39 . 塵は塵
挑戦せずして現状を受け入れるのもなんだか癪だ。
いったん結界からの脱出を試みることにした。
二枚の符を観察し、空中に張られた結界に触れぬよう細心の注意をはらい。
そして諦めた。
「これは無理だな」
誤解のないように言っておくが、この結界を解くこと、または通り抜けること自体は造作もない。
ただ、それをしてしまうと確実に術者に感知される。この場に自分がいたという痕跡を残してしまう。
ついでに言えば、朱殷と銀の存在も掴まれてしまう恐れがある。
多少危険でもこの場に残ってやり過ごすことと、結界を出る代わりに自らの痕跡を残してしまうこと。
術師会に自分の存在を印象付けたくない千景にとって、避けなければいけないのは後者だ。
他の出入り口は無事である可能性に賭けて奔走してみる手もあるが、すでに園内には多くの術師がいる。
状況的に考えても、無闇に動き回るのは得策ではない。
もし途中で誰かに見つかってしまっては本末転倒だ。
そもそも園内を包み込むようにして張られた結界の形状からして、地上も空も安全と言える出入り口はないと考えたほうがいいだろう。
とりあえずしばらくの潜伏場所として、出入り口からほど近い茂みに身を隠すことにした。
こんな天気の良い真昼間から立派な日本庭園でなにをやっているんだろう。
なんて、至極真っ当な感想を抱かなくもないが、それを気にしてしまっては虚無感が勝る。
これを意味のある時間にするためにも、まずは今持てる防衛手段の確認から始めることにした。
紫門からもらった呪具を一通りバッグから出して並べてみる。
せっかく志摩のために頂戴したアイテムだが、如何せん千景の現状も相当なものだ。
なんせ呪術が使えない上に、術師会連中が張った結界内に閉じ込められてしまったのだから。
多くの術師と、なにやら禍々しい霊的存在も一緒というオマケ付きで。
バッグに詰め込まれていたのは、護符、魔除けの石、魔封じの小瓶、藁人形、その他諸々のレアアイテムたち。
とりあえず護符や魔除け関係のものは必要ない。
木箱に入れて朱色の風呂敷に包んだままの状態でバッグに戻す。
これらは持っているだけで効果を発揮してしまう代物だ。
裸のまま持ち歩いていては、志摩に渡す前に黒く染まってしまいそうだ。
適切な管理方法で外界に触れないようにしておく必要がある。
次に、魔封じの小瓶。
これは文字通り悪霊や悪魔などの邪な存在を封じるための呪具だ。
何かと使えそうなのでそっとポケットに忍ばせておく。
次に、藁人形。
呪いの本職である術師とセットにしてはいけないアイテムだ。ご丁寧に釘も一緒に入っていた。
紫門か怜が遊び半分で入れたのだろう。
どうせなら打ち付けるものも欲しかったと思いながら、取り出しやすい位置に戻した。
他にも人型符やら数珠やらいろいろ入っていたが、今回出番はなさそうだ。
「さて、と。これからどうするかねえ」
とはいえ、終始傍観者に徹するのが千景の方針だ。
無力な一般人の分際ででしゃばるつもりは毛頭ない。
だが、面倒なことに術師は絶えず園内を行き交う。
しかも増援として少しずつ人数が増えている。
こうなれば、術師会に見つかるのも時間の問題かもしれない。
「あー…めんどくせ……とりあえず銀は気配感知よろしく。悪霊のは私も感じるから大丈夫だと思うけど、人間のはちょっと厳しい。できれば術師会の人数とか動向とかもつかめれば良し」
《任しときぃ》
「あとは、万が一襲われたときのことだけど……ねえ朱殷──」
そこでふと、朱殷がどこかをじっと見ていることに気がついた。
視線の先。
もちろん目視できる範囲に何かがあるわけではないが、そのずっと先にいるのは、未だ気配でしか捉えていない事の元凶。
突如舞い降りた悪霊だ。
「何か気になることでもあった?」
《……いや》
「そ。じゃあなんかあったら教えてね」
《ああ》
それっきり朱殷は黙り込む。
千景にも関係するようなことであればいずれ言ってくるだろう。
(まあ、こいつが黙り込むのはいつものことだけど)
バッグのポケットから園内パンフレットを取り出す。
こんなに広い庭園だ。
地図でもあった方が少しは心強いというもの。
「えっと、今いるのがここだから……」
スマホの現在地情報とマップを照らし合わせながら、周囲の情報を頭に入れていく。
こうして紙面で捉えればどこも近いように感じるが、実際に歩けばそこそこの距離があるのだろう。
木々や建物、ちょっとした丘陵などもある。身を隠すにはちょうどいい。
「ああ。ここやね」
全体像を把握するために園内マップを目で追っていれば、スッと入ってきた指が一際大きな池を指す。
「この池の中の陸地。悪霊がおるんはここみたいやわぁ」
いつのまにか人姿になっていた銀が悪霊の正確な位置を教えてくれる。
「その池囲むように術師がいてはるわ。数は十五人ちょいやね。ほんで各出入り口に二、三人ずつ。あとは全体的に散らばっとるなあ」
「え、あそこの入り口にも? さっき近くまで行っちゃったんですけど…」
「あん時はいいひんかったさかい問題あらしまへんよ。今は中から見えん位置取りで上手う身を潜めてますわ」
「どのみち事が片付くまでは園内から出られないってことか」
術師会の目的は当然悪霊の対処だろう。
今のところ悪霊は大人しくしているが、いつ動き出すかわからない。
その気になれば一般人への被害も大きなものになるはず。
むしろまだ被害が出ていないことの方が奇跡に近いくらいだ。
加えて、人が集まるこんな場所を長時間閉鎖するわけにもいかない。
ある程度はお偉いさん連中で上手いことやるんだろうけれど、長引けば長引くほど、表世界の人間に術師のことを知られる危険性が高くなる。
術師会が悪霊を祓うつもりなのか封印するつもりなのかは知らないが、刻一刻とリスクが積み重なっていく現状をさっさと収束させたいのは確かだ。
「だけど、そう上手くいかないのが現実ってもんだよねえ」
千景の読みでは、この事態はそう早くは片付かない。
今現在園内にいる多くの術師の力とたった一体の悪霊の力が釣り合っていないから。
つまり強すぎる悪霊を対処できるほど術師に力がない。
数では上回っている術師がすでに悪霊を取り囲んでいるというのに、未だなんら手を打っていないのがいい証拠だ。
千景の感覚からしても今回の悪霊は相当だ。
驚きを口にする機会を今まで逃しに逃してきたが、なぜこの時代にここにいるのか意味がわからないほどにはやばい。
この世にはどんなに強大な相手であっても数で対処できることは多々ある。
けれども呪術の世界に限っては、質が伴わなければどうにもできないことのほうが多い。
塵も積もればなんとやら、なんて理論は通用しない。
気合いとか諦めなければとかそういった根性論もまるで意味がない。
圧倒的な力の前には、同じく圧倒的なチカラでしか対処できない。
いくら量を集めようとも質がなければ塵も同然なのだ。
だから術師が力に固執するのも当然といえば当然のこと。
実力主義のこの世界では、弱者は淘汰されて然るべき存在としてしか認識されないのだから。
今この場にいる術師は別に弱くはない。
けれども決して強くもない。
ゆえに圧倒的な悪霊の前ではどうすることもできない。
「……あーあ、無駄に長引きそうだ」
悲しいかな、無駄に達者な千景の予感は見事的中することとなる。




