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怨みつらみの愉快日録  作者: 夏風邪
第二章
65/103

64 . 廃校舎の怪〈五〉



 ぐるりと見回した理科室。

 その奥のほうに、ちょうど月明かりに照らされた扉が見えた。


 『理科準備室』とプレートが掛けられている。


「……あそこか」


 悪霊の魂がいくつに分かれていようと、その大半は一帯に固まっている。

 

 初めから千景が目指していたのは理科室の隣の部屋だった。

 廊下からでは入り口を見つけられず、さてどこから入ろうかと思っていたのだが。

 

 用意されたようにそこに続く扉がある。


 どうやらこの学校では理科準備室へは理科室からしか入れないらしい。

 危険な薬品なども保管しているだろうし、誰でも簡単に入れる作りではないようだ。

 

「行くのか」


「まあ。あそこをなんとかしないと帰れないし」


「やるのは俺だけどな」


「ハハ、オネガイシマス…」


 先ほどからチクチクと、いや、遠慮なくグサグサと。

 心なしかなんだか楽しそうに言葉の棘を刺してくる男。


(……呪術も使えないポンコツへの嫌味ですかコラ)


 しかしながらまったくもって反論できない千景は、できる限りの低姿勢で謝儀を表すしかなかった。


「…ねえ、千景」


 第三者の声が加わったところで煉弥との会話は終了だ。

 どんなにくだらない内容であったとしても、一般人に術師談話を聞かせるわけにはいかない。


「どしたの?」


「ここ、ほんとに大丈夫なのかしら……」


 いつになく懸念をのぞかせる未生。

 するりと千景に身を寄せる。


 触れた指先は驚くほど冷たかった。

 気丈に振る舞ってはいるものの、やはり内心かなりの不安と恐怖を抱えているようだ。


「ふふ、弱気な未生は貴重だね」


 こういう時ほど人肌が恋しくなる気持ちはよくわかる。


 華奢ではあるが女よりもたしかに大きい手を両手で包み込み、冷たい手のひらに少しずつ温度を分けていく。


 外でも校舎に入ってからも、未生はいつも通り軽口を叩く余裕はあったように思えたが、明らかに異質で不穏な理科室を前にして、たとえ視えずともすぐそこに迫る危険は感じたらしい。


「未生ってば案外怖がりさんですねー」


「……こんなの誰でも怖がるわよ。そういうあんたはびっくりするほどいつも通りね」


「ホラーはわりと平気なんだよ」


「さっきは『普通に怖い』って言ってなかったかしら」


「あれ、そんなこと言ったっけ」

 

 じんわりと未生の指先に温度が戻ったところで手を離す。

 次いでぎゅっと腰に両腕を回し、強張った体から順繰りと緊張を解いていってあげる。


 自分より上背のある体躯はいつもより小さく感じた。


 決してスキンシップが多い方ではない千景が人前ではあまりやらない方法だが、こういう状況で、恐怖と緊張をほぐすには人の温もりが一番だ。


「……今日は随分とサービス精神旺盛なのね」


「もう安売り大特価ですよ。今夜の千景ちゃんは珍しくジェントルマンモードだから。それはもう貴重よ」


「軽口は相変わらずね」


「なんとでも言ってくださいな」


 どさくさに紛れて未生の肩口に鼻先を埋める。


 ふわりと香る未生の匂い。主張しすぎない落ち着いた甘い香り。

 香水か柔軟剤か。匂いフェチ疑惑のある千景がとくに好むもののひとつだった。


 守らないとな、と思う。

 守りたいな、と思う。


 てのひらからこぼれ落ちるもののほうが多いこの世界で。

 凍てついた境界線からぽつりぽつりと内側に入り込んでくる他人(ひと)の存在。


 ともすれば弱みにもなり得るそれに、けれどもやはり手を伸ばしてみたいと思う。


 ずっと前から覚悟はできている。

 内側にいることを良しとした相手に限っては、慈悲でも情愛でもなんでも、許される限りのものを渡してあげたいと思う。


 たとえそれを途中で手放さざるを得なくなったとしても───。



「千景? どうかした?」


「んーん。なんでもないよ」


 名残惜しい温もりから両腕を離す。


「うん、たしかにここは不気味だね。なんか祟られそうな感じがする」


「できることならもう帰りたいんだけれど……」


 呆れというか諦めの溜め息を吐いた未生の視線の先では、怖がりながらも嬉々として理科室を物色している部長たちの姿があった。


 わかる。

 あの雰囲気の彼らに「もう帰ろう」とはなかなか言いづらい。


 身の安全が一番だとはわかっていても、水を差しては悪いと思ってしまう未生の気持ちはよくわかる……が。




《──ここまで、なんちゃいます?》



 声、というよりは思念に近い。

 耳元から聞こえた銀からの忠告。


 千景は小さく頷いた。


 たぶん誰の耳にも届いていないごくごく小さな声。

 隣にいるが視えてはいない未生はもちろん、近くにいる煉弥や稀菜にもきっと届いてはいない。


(ああ、いや…煉なら聞こえたか)


 人がいる場面にも関わらず銀が口を開いたことに意味がある。

 警戒を促すように朱殷が身じろぎしたことに意味がある。


 かわいいかわいい二匹の忠告を無碍にしてまで優先すべきことなど、今この状況においては何ひとつない。


(さて、やるか。まあ頑張るのは私じゃないけども……)


 けれどその前にオカルトサークのメンバーを理科室から遠ざけておきたい。

 

 校舎を包み込む瘴気は今はまだ人体に影響を及ぼすレベルではない。

 だがそれは理科準備室の扉がかろうじて蓋の役割を担っているからに過ぎない。


 ひとたび扉が開かれれば。

 悪意に満ちた濃密な瘴気が垂れ流されることだろう。


 そうなれば、普通の人間ではきっと精神を侵される。

 場合によっては命を脅かされる。


 そんな空間に彼らを置いておくわけにはいかない。



 なんて、いろいろ考えていた千景だったが。


 やはりこの世の中は往々にして順調には進ませてくれないらしい。


「あ、部長! 見てくださいよこれ! 隣の部屋にも行けるみたいっすよ!!」


「おお、でかした明人くん! なんとも怪しげな部屋じゃないか」


「そ、そんじゃ開けてみるっす!」


 千景は思わず目を剥いた。


 今まさにどうやって彼らを理科室から出そうか考えていたというのに、なんと彼らのほうから躊躇なく死地へと足を踏み入れようとするとは。


「いやいやいや、ちょっと待───」


 当然のことながら伸ばした手が届くはずもなく。


 千景の制止の声と、理科準備室の扉が開いたのは同時のことだった。

 









「間一髪、かな」


 咄嗟に背に隠した未生は気分は悪そうだが無事だ。


 呪術が使えずとも、そもそも千景の存在自体が強力なお守り代わりになる。


 先ほど緊張をほぐすことを名目に、千景の霊力を纏わせるように未生に抱きついておいた。

 ただの悪霊にそうやすやすと未生の心身を侵させはしない。



 最も近くで濃密な瘴気を受けたのは扉を開けた日々野部長と相澤だったが、彼らのことは銀に任せた。


 人間の身体能力では無理でも霊体であればできることも多い。


 月明かりを受けて、しろがねに輝く銀の毛並みは殊更崇高に見えた。


 その下で転がっている二人。

 おそらく意識はない。

 けれども余裕そうに毛づくろいをする銀の様子から、とりあえずは生きてい入るようだ。


 あとは稀菜と滝川臣の生存確認のみだが。


「そっちは」


「問題ない」


 理科準備室の扉が開かれるのと同時に煉弥が二人の守護に動いていた。


 声に出さずとも、千景や銀の動き、それぞれの位置関係等、とっさの状況判断で自分が取るべき行動を導き出し、きっと面倒だっただろうけれど動いてくれた。


 その判断力と、それを実行できるだけの実力。

 初めから疑ってはいなかったが、やはり天才の称号は伊達じゃないようだ。



 ひとまず全員を理科室から出した。

 一応心身に著しい霊障がないかだけざっと確かめてから、銀に防御結界を張ってもらった。


 本当は銀そのものをここに残した方が彼らの安全は確実なのだが、この状況下でのポンコツ千景に銀の存在は不可欠だ。


 だから離れてもらっては困る。



 千景はくるりと踵を返す。

 理科室入り口にいる煉弥のところへ戻るために。


 だが、その前にパチッと未生と目が合った。


 何を言おうか。

 現状を説明すべきか。

 自分のことを打ち明けた方がいいのか。


 脳内に渦巻いた千景の思考を読んだかのように微笑んだ未生は、一歩二歩と歩み寄り、千景の耳元に口を寄せた。

 

「…あんま、無茶すんなよ」


 とことん千景の身を案じた、どこまでも優しい声音。


 こんなふうに面と向かって心配だと訴えかけられれば、なんだか腹の底がそわそわする。


 嬉しいような気恥ずかしいような。

 けれど嘘偽りない未生の本心。


 なんとなく訳知り顔の未生を今さら問いただそうなんて思わない。

 千景のなにを知られようと未生ならば構わないと思える。


「うん。みんなはよろしくね」


 初めて会ったのは大学二年の春。

 あれから一年とちょっと。


 どうやら千景が思っていた以上に、未生を一線の内側に、深いところまで招き入れていたようだ。

 


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