44 . 頼るべきはマル秘の呪具
「ああ、言い忘れてたけど。私いま呪術使えないから」
「…………は?」
なんの脈絡なしに、千景は結構な暴露をあっさり告げる。
変に期待される前にこういうことは早めに言っておくに限る。
案の定、いきなりの暴露に無表情を崩して眉根を寄せる七々扇。
世にも珍しい青玉から放たれる鋭い眼光は、容赦なく千景を突き刺す。
(おお、美丈夫の冷視線はやっぱ怖さ倍増だわ……)
場違いにもアホなことを考える千景だが、そもそも眉目麗しい人間との会話に慣れきっているため、臆することはない。
というか千景の場合、人の見た目云々以前に、誰かに臆することなんて滅多にありはしないけれど。
「いやね、この前ちょっとした厄介事に片足突っ込んだら呪力取られちゃったんだよ。そのうち戻るかなって思ってたんだけど、その兆しも一切ないし。ほんと困ったもんだね」
「呪力奪われた時点でちょっとした厄介事の域を超えてるだろ」
「はは」
「そんな状態でどう悪霊に対処するつもりだ」
「大丈夫だよ。無力は無力なりに頑張れるから」
お助けアイテムを求めてポケットに突っ込んだ指先が硬いものに当たる。
先ほどバッグの中身を確認した際、なにかに使えるかもとポケットに入れておいてよかった。
「これなーんだ」
取り出されたのは小さな小瓶。
中身が見えないよう黒く塗り潰されている点を除けば、百均にでも売っていそうなコルクで封をしたただの瓶に見える。
「呪具か」
「正解」
けれども当然ただの小瓶ということはなく。
呪具は呪具でもネームバリューが付きすぎた、とにかく付加価値満載の激レアアイテムだ。
「なんでも魔封じの小瓶らしいんだけど。これ使ってあの悪霊を……」
「ちょっと待て」
千景が持つ呪具をどこか胡散臭げに見ていた七々扇であったが、ふとした瞬間に表情が険しくなった。
(おお、意外と表情豊かじゃん)
伸ばされた手に呪具を乗せる。
途端に変わった七々扇の顔つき。
そこから察するに、考えられる理由はひとつしかない。
(”印”でも見えちゃったかね)
その推察通り、瓶の底に刻まれたものをまじまじと眺める七々扇。
驚いている、というよりは、本物かどうか疑っているみたいだ。
千景にとっては特別でもなんでもないただの代物。
けれどもやはり、呪術を扱う人間ならば誰しもソレに大きな価値を感じるらしい。
天才と謳われる術師も例外なく。
「おい、まさかこの呪具……」
「一応言っとくけど本物だよ。贋作とかそんな陳腐なものじゃないから」
「どうやって手に入れた?」
「もらったんだ。本人に」
瓶の底に刻まれるのはひとつの文字。
達筆というか崩されすぎたというか、独特の書き方をされたその文字は初見で解読するには難しすぎる。
ともすれば何かの記号にも見えるその印が表す文字、意味するものを正しく知る者は少ないだろう。
そんな意味不明なものでありながら、けれどもたぶん術師の間では最も広く浸透している像。
「ふふ、お前は知ってんの? それ、なんて書いてあるか」
「ああ。直接本人から聞いた」
「へえ。なんて言ってた?」
────『使いたい奴は使え。望みは叶えてやる。ただし、呪い殺されることを覚悟しろ』。
「はは、そんなこと言ってたんだ」
あまりにもあの人らしい言い分に思わず笑ってしまう。
この呪具に書かれているのは『叶』と『呪』の二字を重ねてひとつにした字。
描き手が勝手に作り出した、いわゆる造語だ。
意味不明すぎるこの字を自身の象徴として操る人間は、この世でただ一人────叶堂紫門だけだ。
「てかあの人、何かっこよさげなことをさも当然のうようにほざいてんだか」
「あの男の知り合いなのか」
「んー、まあね」
馴れ合いが嫌いな紫門は、自身の庇護下にある叶堂の術師にしか情を与えない。
表舞台になんて滅多に出てこない。
術師業界を牛耳る術師会の呼び掛けにすら気が向かなければ応じない。
にも関わらず、その名と実力、冷酷無情という事実だけがやたらと知れ渡っているのは、ある意味この文字に起因しているのだろう。
この印が入った呪具が出回る数は圧倒的に少ないのに、その性能には絶対的な信頼がある。
だから見習い術師であろうと一人前術師であろうと、紫門の作った呪具を求める輩は後を絶たない。
呪術を扱う上では切っても切り離せない呪具の存在。
術の完成度に直接関係するものだからこそ、より良いものを欲しがるのは当然の心理だ。
「というわけで、何様俺様当主様特製安心安全品質保障付きのこの呪具に悪霊を封じようと思う」
「その前に俺はこの呪具をもらった経緯を知りたい」
「それは内緒。機会があったら教えてあげるよ」
何かと鋭そうな七々扇のことだ。
千景と紫門の関係性くらい薄々勘付いていそうなものだけど。
ちなみにひとつ訂正しておくが、紫門がこの印に込めた意味はあんなかっこよさげなものなんかじゃない。
というかこの印に意味なんてない。
その昔、たまたま紫門が書類に署名をしようとしていた時に、たまたまその傍らで延々と呪いの文言を口ずさんでいた奴がいて。
それを紫門が口で添削しながらペンを走らせたばっかりに、名前の一文字目である『叶』と脳内を占めていた『呪』の字が融合して新たな一字が生み出されたというだけのこと。
そんな経緯で生まれたその字をノリと気分で呪具に印しただけ。
だから決して深い意味があるわけじゃない。
この日のおかげで、今に至るまで、呪文を完璧に暗記した千景が言うのだから間違いない。
当事者しか知らないこんなアホな話は紫門のパブリックイメージに反しそうなので、一生心の内に秘めておこうと思う。
手元に魔封じの呪具が戻ってきたのと同時に、一気にこちらに距離を詰めてくる気配がひとつ。
どうやら猶予も尽きた。
悪霊のお出ましみたいだ。
「一応言っておくが術師会の方にも注意しておけ。厄介なのが二人来てる」
「それって強いって意味で?」
「それもある。が、とにかく喰えない」
「はは、どんどん状況悪化してくじゃん。こりゃ早いとこ終わらせないと本格的にヤバくなりそうだ」
「すでにやばいと思うがな」
「うっせえよ。んじゃ結界のほうは任せたよ」
「ああ」
軽く頷いた七々扇はすでに無表情。
先ほどまでの眉根を寄せた表情がなんとも懐かしい。
「さて、やりますか」
右手には呪具。
首元には朱殷。
傍らには銀。
こちらも完全装備を整えた千景は、周囲に術師会連中がいないのを確認し、建物の影から飛び出した。
(つっても、私はほとんど人任せだけど)
なんの利害の一致もなければなんの意味もない。
この場限りで結ばれただけの協力関係。
しかしこの判断が奇しくも互いのその後の人生の分岐点となるのだが、この時点でそれがわかるほどの予知能力は、さすがの二人も持ち合わせていなかった。




