59 . 心霊現象なるもの
───私立荒守高等学校。
偏差値はごく一般的な高校でありながら、生徒の自主性を重んじる校風のこの学校で。
十三年前、とある事件が起こった。
『今朝学校に行ったっきり娘が帰って来ない』。
学校に一本の電話が入ったのは、とっくに授業も部活も終わり、とっぷりと日が暮れた頃だった。
たまたま遅くまで学校に残っていた教師が電話を取り次ぎ、すぐさま警察とともに捜索したが、結局その日少女が見つかることはなかった。
その次の日、今度は別の女子生徒が姿を消した。
足取りを追ってもやはり学校にいたところまでしかわからず、その後校舎に残ったのかそれとも家路についたのか、その痕跡すらわからない。
そしてその一週間後、最初に姿を消した少女と仲の良かった女子生徒が行方不明となった。
立て続けに三件の少女失踪。
これは同一犯による事件性のある一件だと判断した警察は、すぐさま捜索本部を設置し少女たちの行方を追った。
容疑者の一人として名が挙がったのは、当時少女たちが通う荒守高校の理科教師をしていた男だった。
捜査の過程で一人目と二人目の少女と個人的な関係があったことがわかり、痴情のもつれから少女たちを拉致監禁、あるいは殺害したのではないかとの疑惑がかけられた。
しかしながら三人目の少女との関係性は見られず、男の近辺からも証拠と言えるものや少女たちの痕跡が出なかったことから、証拠不十分で不起訴となった。
その後も親族や警察が必死に捜索を進めていたが、少女たちの遺体はおろか行方を示す痕跡すら発見することはできなかった。
そして今から六年前、少女たちの捜査は事実上打ち切りとなった。
荒守高校は立て続けに起こった失踪事件の影響で入学者が減少し、次第に運営が立ち行かなった学校はついには事件の五年後に廃校となった。
それ以来、校舎を取り壊すことも再利用することもなく。
錆びれた廃校舎となったそこには人ならざるものが棲み着いているという噂だけが流れた。
こんな話がある。
とある若者数名が度胸試しと称してその廃校舎へ入ったことがあるらしい。
なんてことはないただの廃校舎。
不気味さはあるものの何か特別なことが起こるわけでもなく校内を一周し、多少の安堵と拍子抜けで若者たちが外に出ようとした時。
『……いま、女の声がしなかった…?』
不意に、若者のひとりがポツリとそう言った。
巫山戯ているわけでも冗談を言っているわけでもなく、恐怖に震えた真剣そのものの声に、他の若者たちはピシリと身を固めた。
『……助けて……ここから出してって……。聞こえなかった……?』
ブンブンと全力で首を振る仲間たちを見て、サァッと顔を青ざめさせた若者は一目散にその場から駆け出した。
その後を追うように、足を縺れさせながらも皆その場を離れた。
その日は全員無事に家に帰り着くことができたらしい。
しかし翌日、女の声が聞こえると言っていた若者が熱を出して寝込んだ。
三十九度を超える高熱が連日続き、みるみる正気を失っていった。
若者が寝込みうなされている際に、苦しげに呟いていたのはたったの二言。
───ここから出して。
───殺してやる。
ひどく憔悴しながらも虚ろに言葉を繰り返すその姿は、まるで怨念に取り憑かれた化け物のようだったという。
幸いにも命に関わる前に熱が引いて若者は回復した。
熱に浮かされていた間のことは何も覚えておらず、何百何千と呟いた言葉も記憶には残っていなかったらしい。
それ以来、旧荒守高校の廃校舎に入り女の声を聞いた者は祟りを受けると噂が広まり、好奇心旺盛なオカルト好きたちの間では、畏怖と揶揄を込めて『呪われた廃校舎』と表現されることとなった。
「………って話があるらしい。真偽のほどはさておき、オカルトサークルとしては実態を確かめに行かねば名が廃るというものだろう!」
ふっとロウソクの火を消した部長は暗幕を開けてついでに窓も開けた。
静まり返った室内に外気と日光が入り込む。
冷え切った空気を溶かしていく。
他の部員たちがこの話を聞くのは二回目なのだろう。
多少表情を強張らせている者もいるが、皆一応は承知顔だ。
「おや、千景くんはあまり怖がってはいないようだね。ホラーは得意かい?」
ホラーが得意かって?
毎日トチ狂ったオカルト狂想曲の中に身を置く本職ナメんじゃねえ。
とは言わず。
「いや普通に怖いですよ。ただ、非科学的なものには半信半疑で臨むたちなんで」
「ふむふむ。確かに君はリアリストっぽいな」
「はは」
「ではこの機会に、是非とも千景くんにもオカルトの世界を体験してもらおうじゃないか!」
「はあ…」
「あー、信じてないっすね千景先輩! 霊は本当にいるっすよ! マジ怖ぇっすよ!!」
そう熱弁してくる部長と相澤だが、霊的存在が怖いものだということは彼らより何十倍も詳しく、そして身に染みて知っている。
「では今夜は各々武装して万全の態勢くるように!」
「武装って……一体なにと戦うつもりですか」
「臣くんよ、霊をナメちゃあいけないぜ。少しでも奴らに隙を見せるとすーぐ付け込まれてしまうぞ」
「一応聞きますけど。具体的にどう武装していけばいいのかしら?」
「それは、ほら……あの……塩とか…?」
「あはは〜霊ってほんとに塩で撃退できるのかなぁ?」
「やっぱ十字架っすか! ニンニクっすか!」
なんとも力が抜けそうな会話を繰り広げる面々を微笑ましく思いながらも、千景が気にすることはただひとつ。
呪術案件か、否か。
世の人間たちが盛り上がる『心霊現象』というものに霊の存在はつきものだ。
中3の夏休みに、一度心霊現象が起こると噂されるスポットを片っ端から巡るという青春時代があったのだが、その際行った場所には九割がた霊がいた。
火のないところに煙は立たないという。
「あれ、なんかここやばくね?」と感じて心霊スポットと定めた愉快な日本人の直感は大方当たっていたということだ。
霊といってもそこに存在しているだけの無害な死霊もいれば、悪戯をはたらく動物霊、実害をもたらす悪霊や怨霊など、その場によって存在する霊は様々だった。
その中で呪術案件の心霊現象、つまりは著しく人間に害を与えるために祓う必要があると判断した悪霊・怨霊がいたスポットはそのうちの二割弱。
世に蔓延る心霊体験エピソードが多すぎて到底すべてを回ることはできなかったが、10箇所回れば1〜2回はちょっとやばい祟りに見舞われる可能性がある。
今回の一件がただの作り話なのか事実なのか。
もし事実だったとして、それは呪術案件となるのか否か。
部長の話だけでその判断をつけるのは今のところ難しい。
しかしエピソードがやけに具体的であったことと、祟られたという若者の様子を考えれば、やや怪しい香りがしないこともない。
《───…危険、なんちゃいます?》
終始肩に張り付いていた銀が頬を擦り寄せる。
誰にもその声が聞こえぬよう、会話していると思われぬよう、動物としてのごく自然な動きで。
千景の懸念を煽るように耳打ちしてくる。
これが考えすぎであればそれでいい。
思い過ごしなら思い過ごしとして「いやぁ何もなくてよかった」で片付ける。
けれどももしこの懸念が的中していたら、それはそれでいろいろとまずい。
”常に最悪の状況を想定して最善の行動をとる”をモットーとしている千景としては。
呪術が使えない今、懸念材料は少しでも減らしておきたいところ。
携帯を開いて目当ての相手を探し出す。
人数合わせと男女比調整を兼ねて千景が呼ばれた理由が意味をなさなくなってしまうが、それでもいざ危険にさらされた時に災厄を被るよりはマシだろう。
「ねえ部長さん。もう一人呼びたい奴がいるんだけど。いい?」
◇ ◇ ◇




