不可能に等しかった。
父親として、家を背負う当主として、彼の理解に努めようしたことはあったのかも知れないが、それも昔の話。
今となっては七々扇の術師として力を振るってくれればそれで良く、人間味のない彼が何を思おうがどうでもいいことだと処理するようになっていた。
故に、いざ七々扇煉弥の意思に触れようとしたとき。
奇跡的に彼が自ら口を開こうとでも思わない限り、周囲がそれを知る術はひとつもないのであった。




