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怨みつらみの愉快日録  作者: 夏風邪
第一章
38/103

38 . こういうこともあるよね




 * * *




(あれ、今なんか……)



 ふとした拍子に感じた”なにか”に、千景は首を傾げた。


 だがそれも一瞬のこと。

 気のせいとして処理された第六感を、それ以上疑問に思うことはなかった。



 木製ベンチに腰掛けた千景は、波紋ひとつない池をぼんやり眺める。

 まるで鏡のような水面に映り込んだ風景は現実と虚像の境界をいとも容易く曖昧にする。


 太陽に照らされた明るい景色も風情があるが、真夜中月明かりを受けて輝く姿もさぞ一興だろう。


 喧騒から離れたこの場では、誰もが自然を感じ、その営みを愉しんでいた。

 それは千景とて例外ではなく、こうして数十分、池のほとりでただひたすらに日本の四季と向き合っていた。


 ぐっと両腕を伸ばして清らかな空気をいっぱいに吸い込む。

 吐き出した息とともに、体内の毒素もすべて浄化されていくようだ。



 こうしてのんびりしていると、叶堂本宅を訪ねたのも随分と前のことのように感じる。


 実際はほんの数時間前の出来事。

 しかし感覚としては半日は経過している。


 はるばる京都まで来たのだからこのまま帰ってしまうのも味気ない。

 なんて考えていたのがつい先ほどのことだ。


 行きたいところはいくつもあるが、神社仏閣を巡っていたのでは、いつもの京都旅行となんら変わらない。

 せっかくだから府から県へと移動してみようと冒険者の気持ちになり。


 ということで今回は趣向を変えて、日本海側に面する某県の日本庭園に足を運んでみたのだった。



 鳥の囀りを乗せたそよ風が柔らかく頬を撫でる。

 天気が良く、穏やかで、まさに長閑という言葉を体現したような場所。


 だが千景は知っている。


 嵐の前の静けさという、自分の中ではやけに信憑性のある文言を。

 出先でいつもとは違う空気を吸って安寧を感じているとき、必ずと言っていいほど厄介事に巻き込まれる自分の天命を。



 思い立ったが吉日。

 善は急げ。


 こういうときは深く考えず、本能に従うに限る。


 だから、視界の端に映った銀の耳が愛らしくピクリと動いたことなど知らないし見ていない。



《なあ。千景はん》


「さて、帰ろうか」


《あんさんの期待通りかもしれへんけど》


「期待なんてしてないよ」


 千景はこれから起こる事の顛末が大体読めてしまい、げんなりする。


 今の銀の姿はただのもふもふ狐だが、間違いなく喉を鳴らして笑っている。

 動物の姿は人姿よりも感情が伝わりづらい。

 それでも、目を細めて笑っているのだけはよくわかる。



《ククッ、何か来はりましたわ》



 無情にも告げられた現実。

 溜め息を吐かずにはいられなかった。


 まもなくして、どす黒い霊力を撒き散らす災厄が園内に舞い降りた。







 ───ピンポンパンポーン。



『──…園内にお越しのお客様にご案内です。ただいま、園内にて不審物が発見されました。大変申し訳ございませんが、万が一に備えまして、本日の営業を終了させていただくこととなりました。お客様は係員の指示に従い、慌てずゆっくり避難・退園していただきますようお願い致します。繰り返します。ただいま──…』



 来園者の避難を促すアナウンスが園内に響く。



 霊や術師の存在は表立って知られているわけではない。


 視えない一般人からしてみれば、それらは無縁の存在だ。

 その存在を知らなければ”呪術”という概念にたどり着くこともない。


 多くの人々が日常的に行なっている祈祷やお祓いは、一応呪術に分類されているものの、それはあくまでも日本人の民族的習慣に過ぎない。

 実害さえなければ術師に頼る必要はなく、広く大衆を相手にしている神社や寺院に行けばある程度は解決するだろう。



 術師の存在を認知しているのは、一部の視える人間と国の権力者、ごくわずかな一般人、あとは呪いの力を欲する私利私欲にまみれた人間くらいのものだ。


 術師側としても存在を公にするつもりはなかった。

 あくまでも自分たちは日陰者、裏の世界を生きているのだという自負がある。



 だからこうして人目につく公の場で問題が発生したとき、もっともらしい理由をつけて真っ先に場を統制し、一般人に知られぬよう対処にあたる。


 おそらく園の職員にもこの事態の説明はなされていないだろう。


 お偉いさんの判が押された命令書が届いたか。

 あるいは大金を握らせて対応を強制させたか。


 どちらにしろ、国の文化財に指定されるこんな場所では術師の一存で事は起こせず、国の介入は必然となる。





「相変わらず対応が早いことよ」


 突然の退園案内に、不満や困惑を感じる人も多いように見える。

 だが、なんとなくでもただならぬ空気を感じ取った彼らは避難訓練の如く従順に指示に従う。



(まあ、こんなに瘴気撒き散らしてるし。そりゃパンピーでも気づくよな)



 かくいう千景もただの一般人として人波に混ざり、我関せずの態度を貫いていた。


「これってやっぱ術師会が絡んでんのかね」


《そうやろな。また厄介なもんに巻き込まれてしもうたなぁ》


「ほんとだよ。とっとと退散するに限るね」


《そんなん言うて、少しは興味あるんちゃいます?》


「……………」


 猛烈な瘴気を感じ取ったというだけで、姿が視える距離にソレがいるわけではない。


 それでも突然やって来た、明らかにやばい”なにか”。


 千景の中では、厄介ごとに関わりたくないという意思と、未知のものに対する興味がせめぎ合っていた。


 けれども今回ばかりはその興味が身を滅ぼす気がしてならない。

 今はただの一般人である上に、あのいけ好かない組織案件であるのが目に見えている。深入りは厳禁だ。


「否定はしない。けど、今回はダメだ。今日は早く帰れって占いのお姉さんが言ってた気がする」


《そんなん微塵も信じてへんくせによう言うわ》


「だまらっしゃい」


 軽口を叩きながらも意識の端では”なにか”の気配に注意を払うことを忘れない。


 なぜ早々に暴れ出さないのか。

 なぜ逃げていく人間に手を出さないのか。


 疑問に思うことは多々あるが、ああいう存在の行動理由など、考えるだけ無駄だ。



 どうせ今後会うこともないんだしと楽観的に構えていた千景であったが、やっと出入り口付近まで来て、その足を止めざるを得なくなった。


「おっとー……あれはまずい…」


 千景が出ようとしていた出入り口の両脇の木。

 そこに貼られた二枚の符と、その木の陰に隠れるようにして身を潜める和装の人間。


 遠目に見えた符に描かれた模様から大体の使い道は読める。

 あれは間を通るものの霊力と呪力を感知する歴とした呪術の一種だ。


 さしずめ霊が人に紛れて逃げないための予防線。

 もしかしたら役に立ちそう、もしくは組織に引き入れられそうな力を持った人間の発掘という打算も含まれているのかもしれない。


 この一石二鳥も三鳥も狙った抜け目のないやり口が、実にらしい(・・・)


「さっすが術師会。ムカつくほど厭らしいねえ」


 さりげなく人波から外れて草木の陰に入る。


 あの呪符の間を通ってしまったら、千景が霊力を持った人間だということに気づかれてしまう。

 呪術を使えずとも霊力は消えていないのだから、反応はあるはずだ。


 それだけでも十分厄介なのだが、その上朱殷と銀の気配を感知でもされたらまたまた面倒なことになる。

 

 幸い見通しの悪い庭園内では、身を隠す場所はいくらでもある。

 これは連中が場を離れるのを待って、こっそり抜け出すしかない。



 だがこの時、やはり千景は忘れていた。

 自分がことごとく運命に嫌われているのだということを。




 園内から一般人が避難すれば、今度は入れ替わるように術師が入ってきた。

 禍々しい気配の方へと慌ただしく駆けていく後ろ姿を見送ってから、千景は出入口へと走った。


 だがしかし、一歩遅かったようだ。

 千景の思惑を嘲笑うかのように、寸前のところで園内と外を隔絶する結界が張られ、あと一歩のところで結界内に閉じ込められてしまった。


「……………やば、詰んだ」


 心の奥底から漏れ出た溜め息は、虚しくも晴天の空に呑み込まれていった。



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