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怨みつらみの愉快日録  作者: 夏風邪
第一章
36/103

36 . 叶堂



 紫門も怜も、千景にとっては歳の離れた兄のような存在だ。

 普段から気安く接しているのだが、今回ばかりはさすがに少々畏る。


 正座に徹していた千景の脚がピリピリと痺れる。

 そろそろ限界だと強かに訴えていた。


「なるほどな。言いたいことは腐る程あるが、とりあえずテメェが考えなしのアホだっつうことはよく分かったぜ」


「うっ、ごめん」


 いつもなら口の悪い紫門に負けず劣らず軽口で返すのだが、今回は千景が軽率な行動をとったために招いた状況だ。

 その結果として他者にも迷惑をかけてしまっているため、多少メンタルが脆くなっている。


 そこに紫門の口撃はよく効く。

 決して本気ではないと分かっている。揶揄いの要素が多分に含まれているとは分かっているのだが、それでもチクチクと刺さる。


 だから少しだけ、いつもより少しだけ多めに、沈んだこの感情を素直に表情に乗せてみた。


 千景をより深く理解している人ほど、この微かな違いに心揺れることを知っているから。


「………チッ…しゃあねえな。なんでも協力してやるから、クソガキの分際であんま深く考え込むんじゃねえぞ」


「紫門さん大好き…!」


 紫門とて千景とは長い付き合いだ。その思惑にも当然気付いている。

 そもそもこの手の誘導に乗るのは何も初めてではない。


 それでもやはり千景のこの表情には弱いのだ。


 身内であろうと普段から決して弱みを見せないような人間が素直に感情を顔に出す。


 たとえそれが故意であれ無意識であれ、その感情こそが千景の本心だと紫門は知っているから。

 親しい人間からの厚意や優しさを無闇に弄ぶような人間ではないことを知っているから。


 結局は千景に”優しいひと”と形容されることになるのだ。


「護符は今すぐ用意してやる。怜」


「ああ」


 目配せひとつで諸々の指示を受け取った怜は、そのまま部屋を出て行った。



 改めて紫門と向き合った千景にすでに緊張感なんてものはない。

 同じく、紫門の方にも”冷酷無情の男”と恐れられる術師としての一面はなかった。


「その引き寄せ体質っつうガキのことはよく分かったが。オマエの方はどうなんだよ」


「どうって?」


「危険はねえのかって話だ。元がどうであれ今はただの一般人だろーがよ」


「ああ、そこ。私は大丈夫だよ。守り神くんたちがついてるからね」


 誰のことを言っているのかすぐに察した紫門は笑みを浮かべながらも、苦々しく眉根を寄せた。


「銀はいい。そもそもウチから遣ったヤツだしな」


「そうだね」


 千景の傍らで気持ちよさそうに丸まっている銀は、元々叶堂家が使役していた狐だ。それを千景が貰い受けたのがおよそ十一年前のこと。


 元々叶堂の本宅住まいだった銀には数年ぶりに訪れたここの空気はよく馴染むのだろう。


「だが、問題はその蛇だ。守り神っつうか、ソイツそのものが呪いの化身じゃねえかよ」


「酷いなあ。私のカワイイ相棒なんだけど」


「今更ごちゃごちゃ言ったって仕方ねえってわかっちゃいるが……ったく、いつの間にか変なモン拾ってきやがって」


「昔の話じゃん。みんなに迷惑はかけないからそんな気にしないでよ」


「そういう問題じゃねえんだよ」


 朱殷も銀も、千景がまだ小さかった頃から側にいた。

 けれどもこの二匹は、千景のそばにいるようになった経緯も年月も、その存在すらも全く異なるのだ。


 だから紫門は憂慮する。

 朱殷という白蛇の存在を。


 いや、これは憂慮なんて生易しいものではない。


 危惧。警戒。厭悪。


 危険すぎる白蛇を紫門はいつだって排除しようと目論んでいる。

 それをすれば千景が確実にキレることを分かっているから実行しないというだけで。



 紫門が朱殷を厭うのと同じように、朱殷もまた、紫門を含む術師、ひいては人間に対して憎悪とも嫌悪とも取れる根深い念を抱いている。


 だから面と向かって敵意を向けられれば、こうしてのそりと鎌首をもたげる。



 互いの殺意が交差し、一瞬にして場が張り詰める。

 お互い視線だけで簡単に人を殺せそうだ。


 体感としては確実に10℃は空気が冷え込んだ。



 物騒なオーラを纏う一人と一匹。

 それに挟まれた千景は、悠々と先ほど怜が淹れてくれた茶を啜る。

 

 殺伐とした空気にそぐわず随分と呑気な千景だが、そもそも千景と紫門が顔を合わせるたび、必然的に朱殷と紫門が顔を合わせるたびにこうなるのだから、今更気にも留めない。


 互いに相容れない存在を思う存分威嚇し、気が済めばそれぞれ無関心に戻るのもいつものこと。


 はたから見れば恐ろし過ぎて竦み上がるような光景も、千景からすればただのBGMに過ぎなかった。



「…またやってんのか。相変わらずだな」


「いつものことだけどね」


 木箱を抱えて戻ってきた怜は胃が痛くなるような光景に、やれやれと首を振る。


 この男もまた、紫門と朱殷の険悪な空気に何も感じなくなっている人間のひとりだった。


「ほらほら、二人とも落ち着いて。睨み合うのはいいけど自分の力と場所を考えてもらわないと困るよ。異様な殺気にうちの術師たちが怖がってるんだから」


「チッ、邪魔しやがって」


 パンパン、と両手を叩いて場を収める怜は手慣れたものだ。


 第三者の介入に毒気を抜かれた紫門は怜をひと睨みし、いつもの不敵な態度に戻った。


 朱殷ももうようなないとばかりに千景の肩に頭を預け、臨戦態勢を解いた。



 怜が木箱の中身を座卓に並べる。

 

「当然ウチの連中が作ったモンでも品質は保証するが、喜べよクソガキ。今回は俺様特製のをくれてやる。長持ちすんぜ」


 ニヤッと悪い笑みを浮かべた紫門は、身内から見ても涙が出るほどかっこよかった。

 とりあえずその血が自分にも入っていることを千景は全力で喜んだ。


「ありがとう紫門さん。有り難く頂戴します」


「おう、存分に使えや。そこらの有象無象には勿体ねえ代物だぜ」


 元来、叶堂家は結界や呪符・護符、呪詛返しといった防御系統の呪術に長けた家系だ。


 この業界でも『叶堂』という名は一種のブランドとなる。


 ただ、群れることを嫌う一匹狼気質の叶堂の手製品が他家の術師に渡ることなど滅多にない。

 だから叶堂の名がつく呪具や呪符は、プレミア級の超レアアイテムとして広く認知されていた。


 

 そんな品々をタダで、しかも叶堂の当主が直々に手掛けた質の良い激レア品を貰えるのだから、やはり身内という肩書きは偉大すぎる。


 その有り難みを千景がどれほど理解しているのかは定かではないが、「転売したらとんでもない額で売れるんだろうなあ」と真顔で呟くあたり、余すことなく理解していそうだ。



 よいしょ、と値千金のアイテムを詰め込んだバッグを肩にかけて千景は立ち上がる。

 

「もう帰んのかよ」


「ゆっくりしていきたいところだけど、あんま長居するわけにもいかないから」


「気にし過ぎ……とは言えねえな。神経質なくらいがちょうどいい」


「うん」


「定期的に来いとは言わねえが、たまには顔ぐらい見せろよ。ガキ連中も会いたがってる。生憎今日は出払っちまってるがな」


「えーいないんだ。てことは和茶(かずさ)も?」


「ああ」


「今日千景が来るって知っていたらみんな外になんて出なかっただろうけどね」


「久々に会いたかったのに……」


 しばらく顔を見ていなかった一見大和撫子風の凜とした友人を思い浮かべる。

 紫門への用事の傍ら、叶堂本宅へ行けば久々に会えるかもと密かに期待していただけに残念感が募る。


 だがいないものは仕方がない。

 今回はタイミングが悪かったと諦める。


「じゃあみんなによろしく言っといて。いろいろありがとう」


「おう。簡単におっ死ぬんじゃねえぞ」


「ほんと気をつけるんだよ」


 過保護気味な大人二人の優しさに言葉が詰まる。

 いつもなら問題ないと言い切るところだが、今は状況が状況なだけになんとも言えない。


 千景はとりあえず返事がわりに曖昧な苦笑いを浮かべておいた。



 ◇ ◇ ◇ 



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