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怨みつらみの愉快日録  作者: 夏風邪
第二章
56/103

55 . 九家会談〈五〉



 * * *



 時を同じくして。

 ひと気のなくなった畳の間に座す女がひとり。


 行灯の明かりに淡く照らされたその横顔はどこまでも静かなものであり。

 一切の隙を感じさせない風格は、人を寄せ付けない鋭さを内包していた。



 伏せられた瞼が音もなく持ち上がる。


「お入りなさい。何の用です?」


 決して張り上げるわけでもないその声は淀みなく空気を伝播し、襖の向こうへと届く。


 掛けられた声に応じるように開かれた襖からは、杖をついた老人が現れた。


 とん、とん、と畳をつく無機質な音を数度鳴らした老人は、そのまま先客の正面へと座り込んだ。


 両者の物理的距離でいえば数メートル。

 だが互いに喉元に刃物を突き立てているような殺気を放つ。



 しばしの間沈黙が流れる。


 互いに目の前の存在は認識しているものの、両者の間に歩み寄りの精神は微塵もない。

 代わりに暗くて重い、そして相容れぬ敵意が場を満たす。



 口を開く気配はない。


 けれどもそれぞれの視線、纏う空気、無関係にも見える動作のひとつひとつで、すでに言葉以上の腹の探り合いが幾度となく行われている。


 互いが互いを認識した時点で化かし合いは始まっていた。



 長い長い沈黙。

 先に口を開いたのは女のほうだった。


「全ては水泡に帰したようね」


 嘲りを隠しもしない嘲笑が惜しげもなく言葉に乗せられる。

 

 瞬間、老人の眼光が鋭さを増した。

 

 同じ場所、同じ目線にいながらも、両者の間には確固たる差がある。

 それは勝者と敗者にも似た覆ることのない違い。



 忌々しげに奥歯を噛んだ老人であったが、こちらも負けず劣らず嘲笑をかたどった笑みを女に向けた。


「それは主とて同じことだ。わざわざ一計を案じたようじゃが、失ったものはさぞ大きかろう」


「その言葉、そのままお返しするわ。私と貴方が負った傷。さて、どちらがより重いものなのでしょうね」

 

 ふふふ、と、どこまでも品に満ちた微笑を浮かべる女は余裕そのものだ。


 だが男は知っている。

 綺麗な笑みの裏には計り知れない情動が秘められていることを。


 残念ながら、古くからの付き合いがあろうとその委細を把握できた試しはないが。



 久方ぶりに二言三言交わしたことで、互いに相容れぬことを改めて認識した二人。


 これ以上の睨み合いは無意味だと察した老人は早々に立ち上がった。

 忌々しげに女を視界から外し、そのまま杖を鳴らして襖を引く。


「必ず、その座から引き摺り下ろしてやろう」


「五十年も前からずっとその時を待っているのだけれど?」


「そう急ぐでない。心配せずとも、望み通り蹴落としてやるわい」


「楽しみにしています」


 振り向くことなく部屋を出て行った老人が最後に残した「……女狐が」という言葉は、しかと女の耳にも届いていた。




 広くもなく狭くもない室内。

 行灯に照らされた女の影はゆらゆらと楽しげに揺れる。


「望んだ結果とはほど遠いけれど、これもまた一興。いずれあの子も、必ず私のものとなるのだから」


 誰に聞かせるわけでもなく、そう遠くない未来を女は予言する。


 頭の中に思い浮かべるはひとりの人間。

 傲然と人を見下す生意気な表情で、その綺麗な顔に歪んだ笑みを乗せる。

 それはまるで、すべてを見透かしてほくそ笑む悪魔のように。

 



 密談場所と化したこの部屋で、杖をついた男───七々扇(ななおうぎ)佐兵衛(さへえ)が呟いた戯言を知る者はただ一人のみ。


 そしてその人物、綴楽崎(つづらざき)千乃(ゆきの)の囁きを聴けたものは誰もいない。



 

 術師を統括する根幹組織である『術師会』。


 その内で渦巻く謀は実に多様で複雑で。

 何千何万もの糸が絡まり合うようにして膨張していく思惑は留まるところを知らず。


 その全貌を把握できる者は今や誰一人としていない。


 術師会の実権を握る権力者であろうとそれは一様に───。




 ◇ ◇ ◇



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