35 . 助力を求めて
なんやかんやで山神に関わってしまったあの一件からすでに一ヶ月。
呪力を失い、一般人以上術師未満となってからすでに一ヶ月。
本日星座占い一位のはずの千景は盛大に嘆いていた。
「…あー…呪力戻んねえー……」
生まれてこのかた、当たり前にあると思っていた力がうんともすんとも言わなくなり、千景は少なからず危機感を覚え始めていた。
勘違いしないで欲しいのだが、千景自身が霊を相手に対処法を持てないことが問題なのではない。
むやみやたらと霊及び厄介事を引き寄せてしまう某金髪を護る術が尽きてきた、というのが問題なのだ。
千景は普段から護符の類をいくつも自宅の神棚に常備している。
それが少なくなればまた作るという工程を繰り返す。
術師が作る護符とは、そもそも魔除けや身代わりといった効力を重視したものであり、霊力とは似て非なる呪力を込めて作るのが一般的だ。
つまり符作製は呪術の一種と言える。
類似品としては神社で売られている御守りなどがあるが、効力や実用性は全くの別物だ。
千景ら術師が作る護符はそれらの上位互換と言えるだろう。
しかし千景に呪力が無い今、その護符を作ることが出来ない。
需要は相変わらず湧き水の如くあるというのに、全く供給ができていないのだ。
幸いにも、元々千景が護符を作るようになったのは、そのほとんどが志摩のためだ。というか志摩以外の使用目的はあまりない。
だから他に被害を被る人がいないのは唯一の救いと言える。
だが問題である志摩は、ただ毎日を過ごすだけで順調に護符を消費してしまう厄介な体質持ち。
決してそれが悪いと言っているのではない。
それを承知で『護ってあげる』と約束したのだからそこに文句はない。
供給が完全にストップしてしまっている今、護符のストックが減っていくのも必然。底が尽きるのも時間の問題だ。
千景に出会うまでは志摩も自力で生きていた。
だからたとえ護符がなくとも大して問題はない。と、理論上ではそうなるが。
しかし往往にして状況が変化するのが諸行無常のこの世界。
志摩がいかに引き寄せ体質か、そしてタチの悪い霊の怖さを知っている千景だからこそ、都合の良い楽観的な憶測で、厄介なこの世界に無防備な志摩を放り込むなんてできるわけがなかった。
そんな志摩の危機的状況について、千景が思うことはひとつ。
(ただひたすらに申し訳ない…)
志摩に神の代償が降りかからなかったことに安堵したのも束の間、このままではやはり千景の行動のせいで大きな不利益を与えてしまう。
懸念はすぐそこまで迫っているというのに、自分には何もできないというどうしようもない情けなさ。
それをひしひしと実感しているからこそ、千景は今こうして、此処を訪れているのだ。
微かに湯気が立つ煎茶を啜りながら、開け放たれた襖から立派な庭を眺める。
眩しいほどの太陽が綺麗に手入れされた緑を明るく照らす。
傍の池ではちゃぽんと鮮やかな色合いの錦鯉が跳ねる。
静かな空間に時々響く水音がなんとも心地良い。
この客間まで案内してくれたのは、二度目の対面となる青年だった。
少々お待ちください、と、去り際に庭側の襖を開けたままにしてくれた気遣いには好感度しかない。
それもおそらくは『あいつは庭を眺めるのが好きだから』という、此処の誰かの入れ知恵だろうことは容易に想像できた。
手持ち無沙汰に千景は湯飲みの淵をなぞる。
その左手首では、シャラン、と青緑色の石が小さく揺れた。
ターコイズ。
別名、トルコ石。
美しいターコイズブルーの石はその昔、神や天の力が宿った聖なる石として神聖視されていた。
自然や精霊と繋がることができるとも信じられていたという。
そのためターコイズには邪悪なものを退けるパワーがあるとされ、現在でも魔除けや悪縁切りの御守りとして広く浸透していた。
これを贈ってきた相手に果たしてそんな洒落た意図があるかは甚だ疑わしい。
しかし現在の千景の状況を鑑みれば、なんともタイムリーな贈り物だった。
ただし、本職からすればこんなものはただの気休めでしかない。
なんなら本人が直接来てくれた方が何十倍もありがたかったというのが本音ではあるが。
ターコイズの主な原産国は中東や南アジアだったはずだ。
このようなアクセサリーは国内外問わずどこでも買えるが、変なところで変なこだわりを見せる贈り主のことを考えれば、これはきっと本場で買ったのだろう。
加えて、これに同梱されていたのは某島の代表土産であるマカダミアナッツチョコレート。
そして北欧味を感じる謎の雑貨品。
もはや国の統一感などどこにも見当たらないことに驚きはないが、千景の記憶が正しければ、この贈り主はヨーロッパ旅行と称してアメリカ、シンガポール、エジプトに行っていたはずだ。
にも関わらず土産物はこのラインナップ。
はてさてどこに疑問を持ち、どこからツッコめばいいのやら。
愉快すぎる奇人の行動はとても常人には推し量れないということだけは改めて理解させられた。
それからしばらくして、再び青年が戻ってきた。
促されるまま案内されたのは、もっと奥まった場所にある一室。
「失礼します。お連れ致しました」
襖の前で足を止めた青年はその場で膝をつき、緊張した面持ちで向こうにいる人物に声をかけた。
刻み込まれた上下関係。
それだけで室内に誰がいるのか容易に想像がつく。
音もなく内側から襖が開き、スーツを着た男が姿を見せた。
「いらっしゃい」
千景の顔を見るなり、男はニコリと笑みを浮かべた。
招かれるまま部屋に入ると、いの一番に上座に座す人物に視線が向いた。
此処の人間はおそらく、この人が纏うピリピリと肌を刺すような空気に緊張を覚え、鋭い双眸と目が合えば無意識のうちに息を呑み、その存在感に本能的に跪きたくなることだろう。
そんな絶対的支配者であったとしても、千景にとっては面倒見の良い大好きな人物であることに変わりはない。
「久しぶり。紫門さん」
着物を纏う大人の色気たっぷりな美丈夫、叶堂紫門。
呪術業界でも屈指の実力を誇る叶堂家の当主でありながら、個人としてもトップクラスの術師に数えられるこの男。
その実、千景が幼少期から遊んでもらっていた親族であり、正真正銘血の繋がった叔父にあたる人間だ。
「よォ、会いたかったぜクソガキ」
こうして顔を合わせるのはいつ以来だろうか。
この前は電話越しであったために、声は聴けたが顔は見ていない。
そもそもこの男は忙しい人間だ。
千景も不要な接触を避けていたこともあってか、直接顔をあわせるのは実に数年ぶりくらいのものだろう。
「元気にしてたかよ」
「うん」
「で? 今日は何しに来たァ」
「あー……ちょっと助けてほしくって…」
「へえ。オマエが助けをね」
千景が今日こうして此処───叶堂家本宅を訪ねた理由は、心の底から力を貸して欲しかったからだ。
だからそんな「なんの冗談だよ」みたいな懐疑の目で見るのはやめてほしい。
紫門の傍に控えるスーツの男、結城怜も同様に、真意を探るようなジト目で千景を見ていることに納得がいかない。
それでも厄介なほどに知覚と勘が鋭い二人のことだ。
術師としては致命的な千景の異変に気付いている気がしなくもない。
「なんていうか、もう気付いてるかもしんないけど……ハハ、呪力なくなっちゃって」
「…………」
「…………」
「あの、ちょっと助けてほしいなあって、思いまして……」
「………………」
「………………」
呆れられるのは当然として、それでも怒るなり笑うなり何かしらの反応はあると思っていたのだが。
紫門も怜も一言も発しない。
それが逆に怖い。
たっぷり取られた間に柄にもなく緊張感を覚える。
まるで判決を待つ被告人の気分だ。
随分と長く感じた沈黙を断ち切ったのは深い深い溜め息だった。
「おい」
「はいっ」
「一から全部説明しろ」
「…はぁい」
かくして千景は不老不死の泉のことから山神のこと、泉の封印に手を貸したこと、志摩の事情など諸々、一ヶ月前の出来事を洗いざらい打ち明けたのだった。
そして思った通り、呆れを通り越した紫門と怜に盛大に溜め息をつかれることとなった。




