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怨みつらみの愉快日録  作者: 夏風邪
第二章
67/103

66 . 廃校舎の怪〈七〉



 壊れた絡繰人形のように「ちょうだい」と言葉を繰り返す少女の悪霊は煉弥の呪符によって動きを制限されている。


 その隙に薬品庫に近づいた千景は、恐る恐る取手に手を伸ばした。


「…あーやだやだ。これ絶対ホラー展開まっしぐらじゃん。自分で言っといてなんだけどこういうのほんっと勘弁してほしいわ」 


「いいから早く開けろ」


「わかってますよー」


 ちょくちょく野次を飛ばしてくる煉弥は地面に座り込み、薄紫の数珠を掛けた両手で印を結ぶ。


 絶対ありえないとはわかっていても、伏し目がちな双眸からは憂いさえ感じる。


 こんな状況下にありながら、なんてことない居姿がまるで切り取られた雑誌の1ページのよう。


「南無久遠実成本師釈迦牟尼仏。南無霊山会上来集の分身諸仏。南無諸大菩薩。五番善神諸天等、殊には鬼子母大善神、惣じては仏眼所照の一切三宝来臨影嚮。妙法経力、速得自在、諸仏守護、増益寿命、心中所願、決定成就。夫れ是の道場は三宝諸天、来臨擁護の砌りなり。恭く堅固の信地に住して善く諦かに之を聴け、経に云く、常住此説法。我常於此と云々、又言く、娑婆世界、其地瑙璃担然、平正、閻浮檀金、以界八道云々。又云く、当知是処、即是道場、諸仏於此、得阿耨多羅三藐三菩提、諸仏於此、転於法輪、諸仏於此、而般涅槃等云々。此の経文を聴受せば如何なる死霊悪霊たりとも、速やかに是の病者の住処を去つて本覚本有の都に赴くべきなり、願わくば────」



 口から出てくる言葉は甘い台詞などでは決してなく、まるっと専門用語の羅列ではあるけれど。



 ぶつぶつと読誦される呪文をBGMに、千景は意を決して薬品庫を開けた。


 そして、絶叫しなかった自分を褒めちぎってやりたい。


「……っ!」


 感知の段階で悪霊の魂が分裂していたことから、ある程度の予想はしていた。


 それでも、だ。

 想像するのと生で見るのとでは、その衝撃は段違いだ。というか想像よりも数倍グロテスクだった。


 背の丈サイズの薬品庫。

 その中段。

 押し込められるようにそこ詰められていたのは、血まみれの生首。が、二つ。


 思わずぎゅっと抱きしめてしまった銀には申し訳ないが、しばらく腕の力を抜けそうにない。

 ドクドクと早鐘を打つ心臓の音が容赦なく耳奥で爆ぜる。


「まじで勘弁してよ……」


《クク、ほれ気張りぃ》


「……いいねお前は楽しそうで」


 なぜこうも自分のもとに転がり込んでくる呪術案件は血みどろチックなものばかりなのか。

 今さら嘆いても仕方ないとはわかっている。わかってはいるが、この理不尽さに文句を吐かずにはいられない。



 おそらく霊体であろう生首の方をできるだけ直視しないようにしながら薬品庫を物色する。

 カチャカチャと瓶同士がぶつかる音など気にもとめず、庫内の奥に手を伸ばす。


「……見っけ…」


 隠すように置かれた薬瓶をどかし、その奥のものを引っ張り出した。


 試験管立てに立てられた六本の試験管。

 しっかり封がされたそれは少し太めで、中は透明な液体で満たされている。


 そしてそれぞれの試験管にひとつずつ、計三対の眼球が入っていた。


 ホルマリン漬け。

 防腐剤であるホルムアルデヒドの水溶液、いわゆるホルマリンに漬けられて保存された肉片。


 悪霊と化したあの少女に両目がなかったことから、犯人であろう理科教師の男が特異な嗜虐性を秘めているだろうことはわかっていた。

 そのイカれた男は、くり抜いた少女たちの目玉をコレクションとしていたらしい。



《…………して…、……ここからだして……》


《……くるしいよ……助けて……》



 生首が辿々しくもはっきりとした言葉を紡ぐ。

 どちらも長い髪で隠されているため顔が見えないが、おそらくこの少女たちの両目にもあるべき眼球はないだろう。


 次々と耳に入ってくる苦痛の声がひどく痛ましい。


 まだ人生もこれからという時に命を奪われ、こんな場所に閉じ込められて。

 膨れ上がる憎しみのせいで成仏もできず、楽にもなれない。


 せめてもの(はなむけ)として、霊体の四肢くらいは揃えてあげたい。


「……さて、探しますか」


 まずは、ぴちゃぴちゃと赤黒い血が滴り落ちる背後の戸棚から。


 ここまでくればもう怖さはない。

 一時的ではあるがこの数分でお化け屋敷の天敵になれるくらいには慣れた。

 

 躊躇なく開けた戸棚の中には案の定、生っ白い腕が入っていた。


 肘の上あたりで切断された腕からはとめどなく血が溢れている。

 本物の肉体が今もなお血を流しているなんてありえないのでこれも霊体。本当の腕はとうの昔に朽ち果てたことだろう。



 この調子で両手両足胴体と、少女二人ぶんの体を次々と探していく。


 きっと理科教師の男が少女たちの体をバラバラにして、この理科準備室に隠したのだろう。

 事件当時はどこを探しても痕跡が発見されなかったらしいので、おそらくは事が落ち着いた後、最終的な隠し場所としてここに運び込んだ。


 殺害中もしくは死亡後に人体を切り離した場合、死後、五体満足の霊体になれないことがある、らしい。


 ましてや試験管に収められた眼球のように、朽ちることなく密封された肉片にはまだ魂が宿っているため、霊体化することはできない。

 

 少女たちの魂が成仏しきれずにこの理科準備室に留まっているのも、五体満足の霊体を維持できていないのも、すべては異常な性壁を持つ理科教師が少女たちの体を細断したからに他ならない。


「……まったく、(むご)いことをする…」


 探し出した体のパーツ。

 薬品庫の生首と合わせて一箇所に集め、最後に試験管の封を開けてやる。

 ツンとした匂いが鼻につく。


 煉弥の誦文(ずもん)に反応してくれたおかげで探すのは簡単だった。



《……あ…ああ…、…目がある……》


《……やっとみつけたぁ……》


《……私の、からだ……みつけた…みつけたぁ…》



 頭蓋骨を抱えていた少女は、やっと解放された両目に嬉しそうに手を伸ばす。

 バラバラだった体のパーツたちもパズルのように組み合わさり、徐々に人型の霊体になっていった。


 ということで、一応千景のミッションは達成だ。


「───…法華経の御利生と申すは是なり。本仏・迹仏、三世十方の諸仏諸天善神・当病平癒ならしめ給え、法華妙理、釈尊金言、当生信心、無有虚妄、諸仏所歎、一切天人、皆応供養、南無霊山一会、儼然未散、仏眼所照、一切三宝、諸天善神、自他法界、平等利益」


 タイミングよく読誦を終えた煉弥が両手の印を解く。


 通常、長い呪文を読誦するということはそれだけ呪力と精神力を削られる。

 にも関わらず、一切の力の消耗を感じさせない煉弥。相変わらずの涼しいを通り越して冷たい表情で平然としていた。


「お前記憶力えっぐいねえ。はは、引くわー」


「お前もこれくらいやるだろ」


「さすがにこれは無理。てかこういう長めの呪文系ってあんま扱わないからね」


「あっそ」


 たいして興味なさげな煉弥は再び印を結ぶ。

 そろそろ成仏させるぞ、の合図だろう。


 千景が少女たちの体を解放したことと煉弥が唱えていた呪文の効果で、この教室に少女たちを縛りつける枷はなくなった。


 あとは呪術の力で死者の魂を黄泉の世界に導いてあげるだけ。



《──…ありがとう》



 不意に、背後からぎゅうっと抱きしめられた。

 腹に回った腕は薄く透けている。


 悪意がないことを悟った千景はやれやれと思いながらも身を翻し、抱きついてきた少女の霊を正面から受け止めた。


 本当はこれほどの至近距離で瘴気に触れれば千景でも幾分かダメージはある。

 だが今はそれよりも、少女が持つ感情の機微に触れていたかった。


 抱きついてきたのは理科教師の頭蓋骨を持っていたあの少女。

 千景を見上げる両目にはくりっとした黒目が特徴の目玉が収まっている。もう血は流れていない。やはり可愛らしい女の子だった。


 千景は少女の頭をぽんぽんと撫でる。

 労るように。慈しむように。


「うん。どういたしまして」


 今度は千景の方から優しく腕を回し、少女の体を包み込む。


「もうあんな男のために、時間を無駄にしちゃダメだよ」


 いとことだけそう言って、千景は少女から体を離した。


 

 煉弥はひとつ溜め息を吐く。

 どことなく呆れた顔をしながらも、再び両手で印を結んだ。

 


「───オン、サンマユカン、マカサンマユカン」



 ボワンと光を放った少女たちの霊は、そのまま天に召されるように消えていく。


 同時に、一帯を満たしていた瘴気も霧散した。

 不気味だった毒々しさが消える。


 最後に見た少女たちの表情がなんとも穏やかなもので安心した。

 

 若き魂が無事に極楽浄土へ行けることを祈って、千景は静かに両手を合わせた。



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