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怨みつらみの愉快日録  作者: 夏風邪
第二章
72/103

71 . 憂い



 ◇ ◇ ◇



 やや低反発が効いた座り心地のいいソファ。

 その真ん中に腰掛けた千景は、そのまま背もたれに体重をかけた。


 細身だとちょうどいい三人掛け、恰幅がいいと窮屈な二人掛けのこのソファは、何度座っても身体によく馴染む。

 人をダメにするなんたらと似た空気を感じるここで寝転がったらさぞ気持ちよかろう。翌朝起きたら全身の疲れが取れていたりしてくれたらなお嬉しい。


「どうぞ。珈琲です」


「どーも」


 白衣の青年から差し出されたカップを受け取り、湯気のたつコーヒーを啜る。

 口内に広がる苦さが正午を過ぎた眠たい時間帯にはちょうどよかった。


「それで、結果が出たから私を呼んだんだよね? (かなえ)ちゃん」


 千景の問いかけに、正面に座り同じようにカップに口をつけていた女は頷いた。

 相変わらず顔立ちは綺麗なのに、目の下に深く刻まれた隈がなんとも惜しい。


「ええ、遅くなって悪かったわね。これをご覧なさい」


 ペラリと渡された紙には元素記号やら物質名やら、明らかな専門用語がずらりと並んでいた


 

 千景の知人であり研究者でもある相模(さがみ)(かなえ)には以前、”不老不死の泉”という二次元御用達の眉唾物質の分析を頼んでいた。


 結果が出たら連絡すると言われていたのでこの案件は頭の隅に追いやっていたのが、最近は何かと忙しく、気づけばすっかり抜け落ちていた。


 今朝、鼎から電話をもらってようやく「ああ、そんなこともあったっけ」と、二ヶ月ほど前の記憶を引っ張り出してきたくらいだ。


「私、研究者でも科学者でもないんでこれ見てもよくわかんないんですけど……」


「でしょうね。一応形式として、目に見える形でで分析結果を渡しただけだからわからなくて結構よ」


「ふうん。それで、どうだった? なんか面白い結果でも得られた?」


「あなたの想像通りかもしれないけれど。どう調べたところでただの水ね」


「ああ、うん。だよね」


 鼎の研究から導き出された答えは、”ただの水”。

 不老不死の効果などまるでない、この広い地球上どこにでもあるただの水。


 山神のいたあの異界での効能はさておき、こうして下界に持ち出した時点で、神秘とも言える効果が失われている可能性は十分承知していたところだ。


 叡智を超えた力がこうして科学的に否定されたことを残念に思うかと問われれば、答えは否。

 はならか期待していなかったものに残念も落胆もありはしない。


「時間の経過に伴う結果変動の可能性も考慮して、時間をおいて何度か調べてみたけれど結果は同じ。もしかしたら数ヶ月程度じゃ時が経ったうちに入らないのかもしれないわね。もう少し調べてみましょうか?」


「んー、いや。これ以上はいいや。どうせ時間をおいてもなんの変化もないと思うから」


「あら、随分と確信的な言い方ね」


「ただの勘だよ。術師の勘。そんな感じがするってだけ」


「まあいいわ。千景の勘はよく当たるから。あなたがいいって言うのならいいのでしょうね」


 返された瓶の中身は渡した時より少し減っていた。

 研究に使用した減少分だろう。


 もし用心深く考えるのであれば、例えば研究においては素人同然の千景に鼎が虚偽の研究結果を告げて自己利益のためにその少量をくすねた、という憶測も立てられる。


 しかし、その憶測をすぐに捨てるくらいには千景も鼎を信頼している。


 常に最悪の状況を想定することを信条としてはいるが、だからといって周囲をすべてを疑ってかかるなどただの人間不信だ。


 そんな要領の悪い生き方を選んだ覚えはない。



 そもそも、千景とある程度の交流がある者は知っている。


 どれほど千景が人の機微に敏感かを。

 目先の利益よりも千景を敵に回すことで負う代償の方が、いかに大きいかを。


 千景自身、親交の深い人間に脅迫じみた力の見せ方をしたことは一度もない。

 ただ周囲が自然と、しかし確実に、本能としてそれを感じ取ってしまうだけのこと。

 

 そして、千景もまた理解していた。

 どんなに気心が知れていようと、自身と関わる者の潜在意識の奥底には、どうしたってそのような暗黙の了解を植え付けてしまうことを。


 それは千景の天命なのか。

 はたまた扱う呪術のせいなのか。


 答えは、”両方”だ。


「いろいろ調べてくれてあんがとね。今回の依頼料はどうすればいい?」


「馬鹿ね。お金なんて取るわけないじゃない。あなたからの頼みなんてあたしにとっては趣味みたいなもんなのよ」


「ふふ、趣味だったんだ」


「また何かあったら遠慮なく言いなさいよ」


 懐から取り出した煙草に火をつけた鼎はそう言ってにこりと笑う。

 

 ああ、やはり惜しい。

 目の下の隈さえなければその笑みだけで雑誌の一面を飾れそうなのに。



 ふう、と紫煙を燻らせた鼎は千景をまっすぐに見る。

 心なしか、その目には呆れと情けの色を宿しているような気がした。


「ところであなた、呪力は戻ったのかしら?」


「あー……」


 千景は思わず言葉に詰まり、返答を濁す。


 そういえば鼎にも、不老不死の泉の一件を説明した流れで呪力喪失のことも話していた。

 鼎の表情から察するに、もしかせずとも千景の身を心配してくれていたようだ。


「その様子だと、まだのようね」


「うん。残念ながら」


「大変ね。術師の仕事もままならないじゃない」


「この生活に慣れちゃえばどうってことないけど……まあ、そうだね」


 第三者からこうして客観的な感想をもらうと、どうしても自分の陥った状況を再認識してしまう。


 現状を憂いた深い溜め息が漏れる。



 あれから二ヶ月弱。

 人によってはまだ短いと感じるかも知れないが、千景にとってはそれなりに長く感じる時間だった。


 物心ついた時から呪力ありきの生活を送っていた。

 だから、こうして連れ添ってきた力がなくなると、ぽっかり穴が空いたような喪失感が生まれる。


 それも時間が経つにつれて次第に強く感じるようになり、最初の頃と比べるともの寂しさというか物足りなさを余計に感じてしまっている。


「ほんと、いつになったら戻るのかねえ……」


 嘆き、というよりは心の底からの疑問。

 

 この際呪力が戻るのがいつになろうと構わない。

 ただ、その時期くらいは教えて欲しかったとも思う。それによって今後の千景の身の振り方も変わってくるというのに。


 誰も答えを持たない千景の呟きは、そのまま霧散していった。



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